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「親友とは」の価値観で友情が死んだ話

「親友」ってどんな人?普通の友達と何が違うの?「親友」の解釈って沢山あるけど、今日伝えたいのは親友の定義なんてこれっぽちも存在しないこと。

・腹を割って何でも話せる友達のこと
・利害関係なしに付き合える人
・思ったことなど、相手のために嫌なこともはっきり言える関係
・お互いに心を許し合っている友達
・ストレスフリー。どこにでも一緒に行きたい人

例えば上みたいなのがまとめ記事を検索すれば阿保みたいに出てくる。本当に、アホみたいに。


今日お話しするのは、私と元親友について。一番の親友という関係がどんな風に壊れて行ったのか見ていくうえで、「親友とは」について少し考えてもらえたら嬉しい。

「元」と付いているように、残念ながら現在は親友じゃない。むしろ二人に友好関係なんてものはなくて、連絡だって取り合ってないし、SNSは送っても無視。喧嘩というより、喧嘩すらなかったような状態。だから彼女の思いや考えは私は一切できないし、ただ推測するだけしかできない。

私たちが出会ったのは小学校の頃で、同じクラス。どんな小学青春ストーリーかと思う人がいるかもしれないが、友達になったきっかけは、彼女が私をいじめから光の場所へ導いてくれたから。それからどんどん仲良くなって、学年が一つ上がる頃には、クラスは違えど二人は大親友だった。

一度大きな喧嘩をしたことがあって、一カ月間無視をする人と一カ月間謝り続ける人といった珍妙な二人を生んだ、一種の根競べのような時期もあった。一方的に悪かったわけじゃないけど、毎日袖にされても懲りずに謝る私は執着してたし、呆れた家族に仲直りを促されても応じなかった彼女はものすごく頑固だった。

まあ、小学生の話なんだけど(藁)

その後、私が転校してしまって二人は離れ離れ。SNSなんてなかった時代、そのうち連絡も途絶え関係は自然消滅……というのはしなかった。
なぜなら、手紙を書いていたからだ。


手紙が支えた四年間

正直、処分しようか決めかねる彼女との手紙は計49通。内容はどれも細かい文字で便箋5枚以上、多くて11枚。どれも手紙のdearの部分に「だ~いすきな××へ」と書いてある。私も同じ書き出しの手紙を同じ数だけ送った。
どっちの文字も今と比べて下手な字だ。

可愛いお気に入りのシールを張って、読んだときの手紙を盛り上げたくて、便箋の裏の空白部分に相手の好きなポケモンだとか、手紙の内容の具体的な説明、飼っているペットの可愛さを書いた。

多分、今のSNSじゃできない、楽しめないことだと思う。

文通は私がスマホを買ってもらうまで続いた。

私と彼女は小学校を一緒に卒業してないし、中学校も違う。高校だけは一緒になれる可能性があったが、離れていても大丈夫だと思っていた私は、生きたい部活のある高校に進んだ。
今は同じ高校に行けばよかったと後悔が半分、その高校に行っていなければできなかった体験と出会えなかった人たちがいた、という思いがもう半分。

離れている期間が長いからか、久しぶりに会ったときの一日は流れるように過ぎる。でもだんだん、彼女のことが分からなくなっていた。

親友とは

「親友だよね」と聞かれたことがあるだろうか。

私はある。
同時に、どうしてそんなことを聞くのか不思議に思った。

発言者は元親友。一時期、確かめるように何度も「私たちは親友だよね」と聞かれたことがあった。理由は今でも分からないし、彼女もきっと覚えてないだろう。

もう一つ、同じように言われた言葉があった。
「思ってることなんでも言うから、××も私に思ってること言ってね」だ。

大学生になって、大学が離れた。空港まで送りに行って「夏休みになったら遊ぼう」なんて言っていたらそれはフラグだった。夏休みまでにという以前に五月で友人関係が終わった。彼氏ができて愛が移ったかもしれない。

すれ違ったのはお互いの家庭観。家族関係。どちらかが悪かったかもしれないし、どっちも悪かったかもしれない。


親友とは、親友とは何だろう。

何度も「嫌だと思ってることも聞くから」と言っていたから、恐らく(想像でしかないけど)、彼女の親友観は「何でも話せて(=心を許している存在)ズケズケ言える仲」だったのかもしれない、といこと。

そして私の親友観は「お互い穏やかに話して(=心を許している存在)、寄り添える仲」ということ。

信頼しているから話せる内容は人によって違うと思う。信頼しているからこそ「これくらいの軽口は通じる」と考えて言い合う人もいれば、「相手への言葉は親友だからこそ選ぶ」人もいる。

後者が私の考えで、大切な人だからこそ1ミリだって傷つけたくない。もちろん、たまに軽口を叩く時だってあるけど、「たまに」がブラックすぎて軽くならないから自分で口を閉じているときもある。

「親友だよね」「思ってること何でも聞いて」と繰り返していたあの時、彼女の親友観に合っていなかったから疑われていたのかもしれない。何度も「親友に決まってるいるでしょ」って繰り返したのに。


親友だから

「これをしたら親友」とか、「親友なのに親友の特徴に当てはまらない」だとか、自分の中で線引きしてもいいけど、親友の定義なんてどこにもないから、いま親友がいる人はちゃんと話し合うことだけしてほしい。

親友観が合っているのが一番かもしれない(違うからこそ親友という人はいると思う)。違っても受け入れたり、お互い尊重し合うことを忘れないでほしい。

親友だから。


友人でも恋人でも家族でも、相手への尊重を忘れた人間関係は簡単に死ぬので。

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