あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #20


#20 中二のときの担任のこと


いまや、うつ病の人を「がんばれ」と励ます人はいなくなった。

と、言いきってしまうのはさすがに言いすぎで、いまだ無理解は蔓延っているのだろうし、さらにそもそもがそれだけで済む問題でもない、というのはもちろんのこととして、でも、セクハラや痴漢と呼ばれることをおそれて女性のからだに触れなくなった男性は多いだろうし、軽々しく「ホモ」とか「レズ」とか口にする人も、まあ、減ったような気がする。
完全ではないけれど、そういう知恵はすこしずつ根を広げている。個人が個人を尊重するための、マニュアルと呼ぶほどでもない、了解みたいなもの。それを窮屈だと言う人がいるのも知っているけれど、女性で、不安定で、コミュニケーションが苦手なわたし個人にとっては、おかげでずいぶん暮らしやすくなった。

自分でも、すんでのところで言動を取りやめることがある。子どもに対して、両親が健在であると思い込んで話しかけそうになったり、友だちにひどい押しつけのアドバイスをしそうになったりするときに。
そのたび、ああ、わたしはべつに、配慮があってやさしい存在として生まれたわけではないんだな、と思う。何も考えずにいれば、すぐに無意識の暴力のなかに堕してしまう。
だから、後付けで、知識に頼って、おっかなびっくり誰も傷つけなくてすむよう振る舞う。
たぶん、みんな、ある程度そうなんだろう。

中学二年生のとき、授業をさぼって屋上に上ったことがある。
漫画じゃあるまいし、屋上は立ち入り禁止で、ほかにそんなことをしている人はいない。わたしもそのときがはじめてだったけれど、音楽準備室の窓から出られた。
教室をきらって保健室へ逃げ込んだものの追い返され、しぶしぶ教室に戻る途中で、急にいやになったのだった。窓から屋上に降りられそうなことは元から知っていたし、思い立ってしまえば早かった。

屋上は埃が溜まっていたけれど、風が強く、ひらけていて、悪い気はしなかった。なんとなくフェンスから身を乗り出して下を覗き込んだら、眼鏡がするっとはずれて、校庭へ落ちていった。あっ、やっちゃった、ま、いいか、あとで探しにいけば。
そのまま、しばらく暇をつぶしていたような気がする。

階段を駆け上がってくる足音がしたかと思うと、非常扉が勢いよくひらいて、跳ね起きる。そこには教師の女が息を切らして立っており、みょうに声高に「あっ、向坂さんっ」とさけぶ、やばい、ばれた、怒られる、と思っているあいだに、そのあとからぞろぞろ十人くらい教師の一行が入ってきて、ギョッとした。
えっ、そんなに?
正直、どうせすぐバレるだろうと居直ってさぼっていたので、温度差にまごつく。教師たちはなにやら誰かに連絡を取っている。えっ? これ以上の大勢で探してたってこと? ちょっと授業さぼったくらいで?
怒声がとぶことを警戒して押し黙っていると、中年の女の教師が寄ってきて、わたしの手を握った。
「ああ、こんなに冷たくなっちゃって、寒かったでしょう……」
そして、やたら丁重に手の甲をさすりはじめる。こわごわ見ると、目に涙さえ浮かべている。はっ?
そこで、ようやくこれがどういう事態なのかわかってきた。

……死のうとしたと思われてる!

いや、たしかに、わたしにも非はある。
べつに、そのときたまたまそうでなかっただけで、死にたいと思ったことはあったし、それを保健室で養護教諭に打ち明けた、ような気もする。必ずしも勘違いとも言えない。
さらに、これは後でわかったことだが、教師たちはわたしが保健室にも教室にもいないと気づいて、まずは校内放送で呼び出したらしい。が、放送は屋上までは聞こえない。当然わたしは応答せず、革靴はある、ということは脱走はしていない、しかたなく校内捜索が始まったところで、まず、落として割れた眼鏡が見つかってしまった。これがよくなかった。このせいで屋上にいることがばれ、おそらくさらに落下のイメージがなんとなしに伴ったのだろう、すみやかに自殺志願を疑われたのだった。

教師たちが屋上でゆるやかに解散するのと入れ替わりに、連絡を受けたのだろう、担任が走ってきた。わたしの姿を見て安堵の表情を浮かべる、ということはたぶんこの人もわたしがいままさに一命を取り留めたと思っているのだ。気が重かった。安堵の表情を浮かべないでほしい。

