この世界には2種類の人間がいる。 素顔の人間か、『マスク』を被った人間か。 目の前の男が顔に手をかける。 それがぺりぺりと剥がされていくその音とともに、私の中の何かが崩れ落ちていくのを感じた。 彼も、ただ『マスク』を被った人間だったというだけなのに。 1 「うーん」 目を覚ました私は大きく伸びをした。 カーテンの隙間からは朝日が差しこんでいる。 私は布団を脇によせ、起き上がると、洗面所に向かった。 顔を洗い、それから鏡を見ないようにして日課の"メイク"
やわらかい夕陽色に染まった河原で、一人の男が水切りをしていた。 手近な石を拾っては投げ、二度跳ねては沈む。その繰り返しだった。 もう幾つ投げただろうか。 男はまた石を拾うと、それを少し見つめた。 跳んでくれ。 そう願いを込めて投げた石は、 トン、トン…… 二度跳ねて、 ポチャン。 落ちた。 水面に広がる波紋を、男は死んだ目でしばらく見つめていたが、やがて諦めたようにため息をついて空を見上げた。 「……はぁ……」 綺麗なグラデーションを描く夕焼け空が広が
ヒュウ…ゴオォ…。 橋を渡っていた。 この橋の上はなぜだかいつも、風が強く感じられる。 肩までの髪が顔にかかり、邪魔だなぁと思いながら手で耳にかける。 右手の車道にはスピード違反ギリギリの車がビュンビュン走っていた。 そうか、今日は一人なんだっけ。 ふとそんなことを思う。 だけどすぐにその考えは消えて、私はまた風の中を歩いていった。 通学カバンをぶらぶら揺らしながら、ぼーっと橋を渡っていると、左手、橋の下の少し濁った川の中に、何やら蠢くものが見えた気がした。
今日もあのひとがいつもの道を歩いている。 あれ、あのひとの前からおばあさんが歩いてきた。大きな荷物を抱えて、ふらふらと危なっかしく歩いている。それに気づいたあのひとは、心配そうに声をかけて荷物を持ってあげた。二人は談笑しながら歩いていく。 やっぱりあのひとは優しいなぁ。 私は二ヶ月前、家の玄関でアイツに蹴飛ばされた。アイツは私を追い出そうとしたのだ。そうして道路に転がり出たところを、あのひとに助けてもらった。あのひとは傷だらけの私を病院に連れていき、手術後も熱心に面倒
雨が好きだ。 そう言う人は珍しいだろう。 だけど、私は雨が好きだ。 なぜって、私の頬に流れる涙が紛れるから。 傘も差さずに雨に打たれていると、涙とともに悲しみも紛れる気がする。 大好きだった彼がいなくなった悲しみが。 飼い猫のコタロウが亡くなったのは一週間前のことだった。 猫はもともと自由な生き物だから、ふらっと出かけてふらっと帰ってくることもあるものだよ。 飼いはじめる時、お父さんはそう言った。 だけど、コタロウは猫にしては珍しく、なかなか自分からは家
明日から新元号、とテレビから声が聞こえた。今日で平成も終わりだと思った時に、ふと気が付く。 平成31年の5月から12月はどうなるのだろうか。 俺はその瞬間猛烈な睡魔に襲われ、眠りに落ちていった。 1 「新(あらた)、起きて!」 母さんの声に起こされ、俺はもぞもぞと布団から出た。 今日は休みだったような気がするのだが、と思いながらリビングのドアを開けると、食卓にはもう弟の元(はじめ)が座っていた。 「おはよ、兄ちゃん」 「おう。……なあ、今日って休みじゃなかったっ
1 カツ、カツ、カツ。 ハイヒールを鳴らしながら一人の女が歩いている。 カツ、カツ、カツ、カツ。 やがてその音が二重になり重なり合う。 カツカツカツカツ。カツカツカツカツ。 女が足を速めると、その音も速くなる。 女は怯え、目の前の角を右に曲がる。 続いて、右、右、右。 その途端、不意に目の前に現れた女にぶつかり、二人はしりもちをついた。 「わあ!ごめんなさい、大丈夫?」 突如現れた女はおっとりとした声で、ハイヒールを履いたスーツ姿の女に声をかけた。 「い