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北陸逃亡作戦

カードキーを金属光沢の眩しい手すりにかざして、シックな高級感を漂わせる扉を開けると、自分の実家よりも絢爛かつ広大かつ優雅な空間が広がっていた。日々節約に勤しむ男子大学生3人がスイートルーム級の部屋に泊まるなど、僕自身が一番予想していなかったものなのだが、これは賛否両論巻き起こった例のキャンペーンのおかげである。結果特に何か良いことをしたわけでもないのに、CMか家電量販店でしか見たことがない壁掛けの薄い液晶テレビに、自宅にあるものの2倍は横幅があると思われるベッドと、到底1泊2600円とは思えないブルジョワ体験をすることができた。地上24階の部屋から見える大阪湾の夜景は、あべのハルカス最上階にある展望台のような高さを利用して人々を集客する場所か、ドラマで常務あたりの地位にいる人間が伏線になりそうな独り言を語るシーンでしか見たことがない。少なくとも実家の窓から見える景色は、道を挟んで向かいの家がテレビでどんな番組を見ているかということだけだった。


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皆さんご無沙汰しています、Anzです。お待たせして申し訳ありません。と打ってから、待ってくれている人などほぼいないということに気がつきました。今日から日本海北上紀行と題して旅の記録を書く予定ですが、如何せん今後も予定が立て込んでおり、次いつ投稿出来るかは分からないのが現状です。もし楽しみにしている方がいらっしゃるならば、気長にお待ち頂ければと思います。


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8月20日頃に夏休みが始まるという本来あり得ない世界線が現実になってしまい、開始から1週間が経った8月末にして札幌の気温は13度という衝撃の気温を叩き出した。北国の夏は相変わらず短いがその低温は道民にとっても衝撃的だったらしく、日本各地が猛暑に絶望している一方で、北海道のTwitterトレンドにはストーブという単語が載っていた。その頃の僕はというと、低温の夏休みに「夏休み」を見ることが出来なかったので、大学の友人2人の帰省に半分付き添うかたちで残暑が厳しい北陸へと赴こうとしていた。北陸に「夏休み」の世界を求めて。


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夜に新千歳空港を離陸する飛行機に搭乗して2時間、飛行機は定刻よりもやや早く関西国際空港に着陸した。機外に出てからものの数秒、タラップに漂う本州の空気に体が包まれた瞬間、北海道の涼しさが懐かしくなってとんぼ返りをしたくなってしまった。が、僕はこの蒸し暑さのためにわざわざ遠く離れた大阪へ、一葉1枚野口2枚を払ってまでやってきたのだ。


ターミナルでクーラーの涼しさを久しぶりに享受しながら歩くと、欠航という文字が並ぶ電光掲示板が目に入る。関空のコードがKIXと表記されることはそれなりに知られている話だけれど、KがKansai、IがInternationalだとして、Xは何の頭文字なのだろう。数十秒考えたが、僕の拙い英語の語彙力ではそもそもXから始まる単語がXylophoneしか思いつかなかったので、暇つぶしになることもなくブラウザで検索したら「KIに続く文字で残っているものがIとXしかなく発音しやすい方を選んだ」ということだった。Xから始まる単語を頑張って思い出すことに意味は無かった。


今僕らがやってきた関空は人口島の上にある空港で、大阪湾に架かる長い橋を渡った先には、りんくうタウンと呼ばれる泉佐野市の湾岸開発地区がある。今日は夜も遅いし長い移動は避けるべきと考えていたので、りんくうタウン駅のそばにホテルをとっていた。そのホテルが例のブルジョワ体験ルームだったのだけれど、あまりにも高く聳える立派なビルだったのでロビーに入るのを躊躇った。入った後は壁掛け液晶テレビにYoutube流してわいわいしまうほどに楽しんだ。


