成長というのは言葉に表れるのかもしれない【#65】
あんざきです。
最近気づいたのですが、「置いてかれる」と「老いて枯れる」って音も意味も似たような感じで深いですね。
気づいた頃には、もういろんなところで使われていまして、その代表作がコチラ。
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ふと、成長は言葉にでるなぁと思いました。
こうやって文章を書くようになる前から、言葉に対する思いというか、特別感みたいなものは昔からありました。
で、友達とのLINEのやりとりとかで、「覚えておきたい!」と思ったトークをスクショしたりエクスポートしたりして、保存してます(ちょっとキモい)。
で、その中でも、学生時代の友人とのやり取りで、僕の本質的なところを、正当に評価するよりもちょっと色付けして話してくれたものがあって、忘れた頃に見返したりしています。
そのトークからは、5年ほど経っているのですが、今の自分と変わらないことが多く書かれていて、良くも悪くも相変わらずだなぁと思います。
よく考えてるよね、落ち着いてるよね、でも、とっつきづらくて頑固だよね、ってことを、その友人の言葉でもっと丁寧にもっといい感じで言ってくれています。
たぶん、さほど変わってはいません。
ただ、トーク画面なので、その友人に対する僕の返答も残っているのですが、思考を褒められてるにしては、薄っぺらい言葉で返していました。
正確には、「今の僕からみると」という前置きが入ります。
おそらく、当時の僕はそれが薄っぺらいなんて思わずに使っていた言葉だと思います。
ですが、今の僕はそれが薄っぺらいなぁと思わずにはいられません。
もしかしたら、この使っている言葉が、自分の幾分かの成長を表しているのかもしれないな、というのがふとした気づきです。
そういえば、今年の初めに、勤め先の代表に年始のご挨拶をしたところ、「言葉から成長を感じる」という一言を賜りまして候う。
アスリートでいう成長というと、筋肉的なものもありますが、
いわゆる人としての成長というのは、言葉に表れるものなのかもしれません。
そう考えると、今こうして言葉を書き残しているのも、
いつかの未来の自分が成長を感じるそれになるかも。
こうやって、何になるかもわからない文章を書いていることにも意味が出てきたように思えたところで、そろそろ寝ようと思います。
ではまた。
(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
【今日の一枚】
Bún(ブン)のカーテン!
【参考】
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