葉桜めのう
家にある本を紹介していくマガジン。 高校3年生から集めた古い本を紹介していきます。 なお、紹介する本を全て読んでいる訳ではないので悪しからず。 気が向いたら更新します。
文学館巡りが楽しくなっちゃって大学で学芸員課程を取ってます。
フィギュアやフィギュア撮影のことについて話してます。 超像可動中心にねんどろいども集めています。
成人式に振袖を着なかった、そもそも成人式行かずに遊んでいたとして、人生の分岐は変わるものなのか。 学生生活で一度も恋人を作らなかった、部活やサークルをしていなかった、卒業式で袴を着なかった。三回生からのインターンに一社も行っていない。 おおよそ世間、多数派から外れ続ける選択肢を取り続けた結果がこの様か。 と、思うようになった。人生の不調である。 選択肢を間違ったとは思わないが、多数派の選択肢を選びつつも少数の選択肢が多い。少数の選択肢を選ぶ度、道から外れていくような感覚さえ
最近、暇あればステッカーを作っている。 六月の下旬、ちょうど文豪とアルケミストの舞台を観に行く前日に作っていたから、シールを作り始めて四ヵ月ぐらい経った。 24年の人生。半分以上はオタクをやっているが、ペイントツールを投げ出さず向き合っているのは初めてである。 高校の時に使っていたほぼ文鎮のタブレットを無理やり動かし、スマホでも別のペイントツールを使い、印刷したステッカーをちまちま切る。 四ヵ月ほどそんなことをしていた。 おかげさまで、はさみを持つと右の中指が痺れる。 絵を
ごちゃごちゃで、本がたくさんあって、ホコリっぽくて、自分の好きを詰めた部屋は決して寂しくはないのだけれど、あの音がない部屋はどこか足りない気がして、小さい身体の大きな死を思わせる。 金魚の飼い主としての私は一度区切りがついてしまった。 扉を開けて水槽がない生活も、朝起きた時の餌やりが無い生活も、一週間すれば慣れるだろうと思っていた。 が、一向に慣れる気配がない。 飼い主の帰宅に気付いて寄ってくるあの子の姿を期待するし、人間の出てくる方向を向いて待っている姿を思い出す。 も
小学校一年生から聞こえていた音が止まった。 私の日常にはいつも水槽のブクブク、エアレーションの水の音と、モーターの音があった。 それが今は止まって、時計の針の音だけが聞こえる。 金魚が死んだ。 これで私の飼っている金魚は皆、虹の橋を渡ってしまった。 大方、十三歳といったところだろうか。 今頃、向こうでじい様が世話をしてくれていると思いたい。 金魚が死んでから、私は片付けに必死であった。 すぐに新しく金魚を飼う予定はなく、一度処分できるものは処分することにした。餌、劣化した
社会人三日目以来の熱海。 今回は温泉に入った。 熱海に行ったのは九州で地震があって巨大地震がどうだのなんだのと騒がれていた翌日でした。 夏休み真っ盛り、海水浴シーズンの熱海はそんなのどこ吹く風で海水浴客でにぎわっておりました。 年始の石川の地震、ちょうど奈良の志賀直哉旧居で「大きい地震が来たら崩れるかも」みたいな話を聞いた後に巨大地震の話題が上がり、対象地域ど真ん中の起雲閣に行ったのでその分いろいろと考えることはありました。 よく「行ける時に行っといた方がいい」とは言い
久しぶりに書斎に籠る。 さっきから本の周りを一匹の小さな虫が飛び回っている。 狙いを定めて一発叩き、ハッとして二発目の手を止めた。 8月15日、もうそちらの世界への帰り時だろうか。 盆の期間は殺生をしてはいけない。 先祖の霊は虫に乗る、もしくは虫になって戻ってきているという話を昔に聞いたことがある。 なら、この虫も誰かが乗っているかもしれない。 二十歳になって、私にまつわる様々な話を聞いた。 その中には、私の父のことも含まれている。 私はもう既に親の位牌を持っていた。 父
人の家に上がり、日常のサポートをして、また次の家へ。 それが私の仕事。 新卒で訪問介護の仕事を始めて三年になる。 施設とは違う、居宅での介護。 嫌でも考えてしまうのである。 私の未来を、人生を。 他人の家を見て、様々な人生を送ってきた方々と関わって、何かしらを考えない日はない。 ある日突然病に倒れた。 ある日突然事故に遭った。 自分の考えが定まらぬまま、意思疎通が困難になった人。まだまだこれからという時に事故や病気で身体が思うようにならなくなった人。 挙げていけばキリがな
