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中国の三味線「三弦」雑記

皆さんこんにちは!日本人にとって身近な楽器「三味線」。そのルーツが中国にある事はご存知だと思いますが、中国の「三弦(さんげん・Sanxian)」がどういった楽器なのかを知っている人はあまり多くないのではないでしょうか。隣接した文化である沖縄の三線は90年代の沖縄ブーム以降、隅々まですっかり定着した感がありますが、中国の「三弦」は馴染みがありませんね。一体どんな音色で、中国音楽の中でどのような役割を果たしているのでしょうか。などなどなど、少しお話ししたいと思います。ぜひ最後までお楽しみください!(資料写真の追加や事実の確認の関係などでお断りなしに編集を加える事があります。ご了承ください)

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三弦の歴史と日本への伝播

中国における三弦の歴史は紀元前、秦代にまで遡れますが、今の形に近い物になったのは元代(13世紀後半〜14世紀末)くらいだと推測されています。日本は室町時代、琉球は三山時代です。歴史は古い楽器ですが、元々漢民族の楽器かというと、そこには異論の余地があるようで満州族起源説を唱える学者もいるなど、疑問が残るところです。ですが、概して北の方が始まりの楽器のようです。しかしそうなると、南方で産する大きなニシキヘビの皮を張るようになったのはなぜなのか、あるいはいつ頃からなのか疑問が残ります。歴史のミステリーでございます(中国では食用や薬用としての蛇の養殖は歴史が長いですけれども、やはり南方の文化ですから流通が今ほど便利でなかった時代に市場に流通するほどの蛇皮がもたらされていたのでしょうか。引き続き調べてみたいと思います)

因みに日本への伝来は、琉球経由の交易でもたらされた三弦が、永禄年間に堺の港から日本に入ったという説が一般的です。1597年に豊臣秀吉の命で作られた銘「淀」という三味線が今の形とほぼ同型な事から、ある程度前には伝わっていたのだろうと考えられる事と整合性があります。その後、三味線文化は元禄文化で大きく花開きます。日本独自の三味線については上記の通りですが、一部に中国の三弦が伝わった形のまま使われた時期もありました。それはずっと後に長崎の出島経由で福建系の俗曲が伝わった「清楽」という音楽の中においてです。これは月琴という楽器を主奏に、最大十数種類の楽器で合奏するものですが、その中に「三弦子(さんげんし・三弦の事。中国語は語調を整えるため語尾に「子」をつけることがあります。餃子や椅子の「子」も同じです)もありました。清楽は幕末から爆発的に流行し、日清戦争で敵国の音楽として廃れるまで、広く家庭音楽として親しまれたり、煎茶の音楽席で演奏されたりして、後の日本の音楽にも多大な影響を与えました。ここで使われていたのは小三弦で、月琴と同じく鼈甲で作られた細長い撥(義甲)で弾きました。清楽は、今も長崎の保存会や、その他地域の少数の愛好者によって僅かにその姿を偲ぶ事ができます。

参考。Wikipedia中国の歴代王朝

三弦の構造と特徴

中国の三弦は、主にサイズで大三弦(鼓弦などの別称あり)小三弦(曲弦などの別称あり)とに二分されます。大雑把な認識としては北部で使われている三弦は大きく華中以南の三弦は一般的に小三弦でOKです。近現代では大三弦が独奏楽器として扱われる事もあるので、大三弦を指して「三弦」という事が比較的多いように思います。目にする頻度は少ないながら「中三弦」も存在します。あらゆる楽器において改良を加え、弦の数を増やしたり、機械のギアを取り付けたり、音域の違う楽器を作る事に日本人ほどの抵抗感がない中国ですが、各地に点在していた規範になるサイズの楽器を徐々にまとめていった結果が、この3種類に帰結したのだと思われます。

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