どこに投錨するか?これがいつもテーマになる。
ぼくは大学の在籍はフランス文学科だったのですが、ゼミは社会学科の文化社会学のゼミに出ていました。先生がほぼ口癖のように言っていたことの一つに、「どこに投錨するか?これがいつもテーマになる」というのがあり、母港に戻るか?母港を離れているなら、投錨の場所はどこなのか?停泊はどのくらいの時間なのか?と常に問うのが人生だといわれたのですね。
イタリアに長く住んでいますが、これも投錨先の一つだと思っています。かといって、ヴァガボンドを気取るわけでもないです。ただ、揺れながら「ここだ!」ととりあえずアンカーをおろした先がミラノだったのです。だからでもないですが、「第二の故郷」という無駄に情感をこめた表現がしっくりこない。あくまでも投錨先です。
二冊の雑誌を同時並行に読みながら、「投錨先の決め方とそのタイミング」について語っていると思いました。雑誌は以下です(MOMENTは最新号まで掲載されていますが、TRAVEL UNAの最新号は3号まであります。ぼくが読んだのは3号です)。
MOMENTはRe:Public の白井瞭さんが編集長。TRAVEL UNAはUNAラボラトリーズの編集長は田村あやさん。そして、これらの2冊を送ってくれたのがRe:Publicの共同代表の市川文子さん。
どうしてこういう説明をするかというと、UNAラボラトリーズはRe:Publicのグルーブ会社なのですね。Re:Publicは「持続的にイノベーションが起こる生態系(=エコシステム)を研究し(Think)、実践する(Do)、シンク・アンド・ドゥタンク」であり、UNAラボラトリーズは「九州の文化を深く探究し、訪れる人と共に更なる魅力を生み出すトラベル・デザイン・ファーム」です。
持続的イノベーションの生態系を追求していったら、「ここにも、あそこにも実はすごくいいネタがあったじゃない!」と気づいて、後者の事業が生まれたのではないかと想像しています。だから、違った体裁をとり、違った対象を題材にしながらも、投錨の仕方を考えるという点で両誌とも共通している(と思います)。
MOMENTはどちらかというと、都市、それも比較的サイズのある都市とその周辺にある風景を眺めながら、知的活動と身体的活動の均衡地点を常に意識している印象があります。他方、TRAVEL UNAは九州の中規模以下の街にある文化資産の探訪をテーマとしています。
そして、どちらの記事を読んでも不思議と同じ気分に浸るのです。それが何かといえば、「緩さ」「柔らかさ」「軽さ」といったことに対する感度の鋭敏さで、ジグムント・バウマンならぬ流動性への希求の強さに起因するのではないかという気がします。固定した方法論には距離をおき、試行錯誤をアイドリング的にも捉え、部分と全体の位置関係を常に意識する生活のあり方を探っているのでしょう。
で、この全体なんですが、読んでいてふと思ったのは、これはエツィオ・マンズィーニが『日々の政治』で主張している「プロジェクト中心の民主主義」あたりをイメージしているのではないかなということです。消失した「公共財」をふたたび蘇らせるにあたり、目的にあわせた「自律分散型」の民主主義を探るといいとの提言ですね。彼は民主主義とは皆が学習できるシステムだと言っていますが、実はこういうコンセプトに近そうなMOMENTだけでなく、TRAVEL UNAにもこの方向を感じるというのが、両誌を同時に読んでぼくが気づいたことなんですね。
そして、これはまさしく現代を旅する我々の投錨先・・・ってところかな。
因みに写真ですが、今月初め、南チロルを歩いていて遭遇した農家です。下の写真のような建物で、扉の上の空間にさまざまな道具がつるしてあるのです。どういう目的なのかよくわかりませんが、拡大したトップの写真をみても分かるように、あれっ?という道具が多いのです。
両誌がブリコラージュを基にしているのは確かそうなので、その方針にこの写真は似合うかなと思った次第。
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