日記2025/02/16

 バイトして散歩した!新人の人がいてちょっと教えちゃった!もっと仕事できるようにならないと自信持って教えられないなと思った。頑張ってほしい〜!真面目で良い奴そうだった。頑張れ!優しくしたい。優しくする。人に優しくするのってすごく嬉しいよな。良い人だと思われたいのもあるけど、善意なら行為が許される感じがあるってのがデカい。善意から人を傷つけることもあるのでこれは正しくないんだが、それはそれとして行動のハードルは下がるのだ。悪意から動くよりは受け入れられる確率高いだろうしね。問題は善意の見せ方なんだと思う。相手のことをよく観察して、よく知って、それで初めて善意の適切な扱い方がわかるんじゃなかろうか。ちなみに、相手のことを完全に知ることはできないので、どんなに頑張ってもミスはなくなりません。絶望せよ。

Tips:自分の中で真理みたいなものが出てきたら、必ず検討と批判を行おう!

 予想される反論を考えるのってマジで大事だ。反論を繰り返せばずっと考え事できるしな!論説文みたいに考え事しよう!楽しいから!主張を述べて、それを導いた過程を解き明かして、それに反論して、検討して、他の主張と結びつけて......という流れ。あとオススメなのが、自分の中で立ち上がってきた概念に名前をつけること。"○○の○○"みたいに名前をつけると、そこでセーブができるから記憶が整理される(と、思う)。次考え事する時はその名前さえ覚えてればそっから論の流れを思い出せる。自分の思考なんだからそもそも流れで覚えやすい。そこにラベルをつけるともっと覚えやすい。良い方法ですよ!

 しかし、この方法だと言葉に頼りすぎる(反論のフェーズ)。我々の感覚は記述不可能です。どんなに言葉を尽くしても、あなたの感覚を100%言葉にすることは不可能です。これは程度の問題ではなくて、質の違いだと思う。言葉が指し示す意味と、僕らが日々味わう感覚的な経験は質がまるっきり違う。言語化の過程で捨象されるものが〜とかよく聞くけど、個人的にはそれともなんか違う。経験の一部しか言葉にできない、というのではなくて、経験というものを経験たらしめる何かは、言葉の形式の中にはないから、言語化において、経験が経験のままその一部が捨象されるのではなく、経験が変質して言語の指す先の意味になる。と、思う。ただ、変質が可能なのもおもしろいよな!経験を言語化したら経験でなくなるとはいえ、その言葉は間違いなく、それが表現しようとした先の経験を持つんだから。なんでこんなことができるんだろう。経験と、それを指そうとする言語は、質を全く異にしているのに、どうやらなんらかの関係がある。それは意味するものと意味されるものとの関係ではない。経験と言語が指す意味内容との間において、すでに質の違いがあるからだ。意味内容はあくまで意味内容であって、経験の要件は満たさない。

 何の話してたんだっけ?言語チックな思考の問題点についてか。言語化ってありがたがられるけど、経験の主観性を無視してないか?という指摘をしたかったんだ。そう、そうなんです。言語で考えられるのも嬉しいんだけど、でもそれだと主観が置いていかれる。僕らは自分の身体を通して主観的にしか経験できないのに、ですよ。これは大問題だろ!僕らの人生は、僕らの身体を通してしか経験されないんです。僕らは人生を主観的に生きているんです。なのにその主観性を度外視して、言語の意味内容だけで話を進めて良いんですか?僕はそうは思いません。そういうわけで、ダンスしよう。ダンス。これはマジなんです!言語によっては触れえない知ってあるんです!だから言語によらないタイプの芸術があるんだろ!だから踊るし歌うし描くし作るんだ。表現の中で間接的ないし直接的に他者と場を共有すること、あるいはしないことで、自分や他人を経験的な知の領域に導こうとするのが芸術だと僕は思います。逆に言えば、皆さんの一挙手一投足一聴一見一触一思考が芸術たりうるわけです。皆さんは経験的な知の中を生きています。生まれるということは、経験的な知の世界に投げ込まれること。芸術がまなざす世界の中に放り込まれることです。

 次は経験的な知の価値について検討するフェーズですよ。経験的な知がクソだとすれば死ぬのがベストってことになります。クソの中を泳ぐのはクソなので。本当にクソか?クソの中を泳ぐのにも良さがあるとすれば?プロクソスイマーにも話を聞く必要が出てきましたね。運知我慢出 機内さんに来ていただきました本日はありがとうございます。\pop!/あ!早速、ウンチを漏らされたということで筆者の寝る時間となります。おやすみなさい。また明日。

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