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はじめに”ジーンズ”は、アメリカの発明品である  ”ジーンズ”の語源がイタリアのジェノヴァであるとか、”デニム”の語源がフランスのニームであるとか、そのような主張は全く正しい。しかし、それと同時に、”ジーンズ”がアメリカの発明品であることもまた紛れも無い事実です。  だから、ジーンズの発展史を紐解くことで、そのバックボーンたるアメリカの歴史も帰納的に紐解けるのではないか、と考えます。  01.ジーンズの定義 世界史における「歴史」は明確に定義されます。  例えば、『詳解

    • メディエーター

      俺みたいなのは、 普段モノとか文化とか、 無機物あるいは概念のようなもの と対峙して、観察して、 その本質にいかに迫れるか を賭けながら生きている。 でも、モノにしても文化にしても、 そこに辿り着くまでには、必ず有機物、 つまりメディエーターとしての人間が存在する。 音楽を聴こうとCD屋に行って、 何となく避けてきたバンドのCDを手に取って、 家でひとりで聴いてみる。 この音楽は自分が発見したと思い込む。 ここまでがセットで、ここから巻き戻し⏪ あの時CD屋で、あのC

      • Pinback Button/Badge

        アメリカ英語では “Button”、イギリス英語だと “Badge”——それぞれ接頭に「針式」を意味する“Pinback”が付く場合もあれば、単に “Pin”でも通じる。日本では「缶バッジ」がもっとも一般的であるが、素材にプラスチック樹脂やウッドを用いたものも稀に存在するため、本書においては、表記を「バッジ」に統一する。 それにしても、バッジが辿った軌跡は、Tシャツの辿ったそれとあまりにも似ている。1960年代、ヴェトナム反戦や公民権運動の文脈において政治思想を載せる道具と

        • Photograph Tee

          一括りに「写真」(=“Photograph”)といっても、ジャーナリズムの先の報道写真か、コンシューマリズムの先のアート写真なのかで、その意味合いは大きく異なる。 「写真Tシャツ」の代名詞として語り継がれるBruce Weberといえば、Calvin Kleinの広告写真を手がけたことでその名を馳せた、生粋のファッション写真家である。 Bruce WeberとTシャツの邂逅については、イタリアの男性ファッション誌“Per Lui” 1985年8月号の企画に端を発する。この号

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          Movie Tee

          ベトナム戦争の終焉によって精神を失ったアメリカン・ニューシネマと入れ替わるようにしてハリウッドの覇権を握ったのは、ジョージ=ルーカスやスティーヴン=スピルバーグに代表される商業主義色の強い映画であった。興行収入が競われる一方で、関連製品のライセンス事業にも力が注がれ、さまざまな映画グッズが製造された。この時代のファンに向けたグッズとしてのTシャツこそ、「映画Tシャツ」のもっともスタンダードな形式といえよう。 1980年代に入り、ビデオ戦争を制したVHSが急速に普及したことで

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          Rock/Band Tee

          音楽の分野にアートとの接点を招いたのは、アルバムのカヴァー(ないし「ジャケット」とも表現する)である。レコードの原型となるフォノグラフの発明から約60年が経過した1938年、デザイナーのAlex Steinweissは、Columbia Recordsの命を受けて、カヴァーにグラフィックデザインを施した。以降、他のレーベルもこれに追従するが、彼然り、アートワークの多くは、レーベル所属のグラフィック・アーティストや写真家によってデザインされることがほとんどであった。 カヴァー

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          Martin Margiela “Artisanal” Jeans

          メゾンに属するデザイナーは、概して古着と距離を置く傾向にある。古着とは「過去」であり、服飾史として学ぶことはあっても、すなわちモードの流儀に反する存在であるからだ。 彼らの中で、「過去」に視線を送り、それを「未来」に変えた人物は、マルタン=マルジェラをおいて他にいない。 1988年に自身のブランドを立ち上げ、パリの喝采を順当に攫ったマルジェラは、コレクションに古着を取り入れる機会を虎視眈々と狙っていた。その瞬間が遂に訪れる。 蚤の市で買ってきた素材で仕立てたオープン・イヴニ

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          一流の二流、二流の一流

          『地獄の警備員』という映画のワンシーン。 商社の美術部に就職した成島(久野真紀子)が、美術に見識がない同僚に次のように尋ねられる。 「一流画家の二級品と、二流画家の代表作とではどらちが価値があるの?」 この問いに、成島は「二流画家の代表作です」と言い切り、その理由を語る。 成島の言うとおり、作品に対する評価とは、相対的な作者への評価と絶対的な作品への評価によって決定づけられる。 このうち相対的な評価について、20世紀構造主義の巨匠ミシェル=フーコーの「エピステーメー」という

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