回る双子

 ヒュウ…ゴオォ…。
 橋を渡っていた。
 この橋の上はなぜだかいつも、風が強く感じられる。
 肩までの髪が顔にかかり、邪魔だなぁと思いながら手で耳にかける。
 右手の車道にはスピード違反ギリギリの車がビュンビュン走っていた。
 そうか、今日は一人なんだっけ。
 ふとそんなことを思う。
 だけどすぐにその考えは消えて、私はまた風の中を歩いていった。
 通学カバンをぶらぶら揺らしながら、ぼーっと橋を渡っていると、左手、橋の下の少し濁った川の中に、何やら蠢くものが見えた気がした。
 訝しく思ってじっと目を凝らす。
 大きい。魚の群れか……いや、何か一つの生き物のようだ。
 更によく見ようと橋の欄干に手をかけた途端、ゴォッ、とひときわ強い風が吹いた。
 危ない!
 そう思った時には欄干から手が離れ、フラフラと車道側に出てしまった。足がもつれる。
 プーーーーッ!
 ドン、という強い衝撃とともに体が宙に舞う。
 大きなクラクションの音が響くなか、私の意識は遠のいていった。


*リコの話

 ピンポーン。
 チャイムの音で目が覚めた。慌てて起き上がり時計を見ると、時計の針は八時を指していた。
「うわぁーーーーっ!?」
 私は布団をはねのけると、慌てて洗面所に向かった。
 お母さんってば、なんで起こしてくれないのよ!?
 私は顔を洗うと部屋に戻り、急いで制服に着替える。
 ピンポーン。
 またチャイムが鳴った。
「今行くからー!」
 私はチャイムの主に叫ぶと、カバンを引っ掴んで階段を駆け下りた。
 靴に足を突っ込んで玄関のドアを開けると、そこには見慣れた健斗の顔があった。
「リコ、遅いぞー」
「ごめんって! お母さんが起こしてくれなかったの!」
 私が靴のかかとを直しながら言うと、
「目覚ましは?」
「かけたけど気づかなかった!」
「まったく、いいかげん自分で起きられるようにしろよなー。俺が来なかったら遅刻だったろ?」
 健斗が腕を組んでため息をつく。
「ごめんごめん、ほんと感謝してるから!」
 私が手を合わせると、健斗はやれやれといった様子で
「ほら、行くぞ」
と歩き出した。
 私と健斗は幼馴染みだ。同い年なんだけど、なんと誕生日も三日違いで、生まれた時から一緒と言っていい。
 家も空き地を挟んで隣で、高校生になった今でも一緒に通学している。
 というのも、私が大の遅刻魔で、健斗が来てくれないと出席日数が危ないからだ。
 そういえば、と私は健斗に追いついて口を開いた。
「あの空き地って売れたんだっけ?」
「そうそう、持ち主のおじいさんが亡くなってからすぐ売れたらしいよ」
「そうなんだ」
 私が頷くと、
「噂によると、金髪碧眼の外国人が買い取ったらしい。なんでも引越し先を探してたんだと」
 健斗が教えてくれた。
「え、こんな田舎にどうして?」
「なんでだろうな……。ここなんて川が綺麗なことくらいしか自慢できるところないもんな」
「うん……交通の便も良くないしねぇ」
 私たちが二人で首をひねったとき、
 キーンコーンカーンコーン。
「やばい!予鈴じゃん!」
「お前が起きてこないからだろ!」
「健斗だってのんびりしゃべってたじゃん!」
「とにかく急ぐぞ!!」
 私は頷くと、健斗の後を追って駆け出した。


