孤独ではなくなるとき
前の記事で私は過去に師匠に出会えたと書いた。運がいいと思われるかもしれない。でも、そういうわけでもなくて。
自分から人に憧れて、その人を追いかけた。その過程でいろんなことを学んだ。
そんなことを繰り返して、自然と成長していた。
具体的に「こう生きろ」って教わったわけではないのだよね。
自分がいかに未熟で不相応だと思っても、気にしてなかった。応援したいなって思ってもらえばいい。一生懸命やっていれば、人を惹きつけるものが磨かれていくよ。
ギフテッドは自分をギフテッドと知ったあと、自分を育てなおす。いろんなことを子供の頃から誤学習しているから。
「みんな、空気を読んで子供らしさを演じてるわけじゃなかったのか〜!」というふうに、認識を一つひとつ改めていく。実際の年齢まで到達したらやっと一区切り。私が今ここの段階。
自分だけ違うことをやっていたと知ったら、やってらんない!と思うのは当然だよね。自分がやってきたことは一体なんだったの?って。
「おそろしいほどの孤独」といえばそうなのかもしれない。ただ、それが他の人と比べてどうなのかはわからないな。
仲間らしき人に出会うとすごく安心していたのは、やっぱり孤独だったからだろうか?
一つひとつを泥臭く克服した。近道なんてない。それはギフテッドとかギフテッドじゃないとか関係なくて、みんな同じだと思う。一人ひとり抱えているものがある。それに気付けるかどうか。
今、くじけそうなあなたへ
信じられないかもしれないけど、この殻を破ったら、いよいよ広い世界に目を向けて生きられるようになるよ。ちゃんとみんなと生きられる。きっとそれが「孤独じゃない」って状態。
もちろん個人差はあるんだけど、30代にそんな変化がある人が多い気がする。どうなのでしょう?
「与えられる」から「与える」へ。「育てられる」から「育てる」へ。そんな立場や心境の変化とも関係していそう。