リーマンショックで内向き論が盛んだった頃ー2009年1月のブログ
2009/1/5
さて、2009年です。あけましておめでとうございます。
ミラノは大晦日の夕方から雪が降り続き、夜中にはやみましたが、雪景色の元旦でした。ぼくは、遠い昔、正月になると凝りもせず、「一年の計は元旦にあり」とばかり、やたら計画や決意を紙に書いたものでした。しかし、それが「三日坊主」になる自分に嫌気がさし、そういうことをとんとやらなくなりました。
・・・が、この数年前くらいから、「やっぱり、何らかの計画をたたてプレッシャーを与えないと人はだれる」という真理を認識し、またゴソゴソと書き始めました。それを年賀の挨拶として書いたりしたのです。1年に一回くらい、大きなフレームで語ろうじゃない、と。そんなチマチマしたことばかり考えていては、人は腐ってしまうという恐怖感とともに・・・。
しかし、今年は何も年賀を書きませんでした。年末、予定外のことがあり、機会を逸したというのが表の理由です。裏の理由は、11月に上梓した本を書くのに意気があがったので、刺激を与えすぎては体に悪かろう(?)という思いもありました。そんなこんなで3日間を過ごし、寝正月から起き上がってきた今日4日、日曜日ですが、「さて、今年最初のブログを書こう!」と、こうしてPCに向っています。
いちおう、画像は日の出で新年に相応しい。それも雪山を照らす日の光は実に神々しいです。年末、ちょっと2009年への立ち向かい方を書きましたが、やはり、ぼくはどう考えても、2009年はとてもダイナミックな面白い年になるとしか思えないのです。今までと違った価値観への移行、それは変化することに足を引っ張る一方だった価値観がじょじょに衰退していき、新しい価値観が何らかの匂いを伴って台頭してくることが実感として分かる、そういう状況がいろいろなシーンで展開されていくことでしょう。
内田樹氏が12月30日のブログに、NHKのラジオ番組に出た識者たちが「競争から共生」という趨勢を共通して指摘し、「共生のための市民的成熟の必要性、そしてイデオロギーや原理をしりぞけて、あくまで「生身の人間」の生活実感を思考の原点とすることのたいせつさを述べていたことである」というフレーズがあります。
http://blog.tatsuru.com/2008/12/30_1004.php
ぼくは、この「生活実感の思考を原点とする」ところから、新しい価値観を歓迎する土壌ができていくと考えています。生活実感のない論理はいずれ破綻することがだんだんと理解できるようになってきて、「それでは、毎日を幸せに生きるとはどういうことか?」が、もっとまっとうに考える条件が揃っていくでしょう。いわば、人の心の容量を超えたところで何を語っても無駄であることが、より多くの人の共通認識になるであろうことが予想されます。
これが面白い年でないわけがありません。
2009/1/6
昨日、「あくまで「生身の人間」の生活実感を思考の原点とすることのたいせつさを述べていたことである」という内田樹氏のブログのワンフレーズを引用しました。これが、実際にどのような具体例として出るかといえば、技術的な流れとしては、昨年9月にサンフランシスコで行われたTech Crunch50で発表されたセカイカメラに見られるコンセプトも、その一つではないかと考えています。YouTube で、その時のプレゼンを見ることができます。
http://jp.youtube.com/watch?v=KgTwSXK_5dg
iPhoneをもって街に出かけ、カメラを目の前にあるモノに向けると、そこにさまざまな情報がタグされているのが分かります。セカイカメラがみせてくれる世界とは、リアルに対する仮想空間という構図ではなく、今あなたがいる現実をより豊かにしようという願いと仕組みが根本にあります。ヴァーチャルを「向こうにある世界」とするのは、人の思考経路からすると飛躍があるわけです。
この技術はまだ製品あるいはサービスとして市場に出ていませんから、そのアウトプットに、このデモが与えるインパクトと同じものがあるかどうか、ぼくには分かりません。しかし、セカイカメラを開発している頓智の井口尊仁さんのブログを読んでいると、基本スタンスにとても同感できます。例えば、以下にあるように、テレビという媒体に対するおさえ方が適切だと思います。
