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新たな身体を生きる


エッセイ
New season with new surface
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春が訪れ始めた頃に、初めて自らの顔面にメスが入れられた。それは、大掛かりな顔面改造などではなく、私の顔に膿が溜まり腫物ができたために5mmほどの切れ目を作り排出するというもの。5mmという数字と軽やかな医者の口調から自分の顔にメスが入れられることに何の抵抗もなかった。もちろん、最適な手順で治療してくれていることは明らかで、私自身も最低限の予備知識をためてきたため想定の範疇には置かれていた選択で、何らかの覚悟は持っていたはずだ。
いざ軽手術が始まるとなるとまったくもって実感がわかない。淡々とした手順だからか軽い手術だから調整日を持たないためか、その突拍子もない判断から始まるものは身体に実際に変化が加わるものの、感情としては浮遊したままだ。
人間は意識と身体が共立して成り立っているが、そこに共鳴は伴わないむず痒さがある。
身体の細胞は1年もあれば全て新たなものに入れ替わると聞いたことがある。皮膚に関しては新たなものに一か月で移り変わってしまう。今こうやって傷つけられている細胞は一か月もすれば見ず知らずの新入り細胞に転化されてしまうが、受け渡された細胞はこの重篤な状態をどのように対処するのだろうか。移り変わりを共わない新たな芽吹き細胞によって開かれた穴は埋められるのか。日々私たちの身体は次々と新たなものへと進化してゆく。
二十代になってまで、内面に保たれた私の気持ちは劇的な変化を共なっていない。ましてや幼くなったまでもある。メスを入れられることに関しての心の動揺は一切起こりえなかったが、医者や看護師の対応に心底嬉しさを感じた。幼いころは幼さがゆえに受けることのできた温もりのある扱いは無意識であったがゆえに純粋な笑顔で受け取れた。けれど、ある程度の経験を持ち合わせているためか、温もりのある扱いに非常に敏感になり欲してしまう甘さがある。
高齢者に子供と同じように対応する姿が見られるが、決して同等ではなく、彼ら自身年を取るとともに幼児とは違う温もりへの受け入れ方をしている。心は細胞と違って逆行中かもしれない。甘やかされたいと欲する私は日々進化する身体と幼くなる心の不協和音で成り立っている。
そのことは、決して子供に帰化するわけではなく、新たな身体と共に成長している。物理的でない感情の成長をうまく表現する手立てを持ち合わせていない。それが全ての者に当てはまらなくとも最低でも私という「人間」だと想う。

3月初めに、初めて自分のために寝具を変えた。決め手を兼ねない幼き頃からの産物としての家具で私の周りは溢れていた。寝具、カーペット、箪笥、本棚最終的に選んだ数点もまばらにあるけれど、それも誰かの選択の上で踊ったようなもので、自分発信の決断はしてこなかった。自分自身で決められないことがほとんどだから。
なんか好き、なんか嫌いそんなあやふやな感情しか持ち合わせていない私ははっきりしたゼロか百の判断に圧倒されてしまう。
もちろん、理解できなくて固唾を飲みまくる。
そんな私でも寝具のことから始まりインテリア、建物デザインのありとあらゆるものに気が入ってしまう。そこには私の興味があるから。
この春で三年目になる建築学生でもなぜ建築学科に入ったのかそれを聞かれると大袈裟な事は言えない。そこにもほんわかとした興味があるからでしかない。
でも、今の世の中このほんわかとしたものが良しとされない切迫さがあって、だからこそモノ言えない苦しさが混在してる。誰かが言ったような事はもう求められていない。誰もが言えるようなことを言えないようになってる。
私にとって世界は少し、いや幾分速い。
文學界の三月号で若林正恭さんと國分功一郎さんの対談があり、そこで木のような人について述べられていた。私たちは忙しすぎる。そんな中でしっかり根を張って木のように生きている人に憧れていると。
私にはそんな性根からもった頑固さみたいなものがない。揺蕩われて過ごして、それでもやってこれた。太い幹を持つ木ではなく、観葉植物のように沢山の茎が生えている。
Z世代と言われる生まれながらにしてネットの環境が整い大量の情報が溢れていたから

コロナによって、自宅にいる時間が増えたことが屋内を豊かにしようとする人を増やした。その一環として植物を育て始めた人がいる。
どの範囲を指して観葉と呼ぶのかは定かでないが、ワイヤープランツ、パキラ、モンステラ、オリーブ、サンスベリアなど葉形が大きいものから蔓が長いものまで多様である。
店先に並ぶ面持ちは整えられていて、その出立ちを持ち込むと部屋が自分ともう1つの生物の関係になる。豊かになるとは1人ではないという人間の孤独を埋め合わせるためのものとして存在しているかもしれない。
小学校の低学年に、青い鉢を配られトマトを育てた。水やりする子は女の子ばっかりで大概周りにいた野郎どもはボールやなんやで遊んでいて、当然のように枯らした。そんな鉢からも枯れた養分を生かして新たな細胞で芽が生えてくる。決してトマトではなくて雑草。世話人がどう見放しても春が来れば緑が生い茂ってきて、風景が綺麗になる。

大学3年になる季節、新たにデザインのソフトウェアを取り入れた。建築の道を進む者であれば大概知っていて、プロの肩書きを借りれるような雰囲気まで纏える。
パソコンに新たなソフトウェアを取り入れて、より一層頑張らなくてわ。
まずは学び、それを武器として扱えるようにと。形から入るのなんだと毛嫌ってばかりじゃいられない。
新身で挑む春。


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