 それから数日後、私たちの家の間の空き地で工事が始まり、なんと三ヶ月後には隣の家はすっかり完成し、あとは居住者を待つのみとなっていた。
 毎日のようにソワソワと窓から隣を覗いていると、ある日曜日、隣の家の庭に白い車が入っていくのが見えた。続いて家の前には大きなトラックが停まった。
「これはもしや……!」
 私が思わずつぶやくと、白い車から背の高い女性が降りてきた。その髪は陽光を金色に反射している。続いて反対側のドアから、女性よりは白っぽいものの、やはり金髪の男性が降り立った。遠目で見えないが、やはり相当背が高そうだ。
 どこの国の人だろう……。
 私がそんなことを思っていると、男性が車の後ろのドアを開け、中に手招きする。目を凝らしていると、なんとも可愛らしい男の子と女の子が現れた。
 次の瞬間、私はドキッとした。
 芝生に降り立った女の子が、パッとこちらを見上げて微笑んだのだ。続いてその子によく似た男の子もこちらを見上げる。
 私は慌てて窓から離れると、ベッドに座り込んだ。
 なんだろう、覗いていたのを咎められるような背徳感だけではない、何か不思議なものを見てしまったような、そんな理由から心拍数が上がっているような気がした。

 ピンポーン。
 しばらくしてチャイムが鳴った。
 お母さんが応対しているようだが、なにやら相手の話す言葉が片言のような気がする。
 来た。
 私はまた心拍数が上がるような気がした。
「リコー!お隣さんよー」
「はーい」
 私はちょっとビクビクしながら階段を降りて玄関に向かった。
 そこで両親と向かい合っていたのは、先ほど見た背の高い金髪の男女、そして、美しい青い目をした男の子と女の子だった。
「ヨロシクオネガイシマス」
 男性の言葉に続き女性が頭を下げる。
 私も頭を下げて挨拶した。
「よ、よろしくお願いします……」
 すると、
「よろしくね、おねえちゃん!」
「よろしく〜」
 流暢な日本語で女の子と男の子が挨拶をした。
「日本語上手なのねぇ」
 私のお母さんが手を合わせて驚くと、
「この子たちは日本のアニメが大好きで、スウェーデンにいた頃から日本語を話してたんですよ」
 相変わらず片言の女性が答えた。
「すごいわぁ、でもお母さんもお上手よ」
 お母さん同士が盛り上がり、お父さん同士が照れたように会釈し合うなか、男の子が私に声をかける。
「おねえちゃんはなんて名前なの?」
「り、リコだよ」
 私がおずおずと答えると、
「そうなんだ!僕はビル」
「私はマチルダ!」
 二人の子は元気よく答えてくれた。
 こうやって見ると、なんてことはない、普通の可愛い子どもたちだった。
「おねえちゃん、ばいばーい」
 親同士の話が終わると、二人の子どもは大きく手を振って帰っていった。
「あの双子ちゃん、リコのところの小学校に通うらしいのよ〜、だから朝は送っていってあげてね」
 お母さんが言い出したので、私は渋々頷いた。
 せっかくの健斗との時間が邪魔されてしまうような気がして……って、なに考えてるんだろう、私。
 私はその考えを振り払うようにブンブンと頭を振った。


 次の日の放課後、私は健斗と連れ立って双子の通う小学校に向かった。
 私の学校は小中高一貫なので、小学校の校舎はすぐそばにある。
 双子は校庭で他の小学生たちとサッカーをして遊んでいた。
「おーい」
 健斗が声をかけると、双子はパッとこちらを見て顔を輝かせた。それから周りの子どもたちに、
「帰るねー、バイバイ!」
と声をかけてからこちらに向かって駆けてきた。
「健斗にいちゃん、リコねえちゃん!」
「帰ろ帰ろ〜」
 ビルとマチルダが口々に言う。
 私と健斗は顔を見合わせて微笑むと、私がマチルダ、健斗がビルと手を繋いで歩き出した。
 しばらく歩いたところで、マチルダが私を見上げて口を開いた。
「リコおねえちゃんは、健斗おにいちゃんのことが好きなの?」
「なっ…」
 私は頬が熱くなるのを感じた。澄んだ青い目がじっと私を見つめてくる。
「え、なになにどうしたの?」
 前を歩いていたビルも振り返って私とマチルダを交互に見た。
「なんでもありません!ビルもちゃんと前を向いて歩かないとだめでしょ」
「じゃあ好きじゃないの?」
 マチルダがまた問いかけたので、私は健斗の方を見ずに
「好きじゃないよ、健斗は幼馴染みなんだから」
と答えた。
「理由になってないけどなぁ」
 マチルダが口を膨らまし、健斗は困ったように笑っていた。
 私はあはは、と乾いた笑いを漏らしながら、ズキズキと胸が痛むのを感じた。


