「優しい」の正体は何か?【日々これ #35】
天才かどうかはどうでも良いんですが、「なんか天才っぽいっていいな」って最近思っています。「っぽい」なら凡人にも夢が残りますしね。
Anzaki です。
唐突ですが、「優しい」って、いいですよね。
僕のファーストネーム(海外感出したかった)にも「優」の字が入っていて、もちろん「優しい人に」っていう両親の思いが込められているので、
この「優しい」については、自分の中で日々考えておきたいことのうちの一つだったりします。
ということで、「優しいの正体」を突き止めてやろうと思います。
「優しさなんて気持ちだ!」といえばそうなんですが、もうちょっと具体的な結論に持っていくつもりです。
どんなときに「優しい」と感じるか?
優しい、というのは形容詞で、その多くは、“人”を形容します。
「優しい人」となるわけです。
「優しい人」という単語が会話で出る場合、そのほとんどは自分以外の人を指していうと思います。
「〇〇君のお母さん、優しい人だよね〜」
「〇〇さん、優しい上司でいいな〜」
「さっきの店員さん、優しい人だったな〜」
冗談抜きで「俺って優しいよね!!」って言いまくってる人はそういないと思います(笑)。
「優しい」はある種、評価でもある思います。
ではでは、人が人を「優しい」と判断するのはどういうときでしょう。
「息子のやりたいことをやらせているお母さん」
「困っている部下を助ける上司」
「お客さんの落とし物をそっと拾って渡している店員さん」
“優しい”と判断するのは、その人の“行動”に対してであることが多いのだと思います。
この行動、総じて「配慮」ゆえであると思います。
配慮:手落ちのない、または、よい結果になるように、あれこれと心をくばること
Oxford Languages より
これですよね。きっと。
配慮があればあるほど、「この人は優しい!」となりやすいのは、なんとなくわかる気がします。
ではではでは。
その配慮は、どこから生まれるのでしょうか??
これは「想像力」だと思います。
心を配るには、「どう配るか?」が大事で、それによって、配慮にもお節介にもなります。
お節介な人と、優しい人ってなんとなくイメージ違いますよね。
どっちも、「気持ちは優しい」だと思うんですけど、結果的に「優しい人」になるには、お節介のままではダメなんだと思います。
で、この「どう心を配るか」の鍵が、「想像力」です。
「あの人は今こんな気持ちだろうな」
「あの人ならこの状況でこう思うよな」
「あの人には何か別の考えがありそうだな」
こんなことをあれこれ想像して、その上で1番喜んでくれそうなことができるのが配慮であり、「優しい」という印象、評価になっていくんだと思います。
ということで
優しさ(印象)は配慮(行動)、配慮(行動は)想像力(思考)に比例する。
心が変われば態度が変わる。
態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる
野村克也
心は脳にあり、考え方、思考です。
ノムさんの言葉をお借りして考えてみると、
思考は一旦外に出て、人格を形成するものなんだと思います。
抽象化してしまうと何でもないようなことだけど。
でも、心に留めておきたいことだったりします。
ではまた。
(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
(「スキ」は結構モチベーションになってます、ありがとうございます)
【参考】
〜〜〜〜〜〜
よろしければ、Twitter も覗いてみてください。
https://twitter.com/AnzakiY
質問箱はコチラ。
https://peing.net/anzakiy