断捨離


成人式に振袖を着なかった、そもそも成人式行かずに遊んでいたとして、人生の分岐は変わるものなのか。
学生生活で一度も恋人を作らなかった、部活やサークルをしていなかった、卒業式で袴を着なかった。三回生からのインターンに一社も行っていない。
おおよそ世間、多数派から外れ続ける選択肢を取り続けた結果がこの様か。

と、思うようになった。人生の不調である。
選択肢を間違ったとは思わないが、多数派の選択肢を選びつつも少数の選択肢が多い。少数の選択肢を選ぶ度、道から外れていくような感覚さえある。
世間の大多数も少数派も自身の思い込みに過ぎないが、酒の場での孤独を味わう度にそうした考えがよぎるのである。

彼らに私の楽しみが分からないように、私も人並みの人生が分からない。
酒の場ではさも当たり前のように恋人の話になり、結婚の話になり、時に人の悪口を挟み、中身のない話をする。何が楽しいのかわからない。そういう釣り針に一つも引っかからない私は喋ることもないので私は隅っこでずっと調べ物をしている。これがまた道を外れる性格の要因である。
集団に馴染めず、後から来たものが馴染んでいき行きつくは孤独の道。そして楽しめなかった者には割高の会費を支払って、人に迷惑をかけるレベルまで酔った人間を横目に関係ない人を装ってさっさと帰る。
子供のような大人たち。私の二倍ぐらい生きてるんだから、人に迷惑をかけない飲み方をしていただきたい。これもまた道を外れる原因である。

断捨離。
多数に流れず少数を取り、必要のないものを断ち、捨て、離れた結果が道の外れた、致命的な孤独である。外れた道を闊歩できる程の勇気も能力もなく、行き着くは変わり者のレッテルか。


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