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テーマを「難病家族」にした理由

 私には、自分なりの「夢の家族」像がありました。長女が生後8ヵ月の時、難病が見つかり、次女は長女の件があったので生まれてすぐに検査をしたため、生後1週間で難病指定を受け、近年、妻が腎臓病の難病指定を受け、令和7年内に私の腎臓を一個移植することにしました。現在、移植可能かどうかの検査真っ最中というところです。
 昨年の11月に妻の腎臓の機能が低下し、近い内に透析しなければならない状態である事が判明しました。その時、つい独り言としてでた言葉が、「我が家は、難病家族だな。」でした。

 1年前の令和6年元旦に発生した能登半島地震では、500人以上の死者を出し、昨年末の12月14日には、北九州市のファーストフード店にただ並んでいただけなのに刺殺されてしまう様な悲しい事件。
 運命と言っては軽すぎる、突然と命を奪われてしまう理由も意味も分からない出来事。世の中、説明のつかない不幸な自然災害や人による理不尽な出来事が突然と起きます。

 これから書くことは、そういう出来事や他人との幸不幸と比較するわけでもなく、何かの理由で「難病家族」となってしまった自分の経験が、同じような経験をこれからするかもしれない人や既に体験している人のお役に立つこともあるかもしれない。決して楽な体験ではありませんし、望む体験でもありませんが、そういう思いで令和7年からの新たな挑戦として、書き綴っていきたいと思っています。

次回「私の描く夢の家族」・・・

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