http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090105/1231158361
テレビとネットのアクセス数比較からみた場合、前者が常に圧倒的多数ではなくなってきたにもかかわらず、アクセスしている本人は、あいかわらず後者のネットアクセスを非常に個人的体験の領域とみなしている、というのです。ここに今という時代の特質があります。個人的レベルと思っている力の集積したものは、ユーザーが考えるよりずっと大きい姿であるのですが、それが実感として見えていないのです。それは時により、「無意識の共感のうねり」を作ります。
2009年冒頭にあたり「生活実感を思考の原点にする」というのは、ぼくは、この「無意識」が「意識化」されることにも貢献するのではないかと期待しています。というのは、「無意識の共感のうねり」は時と場合によってネガティブな作用をすることもあります。意識化されれば全てが良いというわけではありませんが、意識化は新しい展望を拓いてくれるはずです。これは、これからのデザインを考えるとき、一つの鍵になります。
2009/1/7
ミラノはまた雪です。昨日、ベルリンに住んでいる友人から「マイナス7度」というタイトルのメールがきて、雪景色のベルリンの写真が沢山送られてきました。「ああ、大変そうだなぁ」と眺めていたのですが、今朝はミラノの番。それも、さらさらとした雪。今冬はほんとうに雪が多いです。さて、年頭ブログの続きです。
今日も内田樹氏のブログを引用します。しかし、今日は肯定的に引用しかねる内容です。「内向きで何か問題でも?」タイトルで、日本は内向きで結構ではないかと書いています。わざわざ外向きになる必要ないじゃないか、と。自分の飯が国内市場相手に食えれば、外なんかみなくても良い、と。
http://blog.tatsuru.com/2009/01/05_1110.php
「生活実感を思考の原点にする」ことに賛意を表しましたが、上記は違うなと思います。もともと、内向きであるというのは素の姿なようなもので、外向きであるのは好んで外向きになるのではなく、「外向きにならざるを得ない」から外向きになるのです。外国文化や外国人とは、好奇心以外に何の動機もなければ、普通の人たちにとっては「変わったもの」であり、必要あって外国人や外国文化と向き合うものです。必要性を満たさないと生きていけないから国際交流への努力が要求されるのです。かつてのべネツィアも英国も、必要あって外にネットワークを張っていきました。
韓国の電子機器メーカーと日本のそれらを比較した場合、前者が欧州ローカライゼーションが進んでいるがゆえに市場がシェアを取れているのは、韓国市場が小さいからだと思います。外に出て行かざるを得ないのです。後者である日本メーカーは欧州ローカライゼーションが中途半端であるがゆえに、市場での地位を低下させたところが多いとぼくは考えているのですが、それは「中途半端」に日本の市場が大きいからです。「中途半端」に大きいから、日本市場を軸においてだけで、そのまま外に持っていこうとしてしまいます。それで外で十分にマッチする製品を供給できないという結果に陥ります。
日本が国内市場だけで生きていけるかどうか?それはかなりネガティブに考えざるをえないのが普通で、いずれにせよ国外市場との取引を捨てるなどという発想はおよそ現実的ではないでしょう・・・こう考えるのが、ぼくの「生活実感」です。内田氏の「生活実感」とぼくのそれの間には、大きな乖離があったわけです。
2009/1/8
昨日、外向きにならざるを得ない話を書きましたが、今日は外向き用デザインの話です。アピール対象を変えるとき、どのように違った見せ方をするかという一例のご紹介です。
インテリアデザインの年明けはパリからスタートしますが、MAISON&OBJET が今月23日から開かれます。JETRO(日本貿易振興会)が今回、”Japan Style 2009 – Phantasmagorical ” というタイトルで、紙をテーマに14社の製品を展示します。その一社にメトロクスが選定されました。渡辺力さんの作品が対象です。
メトロクスのオンラインサイトでは以下のような説明をしています。
