メディエーター

俺みたいなのは、
普段モノとか文化とか、
無機物あるいは概念のようなもの
と対峙して、観察して、
その本質にいかに迫れるか
を賭けながら生きている。

でも、モノにしても文化にしても、
そこに辿り着くまでには、必ず有機物、
つまりメディエーターとしての人間が存在する。

音楽を聴こうとCD屋に行って、
何となく避けてきたバンドのCDを手に取って、
家でひとりで聴いてみる。

この音楽は自分が発見したと思い込む。
ここまでがセットで、ここから巻き戻し⏪

あの時CD屋で、あのCDを
そこに並べたCD屋の店員か、
間違った索引の棚に戻したどこかの客。
彼らの存在を認知する。

サブスクのアルゴリズムだと、
ここが極限まで希釈されてしまうのだけれど。

話を戻して。
俺はよく、事物の本質を考え込む。
それは、神のみぞ知り得るイデアの類であると。
俺はよく、それを神に乞うてしまう。

でも実際のところ、
今聴いている音楽に自分を導いた媒介者、
神でなければ天使とでも表現するけど、
これ、彼らこそ事物の本質なんじゃないかと、
今そんなことばかり考えている。

神は細部に宿る、ならぬ、
神は媒介に宿る、と。

だから、やっぱり俺たちは
人を愛さなきゃならないし、

モノばかり観察して、
ときには金に固執して、
そんな生き方をしてたら、
ノアの方舟には乗れないってことだ!

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