 その次の日の放課後。
 健斗は剣道部の活動があったため、私は一人で小学校に向かった。
「リコおねえちゃんだー!」
 私が校庭に入るとすぐにマチルダがこちらに気づき、駆け寄ってきた。
「かーえろ、かえろ、お家に帰ろ」
 ビルが節をつけて言いながらその後をついてきた。
 校庭を出ると、またマチルダが口を開いた。
「おねえちゃん、昨日のあれ、嘘でしょー」
「き、昨日の?」
「本当は健斗おにいちゃんのことが好きなんでしょ」
 マチルダは丸い目をくりくりさせていた。
「嘘つきはだめだよー」
 そっくりの顔でビルも言う。
「やめてよ二人ともー」
 私は笑いながら言ったが、双子は聞く耳を持たない。
「おねえちゃんが素直になるなら、占いの方法教えちゃうのになー」
「未来がわかっちゃうのになー」
 二人は私の周りをくるくると走り回りながらそう言った。
「何それ?」
 気になって思わず聞くと、
「おねえちゃん、認める?」
「健斗にいちゃんのことが?」
 二人はぱたっと止まって私を見上げた。
 吸い込まれそうな青い瞳に見つめられ、私は思わず答えていた。
「あーわかったわかった、わかったから!内緒だよ、私は健斗のことが好き!これでいいでしょ?」
 双子はニヤリと笑って顔を見合わせると、パタパタと音を立てて走りだした。
「ちょっと、二人ともー!?」
「占いしよー!」
「おねえちゃん、早く早く!」
「わかったから、待ってってばー!」
 私は慌てて双子を追いかけた。

 双子は家に着くと、裏庭に私を案内した。
「おねえちゃんは、これからスキップしながらここをくるくる回ってね」
「こんな感じだよー、僕に続いてやってみてよ」
 言い終えると、ビルは庭に円を描くようにスキップを始めた。
 私は二人に促されるまま、ビルの後に続いた。
「そうそう、そんな感じだよ」
「じゃあ、あたしも入るね」
 ビルに続いてそう言ったマチルダは、私の後に続いてスキップを始めた。そのまま三人のスキップが庭に円を描きだす。
「〜〜〜〜♪」
 そのうち、双子が何やら歌い出した。母国語なのだろう、私には聞き取れない。だけどどこか心地良くて、私はふわふわと高揚した気分になっていった。
 やがて、私の意識は徐々に遠のいていったーー。

 ドンッ。
 体に強い衝撃が走った気がしてパッと目を開けると、目の前には心配そうに私を見つめる双子の顔があった。
「おねえちゃん!」
「大丈夫?」
「あぁ……」
 小さくうめき声をあげて起き上がると、体のどこも痛くはなかった。
「あれっ?」
「どうかしたの?」
 不思議に思って体じゅうを見回していると、マチルダに尋ねられた。
「いや、実はね……」
 私が説明すると、
「なるほど、リコねえちゃんはきっと予言を受けられたんだね」
「つまり、未来を見たってこと」
 双子が説明してくれた。
「でも私、内容を覚えてないんだよね……」
「まぁ、初めてだもんね」
「そういうこともあるよ」
 落ち込む私の背中を、二人がポンポンと軽く叩いた。


 それから数日間、私は双子の占いで見たはずの未来のことを思い出そうと必死になったが、断片的にすら思い出すことはできなかった。その代わりに、何か漠然とした不安感が膨らんでいくことだけが気にかかっていた。

