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イヤなことをイヤだって認めちゃいけないの?

ブログ書く主婦のANSYです。
うつ状態からは回復してきた。
でもまだ不安定だったりする。まあお正月はどうにか平穏に乗り越えたので、そこだけでも良しとする。

SNSで、とある芸人さんの動画を見た。
そこで彼は、すごく大事なことを言った。私にとってはビッグバンだ。
彼は、引きこもり経験があって、そこから脱して、芸能界に入った経緯がある。
こんな感じのことを言っていた。
「僕は、自分の引きこもり経験を、嫌だなとかクソだと思っているんです。あくまでも僕の場合は、です」「このことを話すと、8割9割くらいのインタビュアーが『でもそれがあなたの糧になったんですね』とか『だから今のあなたがいるんですね』と言う」
「今の世の中は、なんでも美談に着地しなきゃやっていけないのか」

それだな!って。
私も病んだ経験とか、いじめとか、いろいろあって、それを本当にイヤな、ムダなことだったと思ってる。
でも、今の世の中、イヤなことをイヤだと認めてはいけない風潮がある。一部の精神科医療ですらそうだ。だから、あれはイヤだったと、自分の中で決着を付けることに、否定的になることを強制されることが多々ある。私だって、それに洗脳されそうになった。

例えば、ノートに自分の気持ちを書き出す、というものがあって、自分の負の感情を、書き換えることによって治療に繋げようという方法がある。
「あの人は口うるさくて困る」というのを「あの人はアドバイスをしてくれている」
とか、プラス面に書き換える。
もちろんこれは、プロカウンセラーとかの指導のもとにやる療法なんだけど、ちょっとムリがある面もあって、一時期よりは下火になった。
むかし流行った、ポジティブシンキングもそうだよね。

闘病記なんかもめっちゃそんな感じ。
とにかく病んだ人は「でも病気のおかげで周囲のあたたかさに気づきました」とか「健康のありがたみを知りました」というオチを書かないと、リンチされるんじゃないか、っていうくらい「マイナスから得たものを書く」というのを強制される。

ムリだ。現実としてイヤなものはイヤだし、ムダだった時間があってしまっても、それは取り戻せない。

そこで「でもその経験が糧になりましたよね」って言ったところで、ただの慰めじゃないですか!ますます意味ないよ!

だから、私はもう、本当に素直に、イヤだったこと、ムダだったことを、自分の中でしっかり認めるようにした。

そうしたら、影の面を認めることになり、ひるがえって、今の自分が持っている良さに気づきました。

あんなイヤでムダだった時間を、繰り返さないように、考えればいいだけです。
そこに着地したら、ちょっと気が楽になった。
過去の闇を、言葉で丸め込もうとするから、こじらせる。

こういう話は私の周囲にもあって、いじめに遭った人が、学力つけて偏差値高い学校に進学して、いじめっ子を振り切った、というのがあった。
あと最近のいじめの解決案は、相手にナメられない態度を取れとか、ボイスレコーダー持てとか聞く。
家に居場所がなかったら、もう出ていけるようにお金貯めろとかね。
行動しなきゃ解決しない。
※ただムリな解決案は、実行できないことがほとんどなので、それはまた熟考をおすすめする。

今年の始まりは、生き方は、言葉や考え方ではどうにもならない、というのを、改めて知った。


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