リーダーとは何だろうか。 フォロワーさんたちのお話を聞いて、向き合ってみている。 私はといえば、考えすぎるがゆえにすぐに逃げ出したくなるし 自分は人一倍感受性が強いのに、他人の気持ちには鈍感だから、トラブルも起こしてきたし 何を考えてるかわからないらしいし←NEW!! びしーっとした強い統率力!は無さそう。 でも、最近「人」に関心が向いていて。 それぞれの人生を生きているリアルな「人」に。 今までは全然関心がなかったんだよ。 自分の成長や、内面世界のこと…ひたすらそ
自分で自分の認知スタイルに気付くって至難の業だけど、最近思い当たるのは「確率・統計」を使ってるんじゃないかってこと。 これはいずれこうなると予測するときの肌感覚のもとになるもの。それが正確かって話じゃなくて。 「因果関係」じゃなくて「天の采配」のような。
思いがけない偶然が続きすぎている。 そこから何かメッセージを読み取るとしたら「セオリーからナラティブへの転換」だと思う。直感が教えてくれてる。
みなさま、こんにちは〜 ソシオニクスを簡易的に診断したところこのような結果になった😄 ILI?何だろう? 16タイプの方と同じにしていいかわからないけど、ざっくりNT的要素が強烈というのは間違いなさそう。 SF的要素を育ててはいるけど、本質は変わらないようだ。 さらに調べていくと、ILIの認知スタイルは「弁証法的アルゴリズム」って出てきた。弁証法は相反する二つのものを統合すること。 ああ、納得… 初めて弁証法を知ったときにとても気になったし、最近もよく考えてる。 そ
この2,3日で、また自分が調った感じがある。 今回もまたざっくばらん。 アプローチとしては、自分の中の相反する二つの要素を統合できればいいんじゃないかな? それができるなら、宗教、哲学、心理学、スピリチュアル、何でもいいのだと思う。 なんで中庸や無為自然がありがたいか?😅 答えは簡単。 それがおそろしく苦手だからでしょうね。 極端に突っ走りがちな人間に向けたメッセージなんだろうなあ… 最近は「表裏一体」って考え方がとてもしっくりきている。 陰陽、生死、混沌と秩
以前、当事者の人と話したときに「老荘思想」に関心があるって言ってた理由がわかってきた。 自分が調っていくというか、本来のアタマにフィットしてるかんじがすごくする。
直観について。 不思議というか、よくわからない話だけど 自分の感覚や考察をメモ代わりに書いてみようと思います。 直観が暴走するとき おそらく「矛盾」を統合したとき ケース① ある「極」を目指すとき、意志はそれを目指すが、もう1つの心は逆方向の「極」に引っ張られている。逆方向に引っ張る力とは、現実をとらえ冷静に分析する「目」だと思う。 そして、両極からの力に耐えきれず、私は引きちぎれる。予感が確信に変わった瞬間、足元が崩れる。 ケース② 心の底でわかっていたけど いよいよ
「教師は"風"なんですよ。」 教師をしていたとき、先輩の先生に言われた言葉 この言葉が10年以上経った今、胸に響いている 人生のほんの短い期間で何ができるのだろう? 当時はそんなことを考えていたのかな 教師は出会った子どもたちの多くと一生の交流を持たない 風は吹き去る そこに留まり根付くことはない 役目を終えたら次の地へ でも、そのときにもしかしらそこにある草花の受粉を助けるかも 風が遠い所に吹き去ったあと、そこに実りがあるかもしれない 風ってどういうことだろうって
異なる2つの世界の狭間に生まれ落ちる →どちらにも中途半端に属してるような属してないようなところで苦しむ →その間に人格を成長させる →最後は両方をつなぐ役割を果たそうとする 何か元になる物語があるのかなあ? 自分もそのルートを歩んでる気がする
最近考えたことをざっくばらんに。 ①生きる意味 おそらく、一般的には「生きる意味」ということをあえて設定しなくても生きられるのでは? 私のような人たちは、足元がぐらぐらしていて、まずは目的を定めて、初めて地に足をつけて生きられる感覚になるというか。 最近、ようやく歯車が噛み合ってきた感覚がある。人と意思疎通ができるようになってきた。 これが社会性? 「一般的にはこう考える」「こういう振る舞いをすると、こういう印象を与える」ということが急速にわかってきた。 心許ない
積極的分離という人格発達を経験する人と、一般的な人格発達をする人。 なんとなく違いがわかってきた! 両者に共通するのは、人格の発達が社会と自分との折り合いであるということかな? 積極的分離をする人は社会との折り合いに、生きる意味や、自身の倫理観のモノサシを盛り込むから激しくなりがちだし、時間がかかるのかなあと思った。 (一般的な発達には「生きる意味」が盛り込まれない?) 利他とは何か?と考えるとき、社会や他者が求めるものを無視することはできない。理想を実行することが本
「積極的分離が必要ない世界を作りたい」 私も極論はこれなんです。 高い精神性に達すること、それは素晴らしいことかもしれないけれど… では生身の人間をそこまでにしてしまうものとは何か?ということなんですよね。 そこから何を得て、未来をどう描くのかが問われていると思うのです。
現状「ギフテッド」しか自分の特性を表せないからこの名称を使っているけど、使い続けることの限界も強く感じてきている。当事者は葛藤するし、他者には誤解を与える可能性が高い。 当事者にも様々な意見があるのも知ってるし、他者からどう見えるかもわかってるつもり。何が正解かわからない。
人が自分の過去を受け入れるには「物語」が必要ということかな。事実だけ見ていても、人間には心があるから簡単にはいかない。 名作といわれるものは作者からそうして生まれているのかも。 一人の物語なのに、それは普遍的で、一種の「慰め」がある気がする。
人間関係のスタイルを変えて1年。 女性性を意識したコミュニケーションをしている。そうしたら人から相談される頻度が上がった。 長年の友人も悩みを話してくれるし、新しくできた友人も私を頼りにしてくれているよう。 複数人といるとき、各々の感情の機微や言葉の与える印象など、かなり正確に読み取れるようになったので「やらかし」は減った。 でも、やっぱり、求められてるものが見えると、どうしてもそれを演じたくなってしまう。 小学生のころ、家に帰った途端に爆発してた。学校ではいい子を演
たぶん、次に学ぶのは「神話」なのだということがまた芋づる式の直感でわかってしまった。『1984』は神話的な構造を持っているらしい。 というか、学がなさすぎてつらい