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【掌編小説】寂しい音

 弦から鈍い音をボロンボロンと産み落とし、指先を圧迫される痛みなんか気にせず、もうかれこれ三時間も覚えたてのギターに夢中になっていた。
 彼に憧れて始めたギター。日々の話題が欲しかった。話が下手な私の不器用な口実は不器用な指先から、みっともない音を出している。聴いていられない、恥ずかしい音だ。
 彼は猫みたいな人。何にも縛られていなくて、好きなときに好きな事をする。人の目を気にせず自由に振る舞えるところに特に深い憧れを抱いた。私はそんな彼の様になりたかったし、そんな彼に甘えたかった。そんな私の心は猫になる。心は大好きな彼に、ゴロゴロゴロゴロ喉を鳴らす。ゴロゴロにゃー。
 だけど、心の声なんて伝わらないからこのギターを鳴らす。
 猫が闊歩する様に滑らかでしなやかに整った運指をしたいのに、私の指はモモンガの様にちまちましていて、そしてどこかに飛んでいく。
 ワシワシ、ワシワシ、びよーん。
 そりゃ音にだって焦りが表れていて、おどおどしていて、頼りない私がそこに浮かび上がる。楽器や音は心を映すというけれど、こんな風に私を再確認するとは。
 少し疲れてしまった。小腹が減った事に気付き私の実家から送られてきたきゅうりを水道で流し、洒落っ気の無い壁を眺めながら、河童みたいにぽりぽりぽりぽりきゅうりを頬張る。慣れていない事だし、指を使う作業は気が付かないうちに脳に疲れが出る。
 ふと気付くと二時間も寝むっていて、彼と住んでいるこのオンボロアパートでギターを弾くには向かない時間になっていた。同棲を始めたっていうのに、一緒に住んでる筈なのに、二人にはこんなにも距離がある。
 一緒に住んでいたって、彼のギターを触ってたって、同じものを食べていたって、二人は違って同じじゃない。一つになれない寂しさがいつもあって、それは音にも表れている。
 彼の煙草臭い部屋で、寂し気な音が鳴る。覚えたての簡単なコード。時間を気にして力を殺して。
 小さな音で鳴った、

『大きな寂しさ』。

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