<ここから>
渡 辺力が1965年にデザインした Carton Furniture Series (C.F.S)です。段ボールというリサイクル可能な素材を、完璧な組立構造によって堅牢さを強化。発売当時「4つのスツールで象の体重を支えられる」と 話題になりました。スツールとしてお使い頂くほかに、積み木のように遊ぶこともできます。また段ボールの表面に絵も書けるので、自由な発想を重視する保育 園・幼稚園でも採用されています。
<ここまで>
子供がユーザーになりますが、当サイトでは正統的な見せ方をしています。しかし、今回、パリで展示するにあたり考えました。「ややデザイン、デザインした気取ったラインから外してみたらどうだろう? フランスのエスプリ文化や漫画文化を私たちはリスペクトしていますよ、というサインを送ってみたらどうだろう?」と考えました。かといって、フランス人デザイナーにチラシを作成してもらうということはしません。予算面の制約もありますが、今回は実験的にやってみるので、全てメトロクス社内で作成です。もちろん、欧州で扱ってみようというインポーターがコンタクトしてきてくれるのが狙いですが、そのためにはまず、「あっ、この会社、ヨーロッパのことを分かろうとしているのね」と思ってもらえればいいのです。
出来上がったのが上の写真です。子供と新聞を読むお父さんが仲良く座っているというのは、欧州のユーザーがわりとピンとくるシーンではないかというのがフィンランド人スタッフのアドバイスでした。ぼくは、完成した図をみて、必ずしもヨーロッパのセンスではないかもしれないが、とにかく欧州にアプローチしたい意図は通じるのではないかと思いました。即ち日本の文脈の押し付けからは脱している点は好感をもたれる可能性があると考えています。が、まったく日本のセンスを排除したわけでもないのです。
このスツールが「象をも支えられる」構造をもっているのは、折り紙のコンセプトと通じています。このチラシも上のように、折り紙的プロセスを経ることで製品と全く同じイメージの座面を作りだします。これはメトロクスにとって新しい試みです。今までも、海外の多くの方たちから、メトロクスの商品のセレクションセンスは高い評価をうけてきました。Good design の王道に沿うよう努力してきたといえるでしょう。しかし、欧州市場に出すにあたり、意図的に「外してみた」のです。冒険ですが、このメッセージがポジティブに働けばと願っています。
2009/1/23
約2週間の日本滞在を経て昨晩ミラノに戻りました。やはり寒いです。マルペンサ空港の近くには雪がまだ残っています。が、東京はさほどでなくても、名古屋はたまたまなのか、かなり冷えました。山が雪で白かったが印象的です。
今回の訪日のメインは、アイルランド首相訪日にあわせた経済ミッション団と行動を共にすることでした。外資系金融会社のエコノミストによる日本経済のレクチャーを聴いたり、アイルランド経済大臣一行と日本の代表的企業を訪問したり、首相列席の午餐会に出席したりと、いわば外側から見た日本の姿に接することになりました。
今まで日本メーカーは固有技術には優れているが、それをインテグレートする力が弱いとされてきました。訪問したのは一部の企業ですが、やはりどこか全体図を描く力に不足点があるのではないかと思わざるを得ないプレゼンがありました。日本はディテールの積み上げを得意としてきましたが、全体図を描くことと、ディテールの積み上げを両立するのはやはり困難なのだろうか・・・と色々と考えることになりました。これは、これからの日本経済の肝です。
麻布のアイルランド大使公邸でのレセプションも、やはりアイルランドを代表するギネスビールで始まりました。しかし、アイルランドで飲むギネスほどには美味しいとはいえないです。よく水の質の違いだといいますが、日本の水が悪いとかいうことではなく、ギネスに合う質の水がアイルランドでしか入手できないと理解するのが正解なのかなと思います。ある質の高い完成品を得るには、その部分部分が、絶対的な高品質より最適合しやすい性質を持っていることが重要なのでしょう。そんなことを日本のギネスビールを飲みながら思いました。
しばらく、日本の滞在中に思ったことを連日書いていこうと思います。
