日々徒然

真夜中からずっと降り続いているので朝は雨の中で始まった。夢の中にまで雨音が響いていた気がする。眠りが浅かったのかもしれない。なんだか面白い夢だった気がするけれど、「あ、雨だ。」と思ったとたん、せっかくの夢は忘れてしまった。そう思ったのももしかすると夢だったのかもしれない。

思いつくまま1日を言葉で綴ったら、なんだか気持ちがよいことに気づいた。日記とも違うな、記録でもない、ましてや人様に読んでもらうほどのものでもない。

noteは自分の心の倉庫のようなもの、ぺたぺた貼るコルクボードのようなもので。7年続けているTwitterとはまた違う隠れ家のような。
いつまでも大人になりきれない包んで隠し持っていた自分の欠片のようなもの。傷ついてはそれを研磨しきれずに、くるんで奥深く隠してしまったようなもの。人様の言葉や行為に勝手にむやみに傷ついて、くすんでしまって色褪せた欠片。感受性と呼ぶものならそんなもので勝手に傷つくなよ。雨や風や花や草や木々や匂いや色や音や朝や夜や夕暮れや夜明けやそんなもの達にこそ心通わせて。鈍くでもいいじゃない、いつまでも輝いていればいいものを。/

両隣の町に大雨警報が出ていた午後。空に近いこの町にも降り注いだ雨は曲がりくねった坂を伝い、周りの町に流れ込んでいく。水曜日は定休日。そして町にお豆腐やさんが回ってくる日。ラッパの音ではなくテープで子供の声を流して呼び込む。「おとうふ、あるよー」雨の中だけれど、呼び止めて買う人がいるのだろうか。/

病院へ行って増えた薬の具合を話して、今日は点滴はなし。15年うちのお店で働いてくれているおばさんは80歳。父親を原爆で亡くし、自らも被爆者だ。いくつもの病気や怪我を抱えてここで働き続けてくれている。私達が「できるかなぁ、やれるかなぁ。」と言うと「やるんよ。」と笑いながら背中を押してくれる。大好きだ。麺を届けてくれる昔からの業者のおばさんも80歳。サングラスをかけて車を運転して毎日配達をしてくれる。実にバイタリティー溢れる女性達が身近にいて、週末の忙しさにたちまちダウンしてしまう自分が本当に不甲斐ない。いずれは配達はやめて夫と2人で細々と続けていくのだろう。けれどまだ。下の娘を嫁に出すまではなんとか。取りあえずは足手まといにならないようにしなくちゃ。疲れて帰ってくる場所を作っていてあげられるようにもしよう。健康であること、この上に全ての幸せは成り立つような気がする。/

静かに夜が更けていく。久しぶり友達とエステに行った下の娘も帰って来た。いつものように並んでお布団をひいて。今もこうして毎日一緒に寝ている。小さい頃から喘息があって必ず一緒に寝ていた。今はもう20歳になったけれど、私の布団に潜り込んできたり、後ろから私を抱きしめて眠ったり。大きくなってもスキンシップが欲しいという時は無条件で与えてやりたい。溢れるほど。子供を思う愛情は私の何処から溢れてくるのだろうと思う。それは決して尽きる気がしない。娘はいい。柔らかくていい匂いがする。/

今夜は雨に起こされることもないようだ。いつの間にか日付も変わってしまった。

今日はもう昨日と呼ばれて過去という名で仕舞われる。私の心の襞は1日1日深く細かく折り畳まれ、どんな過去も大切に仕舞われていく。

全くだらだらと書き続けた独り言。終わっていく1日よ。おやすみ、世界。