担任は、まだ新任の男の教師だった。
背が低く、全体的にシルエットが円い。国語担当で、大学の卒業論文でオノマトペを研究したらしく、オノマトペにきびしかった。女子校では、若い男の教師は往々にして軽んじられ、からかわれ、あなどられる。彼もその例に漏れず、嫌われてこそいなかったものの、なんとなくいつも小馬鹿にされていた。
本人は、何を言われても女生徒たちと冷静な距離を保ち続け、ただ呆れた顔でため息をついていた。そういう人だった。

そのとき、校舎は改修中で、西側半分が閉鎖されていた。彼に引き渡され、連れていかれたのは、そのちょうど狭間、一歩だけ閉鎖地帯に入ったところにある、狭くてかびくさい部屋だった。
こんなとこ入れたんだ、と思いながら、事情聴取を受ける。どうやって屋上入ったの? と聞かれ、覚えてません、気づいたらいました、と答えた。大ウソだ。でも、正直に答えて音楽準備室の窓に鍵がかけられるのがいやだった。結果的に自ら自殺志願者らしさを補強してしまう。

担任は、とくに叱ることも、問い詰めることもなかった。ただ、小さな部屋の小さな机にどんどん身を乗り出し、くりかえし汗を拭いた。なにを訊ねるときにもためらいまじりだった。
なぜ自殺未遂の疑いを晴らさなかったのか、覚えていない。否定したけれど信じてもらえなかったのかもしれないし、教室に戻るよりここにいるほうがましだ、と開き直っていたのかもしれない。

同じ質問を何周かくりかえし、わたしがたいしてなにも打ち明けないつもりであることがわかると、やがて担任もなにも言わなくなってしまった。
しばらくまったくの無音がつづいたあと、急にひじのあたりを両側から掴まれた。わたしが机の上に投げ出していた腕を真ん中に寄せ、からだを固定するように。わたしは、なんだこいつさわりやがった、離せ、と思ったが、なぜか黙っていた。彼がまったく困り果て、ことばを失っていることが、握力でうっすらと感じ取れた。
そのまま、でもおそらくごく短いあいだ、わたしたちはにらみあっていた。とくにそれで事態が好転することはなかった。

たぶん、担任はずっと正解を探していたのだ。

気づいたらあのときの担任の年齢を超え、自分も塾のアルバイトで生徒を持つようになった。いまわたしのなかにインストールされた「尊重のマニュアル」はおそらく、あのとき彼のなかにあったものと近い。
今思えば本当にひどい思いをさせた。自分の生徒が自殺未遂を起こすことを想像すると、つい顔をしかめるくらい怖い。責任問題やなんかをすべて差し引いたとしても、そこで自分に投げかけられる難問を思うと寒気がする。
怒ってもいけないし、無理に事情を聞き出してもいけない。パズル、しかもこわれやすいパズルだ。まして女子生徒と若い男性教諭、身体にふれるなんてもってのほかなはずだった。
でもふれた。それが、決死の覚悟だったのか、なにか戦略のうちだったのか、あきらめだったのか、わからないけれど。

勘違いしないでほしいのは、ふれられてうれしかったとか、ふれてほしかったとか、そういう話ではない。わたしがパズルだとして、彼はひとつも正解を出さなかったと思う。ただ、あのとき、彼にマニュアルを踏み越えさせたなにかがあった。
そうでなければとっくに忘れていた出来事だと思う。

「そうなんだね」と言われるのがきらいだ。
いや、べつにそう言われただけで怒ることはないけれど、「そうなんだね」ということばのなかに、「あなたはそう思うんだね、それはあなたの考え方の問題だけど、わたしは否定せずにいますよ」という含みを感じ取る時があって、それが好きじゃない。バイセクシャルであることや登校拒否児であったことを話すとき、そのようにほほえまれると、その「最適な距離感」みたいなものをめちゃくちゃにしてみたい衝動におそわれる。

「最適な距離感」を作り上げているのは、まぎれもなくわたしたちの「尊重マニュアル」だ。
よくないのは、自分が「マニュアル」を頼りにしているときにさえ一方では同様の衝動を抱いていることで、深刻な話を聞いているときに急に笑い出してしまいたくなったり、知らねーよ、べつにいいじゃん、と言いたくなったりする。
そうしてどうなることを期待しているわけでもないけど、ただそうしてみたい瞬間がある。

予感する。「尊重マニュアル」によって、きれいにやりすごせたこと、きれいにやりすごしてもらえたことはたくさんあって、もちろんそれでスムーズに暮らしやすくはなったけれど、でも、それだけでは立ちゆかなくなるときがあるのではないか。

だとしたらいつか、ふれてはいけない誰かにふれるときが、わたしにも来るのだ。ことばへの信頼を捨て、押しだまって、にらみあうように。
それは、ほとんど確信に近い。

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