2009/1/26
挨拶がかなり遅くなってしまいましたが、1月10日(土曜日)のオフ会に参加いただいた方たちに深くお礼申し上げます。ブログと拙著を読みオフ会においでいただいたにも関わらず、なかなかお一人ずつと十分なお話しができなかったのは残念ですが、それぞれに新しい出会いを提供したのであれば、まずは良かったと思うことにします。
さて、久しぶりに会った西洋紋章画家であり神父の山下さんから聞いたカトリックの窮状には驚きました。世界のカトリック信者は10億人と言われますが、実際に教会に通い献金をする信者は4億人程度とのことで、バチカンの教皇庁自身、財政難であるようです。そこで、日本のカトリック教会が同様に難しいシチュエーションにあることは容易に想像がつきます。日本はカトリックを媒介にヨーロッパ世界とのコンタクトが始まり、それが約500年続いてきたのですが、その歴史の転換期にきているのは確かです。
欧州地域研究が専門の八幡康貞さんとは、この場だけでなく、その後何回か電話でも話しましたが、人の生きる世界は、日々の生活する世界だけでなく、もう一つその向こうに別の世界があるということをもっと認識すべきではないかとのコメントは印象的でした。どんな不況であっても、予定されていた太平洋ヨットレースは行い、それを夢中になって応援する・・・そういうメンタリティが必要ではないか、と。何か悪いことがあると全て、喪に服したように思考停止状態になってしまう、そういう精神状態から如何に脱するかが重要ではないかと思います。
今回のオフ会、「飲み放題」「遮音性の高い個室」を条件に場所を探しました。結果、日比谷通りに面した居酒屋になりました。掘りごたつタイプ。これは移動性に欠点があり、20人が交互に違った人たちと話し合うには、やはり椅子か立食タイプが良いのかなというのが反省点です。だいたい一度席を変えてしまうと、グラスや皿が誰のだか分からなくなってしまいます。次回はこういう問題点を改善したセッティングを考えてみますので、今回に懲りず、またご参加いただければ幸いです。
2009/1/27
ぼくはイタリアに来る前、日本では自動車メーカーのサラリーマンをやっていました。メーカーでは新人研修として工場のラインで働き、製造現場の実態を知ることが必要でした。確か2ヶ月やりました。1ヶ月は頭の上を流れる車体の下部にシートプロテクターという板をボルトで貼り付ける仕事。これはかなり厳しい仕事でした。まず、車体の位置が頭をやや低めないといけない場所なので、無理な姿勢を常に強いられます。常に車体は流れていますから、決まった時間で仕事が完了できないと、ラインを止める羽目になります。
もう一ヶ月は、ギアボックスの歯車の機械加工です。かなり単純ながら、時間に追われながら、不良品を出さぬようにチェックしていく作業で、精神的プレッシャーはやはり相当なものでした。もちろんトイレは自由に行けず、決められた10分の休みに広い工場を走って用を済まさないといけません。それに油の匂いが強烈で、財布など身につけていたものは、その後もそのまま匂いが残りました。そういうしんどい日々でしたが、モノを作っていく「現場感」は好きで、事務所で働いていてもよく現場に足を運ぶ機会を作りました。
イタリアに来てからも、工場はよく行きました。自動車だけでなく、ありとあらゆる工場を見ました。「あれは、こうしたらいいのになあ」とか素人ながら、ラインの効率化を考えながら見たものです。そして、今回、アイルランドの経済ミッション団と一緒に自動車工場を見学しました。案内の方が言うには、日本のなかで最新のラインとのことです。ラインに流されるのではなく、個々のスタッフが責任をもって、より全体が見える形で組み立てプロセスが考えられていることが分かります。如何に「強制感」を排除するか、この工夫が見て取れ、かつてのラインに追いまくられた自分の姿を思い出しました。
ただ、それはこの工場のほうが楽ということではなく、より自主的に働くシステムがどう構築されているかという点が注目すべきところだと思います。この工場を眺めていて、イタリアの工場で思うような「こうすれば、いいのに」というアイデアはさすがに出てきません。素人の一見さんが意見できるような余地などないような気がしました。それは感銘を受ける光景だったわけですが、何か意見を言いたいという気持ちにさせてくれない・・・これはどういうことなのかなとボンヤリと考えることになりました。