高層階でだらだら過ごす体験をしたのは、タワマン最上階に住む中学の同級生の家を訪れた時以来のことだろう。30階以上の家にお邪魔したのはその時が最初で最後だったが、ベランダから見えたとても生活するに相応しい環境とは思えない景色が脳内にはっきりと残っている。別に誰がどこに住もうと自由だが、高くなればなるほど家賃が高くなる理由が僕には理解出来ない。それは県内で最も高い建物が東大寺の大仏殿という、圧倒的に高さを感じない県で生まれ育ったからだろうか。そもそも30階から下を見ても「人間がゴミのようだ」どころか「ニンゲン、ドコニイルカ、ワカラナイ」ってなるだろ。優越感とか最早無いし、大仏殿くらいの高さがちょうど良いって。


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翌日、列島のニュースは台風10号の話題で持ちきりだった。915hPaという異常な勢力で西日本に近づいていた台風10号は、9月6日の午後から翌日にかけて九州に接近もしくは上陸することが予想されていた。この旅行は当初紀伊半島を大きく回る予定だったのだが、台風の影響は遠い近畿や東海にも影響を及ぼす可能性があるらしく、念のためにと紀伊半島周遊を削った。


で、その決断がどうだったかと言うと正解だった。9月7日は三重県南部を中心に大雨が降り、強風によって風デバフ持ちの湖西線は運転を見合わせた。これが旅を重ねた人間の勘というやつなのか。ともかく紀伊半島周遊をやめた分北陸観光の時間は丸1日分増えたので、9月6日は当初予定していなかった福井周辺の観光に充てることとした。


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24階から見た朝の大阪


低血圧な癖に相変わらず朝に強い。僕はこの時間に目覚めると決めたらすんなり起きることが出来る。今日も6時52分にりんくうタウン駅を出る阪和線の関空快速に乗るため6時に目を覚めし、そのあと擦った揉んだあった気もするが無事予定していた列車に乗った。ありがたいことに9月6日は関西圏の交通機関が台風の影響を受けることもなく、最近「陸の孤島ヨドバシカメラ梅田店」への橋が架けられたことでほんの少し話題になった大阪駅へ定刻通り到着した。


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大屋根が特徴的な大阪駅


大阪駅からは頭文字Dなみのスピード狂である新快速に乗って、一気に平野を抜けて京都駅へと向かう。日曜日ということもあって、本来なら朝ラッシュの時間帯に重なり混んでいるであろう新快速も座れるほどに空いていた。ただ3人のうち座ったのは貧弱な僕だけだった。元々関西圏に住んでいたという個人的な事情もあって京都や大阪には寄る観光地がほぼ無いので、間違いなく京都や大阪より観光地の少ない北陸の方が魅力的に映るようになっているな、と東寺の横を通過しながら思ったりした。


京都駅からは交通費をケチる僕としては珍しく特急に乗る。1時間くらい適当にスタバで時間を潰したあと、京都駅の0番線ホームへやってきた真っ白の特急に乗り込んだ。特急サンダーバードは京都と滋賀の県境にある逢坂の関を数千メートル級の長大トンネルで抜け、琵琶湖沿いを新快速以上の速さで駆け抜ける。日本最大の湖の大きさは伊達ではなく、対岸が遠くに見えるかどうかというスケールは海峡と見間違うほどだ。関西圏のベッドタウンらしさがあった車窓は比叡山坂本駅を過ぎた頃から徐々に田園風景へと移り変わったが、それでもなお高架を走る湖西線の車窓は新幹線に乗車している時を思い出させた。


滋賀県とは1時間強で別れて、福井県西部の敦賀駅に到着したのは11時前のことだった。ここまで定刻通り順調に移動し、空も雲の間から日射しが差し込む程度に回復してきた。スピード狂新快速と超スピード狂特急のおかげもあって、どうやら無事に台風10号からの逃亡に成功したらしい。


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田舎にありがちなコカ・コーラのベンチ


敦賀駅からはこの旅初めてのローカル線に乗る。隣のホームで待っていた2両編成の普通列車に乗り換えて1時間、ローカル線らしさが一気に増えた田園の車窓から故郷を思い出しているうちに福井駅に到着した。敦賀駅も福井駅も北陸新幹線の延伸に向けて大規模な工事が行われているようで、駅は札幌駅以上に綺麗に整備されている。駅ビルに入っている蕎麦屋で福井名物のおろし蕎麦を啜り、お腹を良い感じに満たしたあと、いよいよ待ちに待った観光の時間がやって来た。


