人の人らしいこと【#67】
あんざきです。
1ヶ月以上かかずに、ゴールデンウィーク明けに新年度の初投稿となりましたー。
リハビリも兼ねて、ぼんやりしたことをお話してみようと思います。
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人はなぜ、人なのかな、なんて思うことがあります。
どんなときかと言われると、ちょっとむずかしいんですが、、、
犬やサルやキジがどう考えているかはわかりませんが、
人は、人と人以外を明確に分けて生きていると思います。
なぜ人は人なのか。
生物学的な答えが知りたいわけではなく、
もうちょっと概念的にというか、「あ、だから人なのよね!」っていう納得はどこにあるのかなぁ、、、なんてぽやぽやしていました。
ぽやぽやしていると、あぁ、こうやって考えることが人らしいんだな、と、
もう一人の自分、自分をみている自分に言われた気がしました。
「人とは何なのか?」と考えたり、
「これはこういうもんだ!」と認識したり、
そういうのが、人っぽい。
人は、答えのないこととか、人によって結論が変わるようなことを考える生き物なんだろうなと。
かっちり言語化するなら、「解釈して、意味を与える」ということなんだと思います。
「人間は、考える葦でる」なんて名言?もありますが、
この「考える」をもうちょっと具体的にすると、「解釈」と「意味づけ」かもしれません。
例えば、動物は嫌な経験をすると、「恐怖体験」としか認識しないはずです。
一方、人は、その時は嫌だと思ったことでも、
後々になって、「あれはあれでよかったな」なんて思い出を良かったことにできたりします。
あ、あとは、言い訳や言い逃れなんかも、ある種の意味づけだと言えそうですね。
起きた事象に変わりはないのに、Aさんは正当な理由のつもりで言い訳して、
それを聞いたBさんは「それは言い訳だろ!」と否定したりする。
起きたことは1つなのに、その意味が2つにも3つにもなる。
こういうのが、人が人らしい、解釈と意味づけをする瞬間なのかなーと思います。
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ということでリハビリでした。
これを読んで頂いた方も人間の方だと思うので、
いい感じで解釈と意味づけをしていただけると嬉しいです。
ではまた。
【今日の一枚】
お店の入り口で、体を張って番犬としての役割を全うしてくれています。ベトナムでたまに見る光景です。
【参考】
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