映画レビュー|「マリッジ・ストーリー」|感情と状況の乖離
スカーレット・ヨハンソンは涙の流し方がとても自然で、映画の途中でもハッとしてしまうほど。ハスキーな質感の声が、感情の高まりと共に色を変えていく所も凄く魅力的だ。アダム・ドライバーは、なんというか全ての人に一定の距離感を空けている、そんな独特な距離感を持つ人物像を自然に演じていた。
この作品を、アメリカの裁判ビジネスに巻き込まれ…という視点で紹介している文章をいくつか目にしたりしたけど、僕はそういう話しとは違った印象を受けた。
あくまで自分達の選択でそこに進んでいった訳で、むしろ裁判ビジネス云々というよりも、家族、夫婦、親子といったパーソナルな共同体の保ち方、もしくははじめ方や終わり方まで、法律や制度に照らして決定していかなければいけない、そんな切なさを感じた。
また、話題だった長回しの言い合いシーンはカメラワークがとても秀逸で、素敵な編集だった。
本来、人を愛したり生活を共にする事って滑らかなグラデーションのように変化する感情の中で、不安定にバランスを取ってきた結果であると思う。と考えるとこの映画で描かれている関係性は「感情」だけをとってみると、とても自然な事。それは段々とバランスが一方に寄って、少し傾いている。そして、今は傾いた状態が常となりそこでのバランスが取られている。息子は結構しんどい状況なはずなのに終始ふわふわとその状況にフィットしてこうとしていた。
それなのに、弁護士を雇った途端に2人はその傾きについて会話できなくなったりと、とても異常な事態になっていく。
その感情と状況との大きな乖離を切なく見事に描いた、そんな映画だと感じた。
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