2009/1/28
1月6日に「生活実感を思考の原点にする」というタイトルの文章を書きました。そこで、昨年9月にサンフランシスコで行われたTech Crunch50で発表されたセカイカメラに見られるコンセプトを紹介し、プレゼンが見られるYouTube のURLも記しました。
http://jp.youtube.com/watch?v=KgTwSXK_5dg
先週、この頓智ドットの井口さんと久しぶりに東京で会って色々と話しました。さまざまな情報がタグされているiPhoneも実際に試してみました。カフェに一緒に座ってiPhoneで店内を見ると、例えば、そこには女性用バッが宙に浮いた感じで画像が見えてきます。とてもリアリティがあり、現実の世界が目と心だけではなく、こういうデバイスによって構成されつつある時代の到来を実感します。
昨年9月のプレゼン以降、一気にその存在を世界に知られた彼は、世界中からさまざまなオファーを受けているようですが、彼が以下のブログで書いているように、2月5~6日開催のNetexplorateur Parisで2008年の優秀なネット技術に選ばれ表彰式とスピーチがあるとのこと。3月30-31日開催のMARKETING 2.0 Parisでもプレゼンの依頼を受けています。世界が新しいコンセプトを如何に待ち望んでいるかという証明だと思います。
一時盛んにリファーされたWEB 2.0 という見方は既に過ぎ去った感があるものとして語られることが常で、現実復権へ世界が新たに注視していることは喜ばしいというべきなのでしょう。ただ、井口さんは、世代間のネットギャップの大きさにかなりため息をついています。これが世代間だけの問題なのか、それ以上の要素が絡んでくるのか、このあたりにぼくの関心があります。
2009/1/30
ぼくが日本へ行ったとき、ほとんど必ずといってよいくらいに会うのが水谷修さんです。今や「夜回り先生」といったほうが通りが良いですが、もう30年近い付き合いになります。知り合ったきっかけは大学の体育の授業です。本来体育は1年生と2年生で単位取得するのですが、ぼくの場合、あまり学校に通っていなかった(いや、行っていたけれど、教室には行かなかった)ので、体育も単位を落としていたのです。それで3年ー4年で挽回しました。その3年生のとき、確か水谷さんは6年生として参加していたと思います。彼はヨーロッパで2年ほど放浪の旅をしていたので、在学年数が長くなっていました。
土曜日の朝の体育なんてもう面倒でしたが、体育は必須ですから仕方がありません。その渋々やっていた体育で水谷さんと知り合うことになりましたが、あたりまえながら、こんなに長い付き合いになるとは思っていませんでした。
学生時代だけでなく卒業してからも頻繁に彼の家や外で酒を飲み歩き、たいてい朝方に寝につくというパターンでした。一緒に山を登ったり、旅行もしました。ぼくがイタリアに来るのを応援してくれたのも彼だし、90年の夏、ベルリンの壁が崩れた翌年、ミュンヘンでレンタカーを借り、ウィーンを通り、ハンガリー、旧チェコ・スロヴァキア、旧東ドイツ、旧西ドイツ、フランスと3000キロ以上の旅も一緒にしました。彼のクルマの運転は抜群で、ブラチスラヴァでドル稼ぎの警官の嫌がらせをうけたとき、彼は一瞬ハンドブレーキを引きクルマを急転回させ、逆の方向に逃げ切るという技も披露してくれました(?)。
先日、渋谷に近い小さな料理屋で彼と会いました。彼の話はとても面白く刺激的です。これからの社会の方向が実に的確に示され、且つそれに深さがあります。いくら深さに拘っても、方向があっていないと話にならないことが多いのが普通だと思いますが、水谷さんは昔から同じことを語り続け、その方向は同じところを指し続けています。彼は今、迷える多くの子供たちを救う活動をしていますが、これも実に自然です。彼の生き方を見ていて無理がありません。それは通常の人では想像できないくらいの我慢を強いられることが沢山あると思いますが、それでも水谷さんは、ひょっこりと笑顔で出てきてくれます。ぼくの日本滞在中の大切な楽しみです。