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天才について考えてみる
天才とは何か
「天才」ってなんだと思いますか?
いわゆる「天才」と呼ばれる人たちって、後世の人たちに「天才」
と呼ばれているだけであって、
生きてるうちは「変人」扱いされている人が多いですよね。
そしてそのうち忘れ去られる。
ゴッホやピカソや新戸部稲造などなど、、、
生きてるうちはわりと苦しい人生を送ってたんじゃないかなと思いますよね。
私が思う「天才」という定義
「天才」という言葉は、その人の一部分であり、その人自身を表す言葉ではない
これが私の結論である。
「天才」と呼ばれる偉人たちも、
「天才性がある一部分」が後世に残っただけで、実生活は欠点だらけだったりしただろうし、だからこそ、その天才性が研ぎ澄まされたという視点からの結論である。
要は持って生まれた天才性を削ぎ落とさないまま大人になっただけの話。
生まれた時はみんな天才である
赤ちゃんてすごいですよね。
スポンジのように色んなことを吸収していく。
そしてそこにいるだけで周りを笑顔にすることができる。
「天才性」は誰でも持っているというのが私の持論である。
やがて成長して、色んな箱に入っていくなかで、
周りと比較したり、他人に合わせていくなかで、
だんだんと、「天才性」の部分が削られていく。
大人になっても「天才性」は残っている
例え、「天才性」の部分が削ぎ落とされていったとしても、
ほんのカケラになっていたとしても、必ず残っているのが「天才性」である。
しかし、学校然り、会社然り、箱に合わせていくなかで、
天才性を削ぎ落としていく作業をしなければならなかったりするのが現実だ。
なぜならば、飛び出てしまうと浮いてしまう=叩かれるからだ。
いかに「天才性」が大きいうちに見つけてあげられるか
これが私が人と接する時の大きなテーマだったりする。
生まれてから死ぬまでを相対的な表現で言えば、
天才から凡人になる作業をしていることとなる。
いわゆる退化というやつである。
新品で水をたくさん含んだスポンジが、
人の手に揉まれていくうちに、
水の吸いも悪くなり、汚れてきて、
小さく硬くなっていくイメージである。
であれば、天才性は早く見つかった方が子供はそこからの人生が楽になる。
私は子供を3人育てているが、
3人それぞれ全く性格が違うので「大きな天才性の部分だけ早めに見つける」
というのがテーマである
例えば長男だったら大勢の前で堂々と喋ることや率先して動くことに長けていたり、一本気で正義感が強いのでスポーツをやらせてみる
次男だったら表現力豊かで音楽の才能があったり、人と違う視点を持っているのでスポーツより勉強より表現力が磨ける環境を作る
長女だったら諦めない精神がハンパじゃなく好奇心旺盛なのでスポーツも勉強もバランスよくやらせる
他にもたくさんあるけれど、より突出している部分が「天才性」であり、
それを発見するために色んなことをやらせる
そして、やめてもいいと思っている
(実際めちゃくちゃやめたw)
続けることが正義じゃないと思っている
成長しても残っているものが、天才性を持った部分だと思っている
天才は、ただの一部分
「あの人天才だよね」
ではなく
「そういう部分が天才的だよね」
という使い方が正しいのではないかなというのが私の見解である。
この天才という言葉は、境界線を作る言葉でもある。
これには両面あって、
目指す対象にもなりうるかもしれないが、
自分を諦める理由(または他者を切り捨てる理由)にもなりうるものである。
「あの人天才だよね」・・・自分を諦める理由(または他者を切り捨てている)
「そういう部分が天才的だよね」・・・単純に才能を認めている
私の中ではこういったイメージである。
天才は、ただの一部分。
天才は、ただの言葉である
これはたかしくんの回答である
天才という抽象的な言葉に対して、
具体的に生活に落とし込んで使っている人もいれば、
その人をただ抽象的に形容するものとして使っている人もいる。
「なんの意味も持たないただの言葉である」
「天才」という実態の掴めない言葉に対して、
より具体的に考えてみると何かしら気付きがあると思うので、
すごく面白い作業なんじゃないかなというお話でした。
「天才」についてあなたはどういった意見をお持ちですか?
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