邂逅

 今日もあのひとがいつもの道を歩いている。
 あれ、あのひとの前からおばあさんが歩いてきた。大きな荷物を抱えて、ふらふらと危なっかしく歩いている。それに気づいたあのひとは、心配そうに声をかけて荷物を持ってあげた。二人は談笑しながら歩いていく。
 やっぱりあのひとは優しいなぁ。
 私は二ヶ月前、家の玄関でアイツに蹴飛ばされた。アイツは私を追い出そうとしたのだ。そうして道路に転がり出たところを、あのひとに助けてもらった。あのひとは傷だらけの私を病院に連れていき、手術後も熱心に面倒を見てくれた。私はあのひとに感謝してもしきれないくらいだった。そのうち、有難さよりも申し訳なさが勝つようになっていった。ちょうどその頃、なんとか歩けるくらいに回復していた私は、あのひとのもとから離れた。あのひとは私を探し回ってくれたみたいだけど、私は戻らなかった。
 本当は戻りたくてたまらない。今も、あのひとのもとに駆け寄りたい。胸が苦しくて、切ない気持ちでいっぱいで。
 ――ああ、こんな思いをするなら、あのひとと、出会わなければよかったのに。

 おばあさんを家まで送り届けると、辺りをきょろきょろと見まわす。くせになっていることだった。だけどやっぱりあの子の姿は見当たらない。
 そうか、と小さくため息をつく。いったいどこへ行ってしまったんだろう、と青い空を仰ぐと、後ろから静かな足音が近づいてくることに気づいた。
 足音のする方を振り向くと、陽光を受けた何かがきらりと光るのが見えた。その正体がわかった途端、体が硬直する。
 ――ああ、こんなことになるなら、あんなところに、出遭わなければよかったのに。

 あなたはすごく優しい。会社で浮いてるアタシにも、すごくすごく優しかった。
 だけど、その優しさはあの日までだった。その時にアタシは気づいたの。
 あなたは誰にでも優しかったんだって。
 だからアタシは決めたわ。あんな奴ばかり見ているあなたの姿なんて見たくない。だったらあなたがアタシのことしか見えないようにしてしまえばいいの。そう、永遠にね。
 アタシは冷たく光るナイフを手にして家を出た。
 もうすぐよ。もうすぐなのよ。
 こんなことになったのはあなたのせい。あなたが優しくしなければ、こんなに好きにはならなかった。あなたに好きになってもらえなくて、悲しい気持ちになることだってなかった。
 アタシは、あなたの背中に近づきナイフを振り上げて思う。
 ――ああ、こんなことをしなくちゃいけないなら、あなたとなんて、出逢わなければよかったのに。

 異変に気づいたのは、あのひとが空を見上げた時だった。
 私が隠れて見ていることに気づかれる。
そう思ってその場から逃げ出そうとした瞬間、あのひとの背後にアイツが忍び寄るのがわかった。アイツの手にはナイフが握られている。
 危ない、そう思うと同時に体が動いていた。
 私はその場から飛び降りると、アイツの手に爪を立てて引っ掻いた。
「ギャァァァ!」
 醜い悲鳴が響き渡る。カラン、と音がしてアイツの手からナイフが落ちた。
 私はその場に立ち尽くしているそのひとを促すようにして走り出した。そのひとは恐怖に怯えた顔のまま、私に引っ張られるようにしてついてくる。
「え、ど、どうして君が……」
 いいから急いで。
 私は目で合図してから走るスピードを上げた。

 事件の後、引っ越しをした。もともと住んでいた街からは遠く離れた地で、今はあの子と暮らしている。
 あの時、なんであの子が現れたのかは、今もわからないままだ。でも、引っ越してから、以前の何倍も幸せな暮らしをしていることには間違いない。
「ありがとね。君と出会えてよかったよ」
 膝の上で丸くなるその子に微笑みかけると、彼女は
「にゃあ」
と鳴いて、ゴロゴロと満足そうに喉を鳴らした。

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