鉄塔の上の君達と、見上げる私達と。
賽助 著 『君と夏が、鉄塔の上』
「伊達くんって、ちょっと気持ち悪いね」
辛辣な一言を放つのは、この物語で暴走するヒロイン 帆月蒼唯である。
改めて上の台詞を読んでみて欲しい。今までの人生で、他人様に向けて「気持ち悪い」というこの上なくストレートな悪口を、よりによって本人に発する機会が貴方にあっただろうか。私はない。言われたことはあるけど。
この台詞は主人公の少年、伊達成実に向けられる。どちらかといえば内向的で、少しマニアックで、“鉄塔”と呼ばれる巨大建造物の種類や分布地域の知識に長けているものの、帆月と同じごくごく普通の中学生である。
豊富な知識を持つのは、何にしても素晴らしいことだ。
伊達君の“鉄塔”への想いがひしひしと物語から伝わってくる。
好きだからこそ、知りたいと思う。そして詳しくなる。
好きなものへの探究心、ひいては愛への探究心を、誰が阻害できるというのだろうか。
例えそれが他者から見れば異様であったとしても、「気持ち悪い」と形容されかねない姿であったとしてもだ、そんなもの勝手に言わせておけば良い。間違いなく、紛うことなく、好きなものを愛する姿は美しいではないか。
愛するものを持つ人生は、美しいではないか。
……なぜ私は、こんなに必死になっているのだろうか。
まるで伊達くんの隣で帆月と向き合っているような錯覚に陥ってしまう。
私が主人公の伊達君だったら、この一言で膝から崩れ落ちているだろう。
ヒロインの帆月は真っ直ぐで、強い。強くて、眩しい。
それはもう、ため息が出るほどに。
「気持ち悪い」と思ったら、そのまま口に出してしまう。
私たちが、「大人だから」と手放してしまった正直さを、彼女はその強さで身体の中に抱えている。
物語序盤で彼女は、自転車を学校の校舎屋上へ持ち込み、あろうことかその自転車に手製の羽とプロペラを装着し宙へ向かって勢いよく漕ぎ出した。
ありえない。ライト兄弟か。
当然、自転車は飛ぶことなく落下。
右腕の骨にヒビが入り、全身数箇所を裂傷、打撲した彼女の口から洩れた言葉に目を疑った。
「計算を間違えた」
……嘘やん。先に「痛っ」て言うやろ。
帆月の目には、怪我をしている自分すらも映っていないのだろう。
彼女の気持ちは落下した瞬間からもう前に真っ直ぐ進み始めている。
彼女がこんな無謀な挑戦をするに至った理由は、彼女の抱える悩みと、この物語に描かれるテーマへ繋がっていく。
彼女の言葉は、時に容赦がない。真っ直ぐな言葉は、まばゆい輝きをもって歪んでしまった私の心に刺さる。
きっと、とうの昔に夏休みが無くなってしまった大人たちにも、少なからず帆月の言葉は突き刺さると思う。
人に言われたら、「わかってるよ」と言いたくなる。
「そんなの、きれいごとじゃないか」と思ってしまう。
それでも、帆月は平気で言ってのける。
「行ったことも、やったこともない奴が意味ないなんて言っちゃ駄目よ。やってみて初めて“ああ、これは意味なかったな”って分かるんだから」
伊達君の代わりに膝から崩れ落ちる私。
本当は、何事もやってみないとわからない。
でも、やってみた結果意味がないかもしれない。
一度そう考えてしまうと、実行に移すのは億劫になってしまう。
彼女はそんな私達に喝を入れてくれる。
やってみても、結局駄目かもしれない。何も起こらないかもしれない。
でも、何もしなかったら絶対に何も起こらない。絶対に。
当たり前のことだ。でも、重い言葉だと改めて思う。
どうせ駄目だと諦めた自覚があれば、確実に重く、鋭く突き刺さる言葉だ。
大人になるにつれて、いつの間にか捨ててしまった“真っ直ぐな強さ”に帆月は気づかせてくれる。そして叱咤してくれる。
——忘れられたら、死ぬ。
この物語は、主人公の伊達君と霊感を持つクールな比奈山君、二人の男子が破天荒帆月の見つけた「鉄塔の上に座っている男の子」の正体を明らかにするために大奔走する物語である。
物語に込められたテーマには、夏と鉄塔に囲まれた爽やかな青春描写と裏腹に心の奥底に浸み込んでいくような重苦しさがある。
主人公の帆月は、忘れられることを恐れている。
「私、このままじゃ色んな人に忘れられて、色んな人の中で死んじゃうんだって思ったの。だから……」
帆月はそう言うと、言葉を詰まらせてしまう。
彼女は大切な人から忘れられてしまった経験によって、関わった相手の記憶から自分が消えることを「死んでしまう」と表現し恐れている。
「忘れる」というのは、人が生きていくために必要不可欠な脳の機能である。忘れていくからこそ、人は前を向いて歩ける。
思い出したくもない失敗や聞こえてしまった陰口、突然ぶつけられた罵詈雑言に謂れのない悪口も。全て覚えていたら、身が持たない。
これまで、この「忘れる」機能に何度も頼り、何度も救われてきた。
私には、人間関係をリセットする悪癖がある。
本当にリセットしたいのは、過去の自分自身なのだろうと思う。過去の自分の言動が恥ずかしくて、認められない。
過去の自分をリセットするために、過去の関係ごとリセットしたくなる。過去の自分を覚えている人ごと、消してしまいたくなる。
ダサくて、陰気で、どんくさい過去の自分を無かったことにしたい。
だから私には、「忘れてほしくない」という感覚はなかった。
帆月に言わせれば、私は関わった人達の中の自分を殺してきた。
だからこそ、帆月の感性は強烈に眩しい。
自分に嘘をつかず、真っ直ぐに相手とぶつかって、傷ついて、それでも真っ直ぐに人と関わることを止めない、強い帆月。
きっと、彼女のような鮮烈な人間は人の心に残る。
恐れずとも、きっと鮮明にその存在を焼き付ける。
鉄塔を見上げる度、少なくとも私の脳裏には眉間に皺を寄せた彼女の顔と、「気持ち悪い」という台詞が浮かんでいる。
私にも、「忘れられたくない自分」として生きることができるだろうか。
『君と夏が鉄塔の上』は、読むとあの頃の夏休みに戻らせてくれる。
現役の学生さんももちろんだが、夏休みをもう味わうことのない大人の皆様に是非読んでほしい。
そして私と一緒に、少し甘酸っぱくてかなり切ない気分を味わってほしい。
私もこんな青春したかった……
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