「オカン様、すみません。家にでかい荷物が届きます」 「え?いつ?月末はやめてよ、仕事のが来るからね」 「月末です」 「何が届くの?」 「本66冊です」 「なんて?」 ごちゃごちゃ言われながら、でかくて重い段ボール二箱はオカン様の荷物に紛れて無事にめのうの部屋に到着した。 たまにでかくて重い段ボールが届き、部屋の中ワタワタする娘の姿をオカン様はもう見慣れているだろうか。見慣れた上で「まあ、自分の金だから」と諦めと呆れとその他さまざまな感情を出しつつそれ以上は何も言ってこない。
分かりやすく人間の柔らかい部分を刺していく―― チラシの裏のメモ書き程度のめのうさんが好きな作品の羅列 増えるかも ①「真珠夫人」 我が卒論もとい恋文。 「つ、次はどうなってまうんや!」続きが気になりすぎて長編にも関わらず一日で読み終わってしまった作品。 昼ドラの原作になってますが、ドラマとは大幅に違うので…… 図書カード:真珠夫人 (菊池 寛) https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card4822.html ②「祝盃」 変わっ
世間の子どもたちは夏休みであるらしい。 どこへ行っても夏休み中の子どもたちが集っているし、買い物に行こうなら夏休みの自由研究キットが並んでいる。 良い研究題材を並べる博物館や教育施設も出てくる。 博物館実習で子ども向けギャラリートークの原稿を書いたっけ。 自由研究。 毎年この時期になると思い出す同級生が居る。 小学校一年生の秋。 机の上に夏休みの宿題と各々作ってきた工作やら絵やら自由研究を出していく。 その中で一等クラスの目を引いていたのはYちゃんの昆虫標本だった。 それ
時折、文学関連で作ったアカウントを見るのが嫌になる。 好きなもので何者かになった者が多すぎて。 だって、それは私が欲しかったものであるから。 いいな、注目されて。 いいな、偉い人に目をかけられて。 いいな、他人に認められて。 いいな、学問を続ける余裕があるのだから。 社会人二年目。 大学生の頃のような自由はない。 あるのは金銭の余裕と週二日の休みのみである。 学問に戻りたいという夢も霞んでいく。 「身体を壊して長く休んだら、湯治の片手間に司書資格でも取るよ」 カラカラと笑
濁った目で雨の中を歩いて昼食を買いに行く。 同じ目で同級生の輝くばかりのSNSを眺める。 一畳半の書斎で、数日前から着ている寝巻を着て、カップラーメンを啜る。 恋人も予定もGWの連休もない社会人二年生の休日。 他人に対する苛立ちは、自分の理想を押し付けているからだという。 「他人に対する悪意は結局、奥底にあるのは嫉妬ではないかしら」 学問に戻りたいと思う。 そうは言ったが、何一つそれを迎える努力をしていない。 そんな願望も日に日に霞む。 長らく同期の姿を見ていない。 あ
文学講座のノリで講演会に行ったらえらい目に遭った。 ただそれだけのノートである。 講師を侮辱するつもりもなければなにもない。 自分と方向性が合わなかった、自分の思っているものではなかった。 それもあるかもしれない。が、それだけの問題ではなかった。 これは「こういうこともあるよね」の共有ノートである。 兼ねてより予定していた文学講座の三回目が中止になった。 やることもないし、家で寝とくよりは勉強したい気持ちだったので、別の文学関連の講演会を予約した。 「人生楽しいやつはフット
人生で避け続けていた種類の人間と飲みに行った。 私はド真面目に生きてきた人間であった。 恋人もそういう経験もなければ酒もたばこもきちんと成人してからやった。 陰キャに近い真面目ちゃんで生きていた。 小学校・中学校では俗に呼ばれるスクールカーストの底辺に存在。 一軍・二軍の奴ら――陽キャ――との関わりを避けながら、時に先生に心配されながら、アホだバカだ頭悪い人間だと内心見下して生きていた。 高校は一クラスしかなかったうえ、陽キャといえども頭のいい人間ばかりなのでそれなりに付き
他人の人生を見る仕事だと思う。 会う人会う人、増える度に人生を覗き見る。 そして、自分の人生を考える。 死生観、老後、人生の最期。 二年前の三月。 「ありがとう」 年老いた、皺の深く入った彼女は微かに言った。 自分の孫が死に、娘が死んだ。十何年顔も見ていないひ孫が訪れた。 長く生きる。 長寿も決しておめでたいものではないのだと、潤んだ瞳に宿っていた。 人生の目標を一つ、また一つと達成していく。 人生いつ終わるかもわからないし、いつ動けなくなるかわからない。 文学講座を受