その感覚を思い出したら大丈夫
短い冬休みを経て、いよいよ始まった3学期。
久しぶりに集まった子ども達の表情は、とても嬉しそうでした。「やっぱ学校がいいよな!」と言う子もいて、私もその通りだと感じました。
朝の挨拶と健康観察が終わり、始業式に向けて廊下に並ぶことに。
当然、久しぶりに会う友達との会話に花が咲き、廊下はざわつきます。
「みんな、どうするんかなぁー。」
くらいの気持ちで見守っていました。
すると、1人の男の子(Aさん)が
「静かに並ぼう!」
と声をかけていました。
その一言を聞き、一瞬で私の中で色々なことが繋がりました。コナンくんでいうところの、ピキーン!ってやつです。
そして、少し時間もあったので、
「ちょっとカマそかな。」笑
と思い、クラス全体に聞こえるくらいの声で話しました。
「Aさんが自分からみんなに声をかけてくれたね。Aさんから年賀状をもらったんやけどさ、そこに、今年はクラスのリーダーとして頑張りたいですって書いてあってさ。まさにリーダーやなって感じたよ。こうやってクラスで声をかけ合ったり、学び合ったり、助け合ったりして、今の〇年〇組をみんなで作ってきたんだよなぁーって思い出したら、なんか嬉しくなってさ。Aさんの声かけで、また〇年〇組が動き始めた!って感じたんだよね。Aさんが3学期の始まりの合図をしてくれたみたいでさ。」
すると、普段はあまり見ない光景を見ました。
それは、
教室のエアコンの音が聞こえるくらい静かになった
のに
表情はニヤニヤしている子ども達
というもの。
あんまりなくないですか?行動と表情が合ってないというか。
それからは、私から何も言うことはなく、静かに整列し、体育館に移動し、良い姿勢で先生方の話を聞いていました。
私の声が届いたのは、きっとみんな絵が浮かんだのだと思います。それぞれ絵は違うのですが、このクラスで成長した瞬間の絵を。ドラゴンボールで言えば、スーパーサイヤ人モードになった自分たちのことを思い出したという感じ。
自分たちのクラスは自分たちで楽しくするんだ
みんなで支え合ってきたじゃないか
仲間と過ごして、笑い合ってきたじゃないか
それが私たちのスタイルだ
その感覚を思い出したみんなの表情を見て、もう大丈夫だと思いました。
そして、この感覚ってもしかしたら
「共同体感覚」
なのかもと、ふと思いました。
よく教育界では取り上げられる「叱る・叱らない」論争があります。私は、叱りたくないタイプですし、それでも必要だと判断したら叱ります。先ほどの廊下の場面でも、もしかしたら叱る方もいるかもしれませんが。
ただ、
子ども達の力になる関わりをするということ
が何よりも大切で、その判断の上であればどちらでも良い気がしていて。いや、「叱る・叱らない」以外の選択肢があっていいなって思いませんか?
「語りかける」
「思い出させる」
「聞き続ける」
「関心を持って見守る」
「あえて触れない」
でも何でもいいのですが。細分化した中から適切な判断をした上で子ども達に関わっていきたいんですよね。
そして、その適切な判断を後押しするのは
子ども達の行動を見取っているか
ではないでしょうか。
先ほどのAさんの場合は、彼の性格、年賀状での決意、2学期後半のリーダーシップを発揮した姿、クラスでの発言力などを全て加味した上で、廊下で先ほどの話をしました。その確かな裏打ちがあったからこそ、自信を持って踏み込めたのです。
普段の忙しさに流れてしまいがちだけど
人数の多さに弱音を吐きそうになるけれど
子ども達にピントを合わせて、その瞬間を見逃さずシャッターを切りたい。それだけは、1年間続けて取り組んでいきたいのです。
さぁ、ラスト3ヶ月。
私は、ウイニングランする気持ちなんて全くありません。笑
やりきります!走りきります!