"DAS DAMEN"の事。
ミュージシャンに限らないが、芸術家は破天荒だったりエゴイストだったり悪ふざけが過ぎたり、ハチャメチャな行動に出る人がいる。ロックの長い歴史の中では、窓からピアノやテレビを落っことしたり、ホテルの室内を破壊しつくしたりと、武勇伝で済んだ1960年代や1970年代は良かったが、1980年代ともなると自由奔放って訳にはいかない。挑発的な態度だったり、ビッグマウスだったり、ミュージシャン同士の舌戦はあるけど、やっぱりある程度の忖度は必要な時代。本人に悪気があったのか無かったのか、悪ふざけか本気かは分からないけど、とんでもないビッグ・ネームに取り返しの付かない方法で喧嘩を吹っかけ、結果的にバンドの寿命を縮めてしまったという致命的な黒歴史を作ってしまったバンドがいました。彼らの運命はどうだったんでしょう。バンドの名前はDas Damenと言いました。
アメリカはニューヨーク出身、まだ学生だったギタリストのAlex TotinoとドラマーのLyle Hysengがパンク・バンド Misguidedを結成して2枚のシングルをリリースしますが解散。新メンバーを探していた彼らの元に集まったヴォーカル/ギターのJim Walters、ベースのPhil Leopold von Trappを加えた4人組として1984年にDas Damenが結成されています。バンド名はドイツ語の「Die Damen(女性)」をもじった偽のドイツ語みたいです。結成後間もなく、デモ・テープを自主制作でレコーディングしたところ、後にニューヨーク・アンダーグラウンドの重鎮となりますが、まだ駆け出しだったSonic YouthのThurston Mooreの耳に止まり、彼が主宰するインディ・レーベル Ecstatic Peace!から6曲入りミニ・アルバム"Das Damen"をリリースしています。まだオルタナティヴ・シーンが確立しておらず、ロサンゼルスではハードコア・パンクが、ニューヨークではジャンクと呼ばれるアンダーグランドなノイズ・ロックと実験的なノー・ニューヨーク周辺のアーティストがサウンドを模索していた時期に、オールドタイマーなサイケデリック・ロックとヘヴィなアシッド・ロックを演奏するという挑発的なバンドでしたが、サウンドの根っこには、ニューヨークの乾いた空気感とパンク以降の時代の混沌を感じさせました。この後、所持金をすべてつぎ込んでニューヨークを中心にライヴを行うと評判になり、Sonic Youthも在籍していたレーベル、SST Recordsと契約します。
契約してすぐに、SST RecordsはEcstatic Peace!からのミニ・アルバム"Das Damen"をリイシューし、1987年にはSST Recordsからデビュー・アルバム”Jupiter Eye”をリリースしています。今作も、アシッド・ロックをベースとした即興色の強いヘヴィ・サウンドで、周辺のバンドとは異なったサウンド志向を持っていました。パンクのエナジーと破壊力とアシッド・ロックのトリップ感覚を持った、今にも壊れそうなカオティックなジャンク・サウンドには存在感がありました。しかし、単なるインパクトでは無く、微妙に抑制された部分もあり、その抜き差しが魅力と言えました。Sonic Youthのクールな熱情とは違ったベクトルで、ニューヨークの空気を感じさせる乾いたサウンドが魅力です。プロデュースは、ノー・ウェイヴ時代から活動するニューヨークのエンジニアで、Sonic Youth , Glenn Branca, Dinosaur Jrなどを手掛けたWharton Tiersとバンドが共同で手掛けています。
1988年には、2作目のアルバム”Triskaidekaphobe”を同じくSSTからリリースしています。前作から引き続きWharton Tiersが、今回は全面プロデュースしています。熱心なギグで培った確かな演奏力とソングライティングが覚醒し、バランスの取れたバンド・サウンドと、メロディックなヴォーカルによるせめぎ合いは、バンドの確かな進化を感じさせました。一方、アシッド感が後退して、ハード・ロック寄りになっており、時代と逆行していた感や好き嫌いが分かれるのは否めませんでしたが、可能性を感じる作品です。MC5のWayne Kramerが参加しています。しかしこのジャケットは...。アルバムのリリース後、UKでのツアーを敢行し、好評を得ました。