 そんなある日のこと、私は委員会活動で帰りが遅くなり、最近には珍しく一人で帰っていた。
 薄暗い空の下、のんびりとマイペースに進む。
 そして、帰路の途中の橋にさしかかった時、何か不思議な感じがした。
 ヒュウ…ゴオォ…。
 強い風が吹いている。
 この橋の上はなぜだかいつも、風が強く感じられる。
 肩までの髪が顔にかかり、邪魔だなぁと思いながら手で耳にかける。
 右手の車道にはスピード違反ギリギリの車がビュンビュン走っていた。
 いつかどこかで見たような気がする。
 ふとそんなことを思う。
 だけどすぐにその考えは消えて、私はまた風の中を歩いていった。
 通学カバンをぶらぶら揺らしながら、ぼーっと橋を渡っていると、左手、橋の下の少し濁った川の中に、何やら蠢くものが見えた気がした。
 訝しく思ってじっと目を凝らす。
 大きい。魚の群れか……いや、何か一つの生き物のようだ。
 更によく見ようと橋の欄干に手をかけた途端、ゴォッ、とひときわ強い風が吹いた。
 危ない!
 そう思った時には欄干から手が離れ、フラフラと車道側に出てしまった。足がもつれる。
 プーーーーッ!
 ドン、という強い衝撃とともに体が宙に舞う。
 大きなクラクションの音が響き、薄れゆく意識のなか、私はこのデジャヴの正体が占いだったことを思い出していたーー。


*健斗の話

 プルルルル!
 鳴り響く電話の音で目が覚めた。
 窓の外は暗い。
 今の状況が理解できず、よくよく振り返ってみると、双子と一緒に学校から帰ってすぐにベッドにダイブしたところまでが思い出せた。そしてそのまま眠ってしまっていたようだ。
 俺は慌てて電話に出る。
「もしもし健斗くん? 今日リコと帰ってきた?」
 電話の向こうからは、切羽詰まった様子のリコの母親の声が聞こえてきた。
「いえ、リコは委員会で遅くなるって聞いたので…」
「リコがまだ帰ってきてないのよ! どうしましょう…」
「えっ?」
 パッと振り返り時計を見ると、もう夜の十一時だ。リコがこんなに夜遅くまで遊び歩いているとは考えにくい。
「俺、探してきます」
 思わずそう言って電話を切っていた。
 慌てて家を飛び出し、学校への道を辿る。
 リコ、リコ、どこへ行ったんだ?
 焦って駆け出しそうになるのを抑えつつ、辺りを見回しながら進んでいく。
 すると、橋を渡ろうとした時に異変に気づいた。途中に何か落ちている。
 近づくとそれはリコの鞄だった。
 辺りをよく観察すると、道にブレーキ痕のようなものが残っているのが見て取れた。
 まさか……。
 俺が最悪の事態を思い浮かべた時、ポン、と背中を叩かれた。小さな手……これは、
「おにいちゃん!」
 振り返ると、金髪の双子がそこに立っていた。
「こんな夜遅くになんで……?」
「いいから、いいから」
「それより、行くよ!」
「行くって、どこに?」
 俺が双子にほだされて聞くと、
「"向こう"の世界だよ」
 二人は声を揃えてこちらを見上げた。
「それって、どういう……?」
「早くしないと、リコねえちゃんが危ないよ」
「急げ、急げ!」
 俺が二人の指差す方を見ると、そこには川の真っ暗な水面が待ち構えていた。
「川……?」
「そうだよ!」
「行くよ!」
 俺は二人に促され、欄干に手をかける。
 そしてそのままひらりと飛び越えて、目を瞑って……川に落ちーー

