2023.8.16 百日紅。
(2020.8.16に書いた記事。コロナ禍真っ只中に思っていたこと。)
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庭の百日紅が咲きました。
花言葉いろいろあるみたいだけど
「愛嬌」っていうのが好きだな。
#百日紅#サルスベリ#うちの庭
昨日、終戦の日にTVでやってた「太陽の子」っていうドラマを観たの。
(TVみたの超久しぶり。災害時以外は殆ど見ない)
成人した2人の兄弟と、幼なじみの女性が出てきてね。
科学者で、爆弾の開発研究をしている兄と、
軍人になって、国の為に身を捧げるつもりの弟と、
戦争後に不足するだろう、教員を目指してる女性。
話しの中で兄弟ふたりが、女性に向かって
「(今もう)戦争の後の事をかんがえてるのか⁉︎ 」
って、驚いて訊ねるシーンがあったの。
女性は
「あたりまえでしょ‼︎ 国が良くなるための戦争なのに、後の事考えないでどうするの⁉︎」
と言うような返事をしていて。
なんだかこのシーンが妙に印象的で。
戦争に勝つという、目の前の事にひたすら突き進む男性性と
その先の、全体の命の方向を感受してる女性性。
あの時代。
「好きな事を自分で選ぶ」という事が許されなかった時代ですら、人は考えていたし、感じていたし、思っていたんだって。当たり前のことを痛切に知った。
この国のこの社会の進む方向が
「何かおかしい何か変」って思っていても
それを口にする事が許されなくて
家族が、死ぬかも知れないって分かってるのに
「万歳」って送り出すなんて、どう考えてもいびつなのに。
同調圧力から抜け出すことができずに、苦しんだ人たちが、きっとごまんといたんだ。
その空気感が。
たぶん
今まさに近しいものがある気がするわ。
違うものを違うと言えない。
情報に操作されて大衆に融合する。
ゆがみに気づいているのに
みんなと同じ事が安全で安心だと思ってしまう心理。
和(わ)することと
思考を止めて同調することは
全く別物。
ここから、先大きなもの
(大衆とか一般とか世間とか社会とか)に
寄りかかったままでは、なかなか立ち行かなくなると思っていて。
『意識的に自分で考えて選んで決める』
それがとても重要になるだろうって。
何度も何度も同じこと言うけど
自分で選んで決めるには
怖さを越える練習がいるし
そのためには
自分を知った方が早いし
自分を知ることは
一回では済まないから
繰り返し繰り返し内側を観るんだよ。
自分で選ぶっていうことは
その責任は自分で負うという事だから
人のせいに誰かのせいにはできないんだよ。
正解も失敗もなくて
自分にとって良いか悪いかただそれだけ。
そしてどうせ選ぶならば
軽やかで心地の良い方向を
選べる自分でありたい。
私はね。
「わかったフリ」では通用しないと思うし
「見ないフリ」はしっぺ返しがどんどん大っきくなる。
(体感済み)
大きな変化と変容の先にある
多様で創造性いっぱいの世界を
見たいし味わいたい✨
私はね。