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ももこが小学校高学年になったときのこと。 ある日の授業中、児童たちがこっそり仲間内でメモを回しているのを見つけた担任がそのメモを取り上げた。 メモには、同級生の名前を記して「○ね」と書かれていた。 すぐに犯人捜しを始めた担任が、「これはももこさんの字ではないですか」と言い始め、ももこは問い詰められた。 身に覚えのないことを言われて、ももこは全力で否定したが担任の疑いは晴れないまま。同級生の中にはももこの字ではないし、ももこはそんなことをする子ではないと担任に告げるが、納得して
小学生になってから、ももこは一輪車や縄跳びを休み時間ごとに練習してできるようになった。 3月生まれで他の子たちより何でも遅かったももこは、少しずつ「やればできる」ことを実感していったようだった。 仲良しのお友達もできて、それなりに楽しい小学校生活を送っていた。 ももこは、とてもお友達を大切にする子どもだった。 特に教えた覚えもないけれど、悪口は言わない、意地悪はしない。 当たり前なのだけれど、自分がされて嫌な事は人にはしない子だった。 ももこは、1年生の途中から転校してき
ももこは通っていた幼稚園の近くにある公立小学校を選び、電車で通う事になった。 その当時、同じ区内での越境入学はそれほど厳しくなく、知り合いがいればあっさり認めてもらえた。 とはいえ小学生になったばかりのももこが一人で電車で登校するには私も相当不安があった。 当の本人はどう考えていたのか、幼稚園と同様私が登下校の付き添いをするものと思っていた節もある(本人は言わなかったけれど)。 さてどうしたものかと考えた結果、入学式の翌日から一人で電車に乗せるのは母娘どちらも不安。それ
ももこが通う小さな幼稚園では、毎年2月にマラソン大会を開催していた。 マラソンと言っても走るのは園児なので、年少さん、年中さん、年長さんに適した距離で、おなじみの公園を走るものだった。 ももこは何事にもマイペースな子だったし、新しい事に慣れるのも人より時間がかかった。 年少さんの時のマラソン大会は、初めての行事に参加してお腹が痛くなったり、泣きだすことも十分考えられたので、ももこから私の姿が見えるように移動しながら見守っていた。 大人にとってはちょっとそこまでの距離でも、
ももこが通った幼稚園は、各学年一桁の人数しかおらず、全体の在籍数は多い時でも30名程度だった。 そんな小さな幼稚園でも、他の園では経験できない行事がたくさんあった。まず、遠足。親子遠足と先生と園児だけで行く遠足があり、親子遠足は年に2回、先生と園児だけで行くのは、2か月に1回程度行われていた。 学年によって人数のばらつきがあるが、年長さんは必ず年少さんのお世話をしながら遠足に行く事になっていた。 年長さんは年下の子を必ず道路の白線の内側を歩かせること。年少さんのペースに
ももこが年少の時は、毎日シール貼りのお仕事をするか、きゅうりやニンジンを切るお仕事をしていた。 幼少のときに腕を動かす動作をするのが良いらしく、包丁を使う、コーヒーミルを回す、アイロンを使うなど、なかなか家庭ではさせない事を幼稚園では経験させてもらえた。 包丁は子ども用包丁を使い、実際に野菜を切ったりしていたが、コーヒーミルは空っぽのままゴリゴリと回したり、アイロンもコンセントをささずに布の上でアイロンを動かす等、二の腕を動かす訓練になる「お仕事」もあった。 ももこは、
幼稚園の玄関先で泣き、教室で泣いていたももこは、いつの間にか泣かないで「お仕事」に没頭するようになっていた。 モンテッソーリ教育を行う幼稚園では、子どもが自主的に行う事を「おしごと」と呼び、子どもたちのために多くの教具が用意されている。 ももこが3年半の幼稚園生活を通して大好きだったのが、シール貼り。色々な形が描かれた台紙にシールを貼っていくもので、シール数枚で形を作れるものから、複雑な図形をシールで埋めていくものまである。 たかがシール貼りと思うかもしれないが、幼いも
🌸2歳半で幼稚園に入ったももこの生活を何回かに分けて書いていきます。 モンテッソーリ教育の幼稚園に入園したももこ。2歳半のクラスは、幼稚園生活に慣れさせるために、まず短時間で週に2回から3回、様子を見ながらの通園だった。保護者の手を離れて、初めて見知らぬ子どもたちと集団生活を送る事は、2歳半の子にとってかかるストレスは大きい。 ももこが望んで入園した幼稚園でも、ももこは園の玄関で上履きに履き替える途中で泣き出して「おうちに帰る」と言い出したりした。「じゃあ帰ろう」と私が言
ももこはももこの世界を守って生きてきた。嫌なものは断固拒否。やってみたいことは、下手でも遅くてもとにかく頑張る。 ももこはいつも家で遊んでいた。一人っ子なので誰かと一緒に遊ぶ経験が必要だと思い、公園に連れて行っても結局は一人で遊んでいた。 仲良くなった近所の女の子は、いつもももこを呼んで一緒に遊ぼうとするのに、ももこは知らんぷりして一人で遊んでいる。 そんな調子なので、人と交わる経験がなさすぎるももこに不安を抱いた私は、近所の友人に誘われるままにリトミックの体験に出かけ
娘のももこが幼稚園児の頃、林試の森公園によく遊びに行った。 林試の森公園のアスレチックはそれほど多くないが、家からさほど遠くなく、たっぷり遊ぶには十分だった。 ここのアスレチックでも、ももこは一日かけて挑戦することになる。遊具の名前は分からないが、網目状のロープの上を歩いたりくぐったりするもので、小学生であれば割と簡単に遊べるレベルのものだが、4歳の、それも怖がりのももこにとってはかなりハードルの高い遊具だった。 ある日ももこは林試の森公園に着くなり、その遊具に向かって
娘は怖がり。良く言えば慎重。 ももこが幼い頃、遊具がたくさんある大きな公園によく連れて行った。普段は砂場で遊んだり、家の中で縫いぐるみ相手に一人で何役もやりながら飽きもせず遊んでいる子だった。 大人しいかといえばそうでもなく、アスレチックには興味を示していた。興味はあるけれどちょっと怖い。 ある時、横浜にあるフィールドアスレチックに連れて行った時の事。滑車のついたロープで滑っていく遊具を見て、ももこはやりたいと言った。ターザンみたいなあれ?フィールドアスレチック初心者で
エリック・カールさんが亡くなった。作品は読んだことがなくても、「はらぺこあおむし」の装丁だけでも記憶に残っている方も多いだろう。もうとっくに成人を過ぎている私の娘も持っている、たくさんの絵本の中の一冊。 エリック・カールさんのファンが多い中、我が家の娘の評価はイマイチだった。作品の良し悪しではなく、単に虫が出てくるお話は娘の好みではなかっただけ。 娘が何度も何度も読み、何度も私に読み聞かせをねだったお話は、動物が出てくるものが多かった。「ごんぎつね」「手袋を買いに」「きい