なかった。
 俺は水しぶきを上げることもなく、とぷん……という微かな感触を肌に抱いて、そしてふわふわと宙に浮いているような感覚を得ていた。
 恐る恐る目を開けると、辺りは青紫色だった。上も下もないような世界。そこに俺は浮いていた。
 しばらくすると、自分がゆっくりと"下"にいっているのがわかった。そのまま"着地"する。
 キョロキョロと辺りを見回し、双子を探すと、少し離れたところにうずくまっている影が見えた。あれはーー
「リコ!!」
 俺が駆け寄ろうとすると、目の前に一羽の鳥が現れ、遮ってきた。
 俺が手で避けようとすると、
「健斗、僕だよ、ビルだよ」
 鳥が言葉を話した。俺が驚いて目を丸くすると、
「待って、今のままじゃ危ない」
 ビルの声をした鳥はそう続けた。
 その時、ズシーン……ズシーン……と地響きがして、リコの向こうから大きな黒い影がやってくるのが見えた。
「あれは……!?」
「トロールだよ。このまま健斗にいちゃんが立ち向かっても、リコねえちゃん諸共やられちゃう。だから……」
 その青い鳥は言葉を切った。
「にいちゃんには、これから神を降ろす」
「え……?」
 俺には彼の言葉が理解できなかった。そもそも川に飛び込んだはずなのに、青紫の怪しげな空間に浮いていたところから理解が追いついていないというのに、神を降ろす?
「一体どういう……」
「いいから!」
 俺の言葉をビルが遮った。そして、どこからか取り出した毛皮のコートのようなものを俺に放る。
「これを着て、スキップしながらくるくる回って」
「わ、わかった!」
 よくわからないが、背に腹は変えられない。
 俺は濃い灰色の毛皮を羽織り、スキップを始めた。
 それと同時にどこからか歌声が聞こえてくる。
「〜〜〜〜♪」
 どこか異国の言葉なのか、その歌声に聴き惚れているうちに、俺の意識は遠のいていった。