読者の皆さんが福井の観光地と言われて最初に思いつくのはどこだろうか?正直観光する場所はパッと思い浮かばない県で、どちらかというと海鮮などの食事を目当てに来る方も多いだろう。そんな福井県で僕が頑張って絞り出した観光地はサスペンスの名所東尋坊だった。が、その後考え付いた福井県立恐竜博物館の方が何倍も面白そうだったので、東尋坊は候補からすぐに捨てた。福井は恐竜がめちゃくちゃ発掘される県として有名で、そのことをアピールするためか駅前にも恐竜を前面に押し出したやたらリアルなオブジェが設置されている。そんな福井のシンボルである恐竜の化石を間近に見られるのがこの博物館らしい。


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DINOSAUR KINGDOM FUKUIという強さ全開のコピー


福井県立恐竜博物館は恐竜発掘現場にほど近い山奥にあるため、福井駅からえちぜん鉄道に1時間弱乗る必要がある。終点の勝山駅からは直行バスが接続しており、10分ほどバスに揺られて僻地にある博物館にようやく辿り着く。県内の著名観光地とは思えないほどアクセスの悪い山奥に超近代的な銀色の丸い建造物が突然現れてびっくりしたが(というか、列車に乗っていたときから遠くに謎の球体があるなと思っていたが)、それよりも等身大のティラノサウルスが福井駅前にあるオブジェの何倍もリアルな動きをすることにビビった。ここだけ時空がジュラ紀。1-2億年前。


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奥の暗いスペースが展示室


館内は恐竜の卵のような球形で、中心部が巨大な吹き抜けになっている。予約を取った時は残り1000人以上あった残り枠も、僕らが訪れた時には100人を切るほどの盛況ぶりだった。平熱が高いこともあって毎回ドキドキする検温を無事クリアして、巨大な吹き抜けを一気に最下層まで降りる。内部は3階建てになっていて、地下から地上へと戻るようなルートに従って進む。


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ほぼナイトミュージアムの世界


恐竜博物館ということもあって家族連れも多く来ていたが、子どもの大きな声が曲面の天井に反響してまるで恐竜の鳴き声かのように谺している。そこら辺に何よりも動く小さな恐竜が大量発生している。9大量の恐竜骨格に囲まれた展示室で古生物学研究の最先端を学び、恐竜図鑑を読破したばかりの自慢したい子どもの気分になったところで、帰りのバスの時間になった。


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行きと同じルートを辿って福井駅まで戻ってきた僕らは、北陸本線のを普通列車に乗ってさらに東へ進む。日が沈みきって周囲が暗くなった頃、この列車の終点であり北陸本線の終点でもある金沢駅に到着した。金沢駅から東は北陸新幹線の開業に伴って第三セクターに移行されたため、今日もお世話になった青春18きっぷを使うことは出来ない。


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工芸と建築の町であることを実感させる鼓門


石川出身の友人の勧めに従って、夜ご飯は石川県民のソウルフードであるゴーゴーカレーへ。僕はゴーゴーカレーの存在を今回の旅で認識したのだが、どうやら東京の区部にも数店舗出店しているらしい。ほぼ黒色と言っても差し支えないほど濃いルーに薄いロースカツを乗せたカツカレーを頂き、お腹をしっかりと満たす。こういう地元密着型のチェーン店は旅の思い出にもネタにもなりやすい。


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キャベツの千切りで濃いルーの味を和らげる


友人2人とはここで別れ、僕は今日宿泊するゲストハウスへ向かう。金沢駅から歩いて3分程と、かなり立地も良く何より内装がとても綺麗。簡単なチェックインを済ませ諸々の準備をした後は、この先毎日のように続く早朝出発に備えて早めに布団へ入る。「今日は朝からかなり移動したなぁ、明日も結構移動距離多いし大変だろうなぁ」そんなことを思いつつも、内心それを楽しみとしている自分がいることは知っていた。僕は毎回そうやって旅を楽しんでいる。これから先も天気が良い方向に転ぶことを願いつつ、僕は深い眠りに入っていった。


続く

noteを書くときにいつも飲んでいる紅茶を購入させていただきます。