そして、事件は起こりました。というか、起こしてしまいました。前アルバムと同じ年の1988年に、引き続きWharton Tiersのプロデュースにより、4曲入りのシングル"Marshmellow Conspiracy EP"をリリースします。メロディやヴォーカルの魅力を最大限に発揮する事に注力したと思われる作品で、クールなギター・フレーズや、混沌としたサイケデリアが復活し、フリーキーで実験的なサウンドやファンクの要素も取り入れた、バンドの成長を実感させる好作品です。しかし、この作品のラストに収録されていた曲”Song for Michael Jackson to $ell”は、実際にはBeatlesの"Magical Mystery Tour"を無断使用したノイジーなカヴァーでした。これは、Paul McCartneyを上回るBeatlesの権利を持っていたMichael Jacksonに対する挑発であり、彼に印税を支払わなければならないことに抗議するためのものでした。いくら言いたいことがあっても、法は遵守しなければならないもの。Michael Jacksonの弁護士は、このシングルを全て回収して倉庫の分も全て処分するようにと命じました。しかも、このシングルは、ピンク色のヴィニールの特殊仕様という事で金がかかっており、この楽曲を除いた3曲入りシングルとしての再リリースを余儀なくされ、レーベルが被った損害はあまりにも大きく、バンドは契約を解除されています。
契約を失った彼らは、残ったレコーディング曲をSub PopのSingles Clubシリーズの1枚としてリリースするのがやっとでした。そんな彼らを救ったのは、ミネアポリスの Twin/Tone Recordsでした。1989年に、同レーベルから3作目のアルバム"Mousetrap"をリリリ-スしています。アメリカン・オルタナティヴ、中でもボストンの音楽シーンの拠点となったスタジオで、Pixies, The Throwing Muses , The Lemonheads , Dinosaur Jr.などを生み、ボストンからケンブリッジに移転したFort Apache Studiosで、スタジオの共同経営者であり、多数の作品を送り出したSean Sladeのプロデュースによりレコーディングされた意欲作です。バンドのキャリアを集大成をするかのような、アシッド・ロック、ノイズ・ロック、ニューヨーク・アンダーグラウンドといった従来の要素と、アコースティック・ギターを使用したアメリカン・ルーツ・ライクなサウンドや、フックが効いた深みを増したアレンジを卓越した演奏で表現したこの作品は、バンドの到達点とさえ言える作品です。アルバムからのシングル・カットで、Magazineのカヴァーを収録したシングル”Noon Daylight”が制作されますが、Twin/Tone Recordsはリリースを断念し、関係の深いドイツのレーベル What Goes On Recordsからのリリースとなります。バンドのアメリカ国内での立場の危うさを感じずにはいられませんでした。
CBGB'sやAxis Clubでの1990年のライヴ・パフォーマンスを収録したライヴ・アルバム"Entertaining Friends"は、同じくドイツのCity Slangから1990年にリリースされています。バンドの集大成と言える過去の作品を集めた内容で、これだけのキャリアや場数を踏んだバンドらしいサウンドを聴かせますが、バンドの不安定な立場を感じさせる、統一感やエナジーの感じられない演奏には不安を感じずにはいられません。Televisionの”Friction”のカヴァーを収録しています。一方、Fort Apache StudiosでSean Sladeのプロデュースでレコーディングされた1991年のシングル"High Anxiety"は、バンドの勢いや熱情やテンションの高いサウンドが繰り広げられる好盤となっています。ライヴ・アルバムにも収録された"Chaindrive (A Slight Return...) " , " Thrilled To The Marrow"といった、彼らの代表曲に成り得た楽曲を収録しています。City Slangからドイツでのリリースに加え、Sub Popから久々にアメリカでリリースされましたが、バンドに余力は残っておらず、このシングルを最後に解散しました。もしかしたら、これを最後にすると決めてのレコーディングだったのかも知れません。バンド解散後、Lyle Hysenは、インストゥルメンタル・バンドのThe Royal Arctic Instituteを結成、Das Damenの後期にお世話になったホーボーケン・シーンを中心に活動しています。
口は災いの元と申しますか、このバンドの場合は選曲なんですが、反骨精神はいいのだけど、それに度が過ぎてしまっては厳しいのでしょう。その相手が Beatlesとキング・オブ・ポップでは、ローカル・バンドが太刀打ちできる訳がない。バンドのサウンドとしては今でも心に残る曲が多数あったし、バンドの最後期の楽曲が非常に良かっただけに、更なる成長も期待できたはず。自らの行動により、チャンスを棒に振ってしまった残念なバンドでした。今回は、彼らのラスト・シングルに収録されていた、バンドの更なる可能性を感じさせたこの曲を。
”Thrilled To The Marrow" / Das Damen
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