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直観について 経験と考察
直観について。
不思議というか、よくわからない話だけど
自分の感覚や考察をメモ代わりに書いてみようと思います。
直観が暴走するとき
おそらく「矛盾」を統合したとき
ケース①
ある「極」を目指すとき、意志はそれを目指すが、もう1つの心は逆方向の「極」に引っ張られている。逆方向に引っ張る力とは、現実をとらえ冷静に分析する「目」だと思う。
そして、両極からの力に耐えきれず、私は引きちぎれる。予感が確信に変わった瞬間、足元が崩れる。
ケース②
心の底でわかっていたけど
いよいよそれと対峙することは避けられないと悟ったとき。
手ばなさざるをえないと悟ったとき。
どうしてもゆるせない相手をゆるしたとき。
受け入れがたいことを受け入れたとき。
頭がオーバーヒートする。
現実感はなくなる。
頭上に光り輝きながら高速で回転するマンダラが見える。(幻視じゃなくて、頭のなかにイメージが浮かんでる状態)
そのときに光の粒々が降りそそぎ
それに「慈悲」と名前をつけた人がいたとかいないとか。
どうやらそういうときに、直観が暴走するらしい。
直観の感触
何かを閃いた、思いついたというより
ただ「見てきた」という感覚に近い。
それを隠していたものが取り払われた。
カミサマ(特定の宗教とは関連がない)が人々に何かを伝える、両者をつなぐ役割をたまたま自分がやってるだけ、のような。
私自身の試行錯誤とかオリジナリティは反映されてない感覚が強い。そのアイデアは自分から出てるけど、自分のものじゃない。
だから、自分がすごいって感覚はない。
ただの「管」だから。
その「意図」をより正確に表現するってところを頑張っている。「通訳」に近いかもしれない。
じゃあ、全く自分の力は関係ないのか?っていうとそんなこともないかなあ。
今まで生きてきて、ここに辿り着くまでに必要だった出来事には強い吸引力があった。それを勉強したり、情熱を注いだり。
そういうのをやってきたから受け取ることができる?「これ、不思議」って吸引力。1番感じたのは「資本論」だけど、最近は「インテグラル理論」に感じる。カラフルな揺れる線が交わり、離れつつ、どこかに向かって伸びていくようなイメージ。
崩壊プロセスの一連の流れが終わると、今まで気になってたことが不意にポロポロとわかってくる。「あーそういうことか」って。
抱えていた対人トラブルが一気に解決したりもする。
この力は諸刃の剣で、使いすぎると寿命を縮める。カミサマに半分以上体を乗っ取られてしまってる状態というか…
命より能力をとる人は躊躇なくその先に行くのかな?
自分以外の人の感覚的なことをもっと知りたいな〜
ここまで書いてきて思ったけど、自分って凡庸だなあ。
抽象的なものの考え方をする人たちを集めた集団において、とても凡庸である。
抽象ってそもそもそういうことだからね。
具体的に考える人たちの中に入ると異端になってしまうだけで。
そういう意味で、私は自分を凡庸だと信じてきた←変なズレ方。
心地よく、自分と世界と調和していけたらいいなあ…(願望)