【日々これ #17】会話は難しく、対話はもっと難しい。発言なんて簡単だ。
話の腰を折られることが好きじゃなくて、話の腰を折ってしまったときはとんでもなく申し訳なくなります。 Anzaki です。
話すということは、どう生きても避けて通ることは難しいと思うので、
話すということと、たまに向き合っておきたいなぁ、と思っています。
話すにもいろいろあるので、
今回は、会話と対話、それと比べた、発言の話をしようと思います。
まず、会話は相手がいて成り立ちます。会って話すので、相手とお話するんです。
まぁ、会って話すって、電話やメールは違うの?という気も少ししますが、
会話という言葉が生まれた時にはまだ電話やメールはなかったでしょうから、
現代で言う会話には、電話やメールでの話も含まれるでしょう。
で、これとちょっと違うのが対話です。
対話はもうちょっと難しくて、相手と話すだけじゃなく、お互いに少し歩みやらないと成立しません。
対話の目指すところは、互いの気持ちの分かち合い、信頼関係の構築といったことだとも言われています(のはずです)。
こう考えると、「発言」って余裕じゃないですかね?
余裕なんですよ。
だって、言葉を発するだけなんですから。
でもでも、発言を難しく感じることってありますよね。
上司、先輩、見知らぬ人、怖そうなおにーさん、良く喋るおばちゃんなどなど…
発言が難しいときって、そこに相手がいて、相手の理解も求めることが多いんですよね。
だから、発言が難しいんじゃなくて、対話が難しいんです。
やっかいな上司に言うのも、アリさんに言うのも、言うだけなら発言なんです。
喋りすぎおばちゃんに発言したければ、話を遮って、言葉を被せちゃえばいいんです。
言うだけなら簡単なはずです。
言うだけのつもりじゃないから難しいんです。
対話しようとするから難しいんです。
ここでぼくが思うのは、対話しようとすることってとってもいいことだよね、ということ。
先にも話したように、対話は互いの信頼関係の構築を目指すもの。ある程度、信頼してる人同士なら、それを深めるためのものでしょう。
そう考えると、対話することは、自分を、相手を、諦めないことだと思うので、
「言いたいけど言えない」感情は、大事にするべきだと思うわけです。
自信をなくしていて、言いたいことが言えないときは、自分にそう言ってやることにしようと思います。
「言えない」は向き合ってる証拠だから、
「言えない」は結構いいことなんだよーって。
なんだか甘いようにも見えちゃいますが、
「何が難しいか」を明確にするのも大事ですよね。
言うのが難しいんじゃなくて、信頼関係を築くことが難しいんだって。
言う力じゃなくて、信じる力なんですよね、きっと。
だから、いくらプレゼン力を鍛えても、発声を鍛えても、信じる力がつかないと、多分思ったことをしっかり伝えられないと思います。
難しいのは対話なんで。
難しいからいいんだと思います、対話は。
難しくないと、それはそれで物寂しい気もします。むしろ。
対話は難しいと思って日々奮闘すること、それ自体が素晴らしいので、
気にせず、苦しみましょう。
ではまた。
(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
【参考】
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