 ピカッ!!
 突如稲光が見えた途端、体に電流が走った。
 みるみるうちに体に力がみなぎってくる。
「うぉぉぉぉぉお!!!!」
 俺は思わず咆哮していた。

 はっと気がつくと、俺は咆哮した格好のままで立っていた。右手には輝く鋼の剣がある。
 辺りを見渡すと、遠くで、見上げるほどに大きな毛むくじゃらの怪物の、これまた大きな手がリコを掴んでいるのがわかった。トロールは三つある目をギラギラと輝かせ、ポッカリと開かれた底なしの口からはダラダラとよだれを垂らしている。
 直感的に、リコを食べようとしているのがわかった。
「やめろ!!!!」
 俺が飛びかかると、トロールの頭上で黄色の鳥が威嚇の声を発しながらパタパタと飛び回っているのが見えた。トロールはその鳥をうるさそうに、リコを掴んでいるのと反対の手で払おうとしている。
「マチルダ!」
 俺の後ろを追ってきたビルが叫ぶ。
 そうか、あの鳥、マチルダがトロールの気をそらしてリコを食べるのを遅らせてくれているのか。
 俺は飛びかかった勢いのまま、握った剣でトロールの腰のあたりを斬りつけた。
「グォァ」
 少しダメージがあったのか、トロールがうめき声をあげた。
 鈍く重い感触が腕に残る。
 剣道をやっていて良かった、という思いが脳裏をよぎる。
 続いて、着地した俺は足を切りつける。が、
 カキーン!
 乾いた音を立て、剣が跳ね返された。
「何……!?」
「健斗にいちゃん!トロールの足の皮膚はとんでもなく硬いんだ!体の重みに耐えるためにね……」
 ビルが叫んで教えてくれる。
 なんだと……? じゃあ飛びかかって上半身を斬りつけるしかないってことか?
 そんなことを考えていたら、俺の頭上は暗くなっていた。
「えっ?」
 次の瞬間、目の前で火花が散った。
 ズゥゥン……。
 重苦しい音とともに、体じゅうに痛みが走り、俺の目の前は真っ暗になった。
 死んだ、と思った。
 しかし、相変わらずマチルダの威嚇する声は聞こえている。
 ゆっくりと目を開けると、見える範囲の俺の体はぺしゃんこだった。
「はっ……」
 恐らくトロールに踏み潰されたのだ。それなのに生きている。一体どういうことだ?
 すると、潰されていた俺の体は、水を与えられたスポンジのように、みるみるうちに膨らんで元に戻っていった。
「これは……」
「神を降ろしたから不死身なんだ!いくらでも復活できるよ!」
 呆然と自分の体を見つめる俺に、ビルが語りかける。
 そうか、俺は不死身になったんだ。
 こうなったらもう怖いものなしだ。
「うぉぉぉぉぉお!!!!」
 俺は勢いよくトロールに飛びかかった。今度はリコを掴んでいる手に剣を叩きつける。
 しかし、その動きは読まれていた。
 トロールはブォン、と握り拳をこちらに振るってきた。その時起きた風により俺は吹き飛ばされる。
 ダンッ!
 体は地面に叩きつけられた。
 全身にビリビリとした痛みが走る。
 しかしそれも束の間のことで、すぐにそれは消えた。
 不死身の力はすごい。
 それから俺はまたトロールに飛びかかった。
 しかしもう動きを読まれてしまったのか、何度やってもかわされてしまう。
 俺は自分の弱さに愕然とした。
 正直なところ、剣道部では全国大会に出場するくらいの腕はあった。先輩がいなければ大将になる実力だと言われていた。
 しかし今となっては、それが傲りだったとわかってしまった。
 剣道の試合で強くたって、肝心な時に大事な人を守れないなんて意味がない……。
 俺は思わずうなだれ、膝をついた。
 その時だった。
「健斗……!?」
 遠くからか細く聞こえた声。それはリコのものだった。
 消えかけていた闘志の炎が、再びボッと燃え上がるのがわかった。
 俺はさっと立ち上がると駆け出し、力強く地面を蹴る。
 どんな手を使っても読まれるなら、正面突破だ。
 俺がとびあがると、ビルが羽で風を起こしてくれる。その風に乗って俺は、トロールの頭上にまで舞い上がった。
「おらぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
 叫びながらトロールの真ん中の目めがけて剣を振り下ろす。
 その目と、目がバチリと合った。
 次の瞬間、
 ファーーーーーッ……
 空が明るくなった。
 そしてトロールの三つの目が一斉に閉じられる。
 剣は閉じられる直前の目をぶった斬った。
「グォォォォォォァァァ」
 大きく醜い声を響かせ、トロールは目を押さえてうずくまった。
 手から解き放たれたリコは、マチルダとビルが支えてふわりと地面に下ろす。
 俺がストッ、と着地して振り返ると、
 トロールは、石像になっていた。
「えっ……?」
「トロールは朝日に弱いんだ」
「日が昇ったから石になったんだよ」
 そうだったのか…。じゃあ俺の頑張りはまさか……
「無駄じゃないよ」
「健斗にいちゃんが戦ってくれなかったら、みんな食われちゃってたよ」
 俺の心を読んだかのように、鳥の姿のマチルダとビルが言う。
 そして、
「健斗、ありがとう」
 小さな声が聞こえた。そちらを見ると、傷だらけになったリコが俺を見上げている。その目にはまだ怯えが宿り、手足はわなわなと震えていた。
「いやいや、リコが無事でよかったよ」
 俺がほっとして言うと、リコは少し近づいてきて、俺の真正面に立った。そして俺の目をじっと見つめる。
「あの……あのね」
 リコが声を震わせる。
「な、なんだよ」
 俺は照れて目を逸らす。
「この前の、嘘だから」
 ボソリとつぶやかれた。
「えっ?」
 俺がリコを見ると、
「好きじゃないって言ったの、嘘だから!」
 リコは俺を射抜くような目で言うと、そっぽを向いた。
「え? じゃあ、」
「言わせないでよ!」
 リコはあらぬ方を見たまま言い放つ。
 俺はリコに一歩近づき、細い体を抱きしめた。
「俺も好きだよ、リコ」
「なっ……」
 リコの横顔は真っ赤に染まった。
「……ありがとう」
 やがて、小さく聞こえた声とともに、俺の背中に腕が回された。


*双子の話

「それからどうなったかって?」
「僕たち、あの後すぐ引っ越しちゃったから、詳しいことは知らないんだよ、ねー」
「ねー。でも、私たちは知ってるよ」
「知ってるよ。無事に元の世界に帰ってきた二人は同じ大学に進学するんだ」
「それからしばらくして、私たちが住んでた家に買い手がつくの」
「そうして新婚夫婦が住み始めたって、そんな話」
「そんな話を、私たち、」
「視たんだ」
 声を揃えた二人は顔を見合わせ、にっこり笑顔になると、
「あははは、あははは……」
 笑い出し、二人で円を描くようにスキップを始める。
 やがてその笑い声は、異国の歌声へと変わっていく。
「〜〜〜〜♪」
 双子の歌声は、風に乗って、どこか遠くへ流れていった。

終わり


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