あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #18


#18 初恋のひとのこと


ふるさとを持っている。十一歳までを生まれ育った名古屋の市街地だ。いまでも思いだせばすぐ胸をつまらせることができる、そのくらい、存在感のあるふるさとである。

わたしのふるさとは、派手でもないし、とくに自然にあふれてもいないが、ゆったりしたいい街だった。道幅が広くて、広い公園と、おもちゃみたいな観覧車と、教会の真っ白な鐘塔と、とにかくたくさんの坂道があった。
六年生に進級するとともに関東の小学校へ転校したあと、わたしは間もなく名古屋の風景に焦がれるようになった。クラスメイトも、給食も、帰り道も、すべてあるはずなのに、まるで足らなかった。
わたしはそのころの通学路に咲いていた花をひとつも覚えていない。名古屋では、水仙の咲く空き地も、のら猫のたまり場も、道のタイルもようのパターンがどこで切り替わるかまで、知り尽くしていたのに。

名古屋に置いてきたものが、自分のすべてであるかのように思えた。

そのなかには、好きだった人もいた。
みっつ歳上のAちゃん、女の子だ。Aちゃんは、わたしと同い年の友だちのお姉ちゃんだった。
初恋だったと思う。

どうして好きになったのか、はっきりとした記憶はない。ただ、小学生にとって三歳の年の差は大きく、いつも先を行かれているのがくやしかったのは覚えている。わたしは読書好きだったので、同級生に知識で負けることはほとんどなかったのに、Aちゃんはわたしの知らないことをよく知っていた。
そして、わたしに「好きな人」ができるずっと前から、Aちゃんは同じ中学の男の子を好きになり、彼の話ばかりした。ときに目の前でこれ見よがしに電話をかけてみせたりもした。
それがまぶしかったような気もする。
「人を好きになる」という現象そのものを、わたしはAちゃんの語り口によって知り、やがて同年代の女の子にも順番に好きな男の子が現れ始めるころ、流れるようにAちゃんのことを好きになった。
なので、好きになると同時に失恋も経験したわけだ。だからといって嫉妬することもなく、ただ、Aちゃんは当たり前のように好きな男の子に恋をしていて、わたしは恋をしているAちゃんのことが好きだった。それはほんとうに自然で、いま思うとふしぎなくらい、性別のことでは一切悩まなかった。

Aちゃん一家とは家族ぐるみの付きあいで、夏になると数家族で連れ立ってキャンプへ出かけた。昼間さんざん遊んだあと、子どもたちは子どもだけのテントに入る。そこでランタンをぶらさげて、夜遅くまで怪談話をし、トランプをし、そして、好きな人の名前を打ちあけあうのだ。わたしはといえば、まだ好きな人なんていないなー、みたいな顔をしていた。
夜が更けてくると、子どもたちはひとり、またひとりと眠りに落ちる。山のなかなので、ランタンを消すと一気にまっくらになる。

そのとき、なぜか、みんなが寝静まったあと、わたしとAちゃんはふたりでテントの外に出ていた。わたしがトイレについてきてもらっていたのかもしれないし、眠れなかったAちゃんに付き合わされたのかもしれない。うすら白いススキの影がそこらじゅうで揺れていて、めまいがするくらいの星空だった。

Aちゃんはわたしのことを「◯(本名の最初の一文字)ーちゃん」と呼ぶ。それも、みんなは「ピーマン」とか「ターバン」のイントネーションで発音するところを、Aちゃんだけは平坦に、「ジーパン」や「詠嘆」のイントネーションで呼びかける。そのときもそうだった。

「◯ーちゃん、本当に好きな人いないの? 誰にも言わないから教えてよ」
「わたしが好きな人、Aちゃんだよって言ったらどうする?」
「んー? どうもしないかな」
「ふーん」

そのままテントに戻ってAちゃんのとなりでぐっすりと眠り、翌日になってから、あれ、なんかわたし、告白して、ふられたな……という実感がわいてきた。
あっさりしたものだ。Aちゃんはそのあともまったく態度を変えなかったし、本当に誰にも言わないでおいてくれた。おかげでわたしもとくに傷つかずにすんだ。むしろ、そのずっとあと、Aちゃんが件の好きな男の子とついに付き合い、そしてAちゃんの方から別れてしまったことを知ったときのほうがさみしかった。わたし十歳、Aちゃん十三歳、苦しむことも燃え上がることもない、ただまぶしいだけの初恋だった。

Aちゃんへの恋はそれで終わったけれど、関東に引っ越してからも、名古屋の友人たちがキャンプに行くときは現地集合で仲間に加わった。
わたしが関東でいじめられていたことを、みんな知っていたような気もするし、知らなかったような気もする。久しぶりに再会してもみんなはまるで変わらなかったし、わたしもあっという間に名古屋にいたころの明るいふるまいを取り戻せた。
それがかえって哀しかったのは、名古屋にいたときの自分と、関東にいるときの自分とが、分裂していくように思えたからかもしれない。みんなは変わらないままなのに、自分だけ別の人生を隠し持っている。わたしだけが正しく育てていないような感覚があった。
なにを考えているときだろうと、わたしはつねに名古屋に帰りたかった。もし転校せずに名古屋にいつづけることができれば、わたしもみんなといっしょに正しく育つことができたのだと思った。そして、いつも心のどこかで、いまからでも名古屋へ戻りさえすれば、失ったもの、まちがえたことのすべてを取り戻せるような気がしていた。

キャンプはたいてい二泊三日で、二回眠ってしまえば終わる。
中学生に上がってはじめて行ったキャンプの最後の夜、わたしはまったく眠れずにいた。朝になればみんなと離れ離れになることを受けいれられなかった。考えていると涙が出てきて、しばらく声を殺して泣いていると、急に正面から手がのびてきて、わたしのからだを抱きしめるようなかたちで背中をさすりはじめた。
Aちゃんだった。Aちゃんはことばをかけることもなく、目もつむったままだった。たぶん、わたしの泣き声で目を覚ましただけで、まだ半分眠っているんだろうと思った。わたしはしばらく動揺していたけれど、Aちゃんの胸に顔をうずめたまま、気がついたら眠っていた。
朝になるとからだは自然に離れていた。Aちゃんとその話はしなかった。このことはわたしのなかで、しばらくまったく不可解な思い出になった。

数年後、ついに名古屋への家出を敢行するまでに追い詰められたとき、わたしが真っ先にAちゃんに電話をかけたのは、そのことがあったからかもしれない。

高校二年のとき、ずっとはりつめていた気持ちが夏休みのあいだにふつりと切れ、二学期から学校へ行けなくなった。是が非でも学校へ行かせようとする親に反発した勢いで、制服のかばんに着替えを詰め込み、駅のトイレで着替えて新幹線に乗り込んだ。転校してきた当初から、「いつでも名古屋に帰れるように」と手をつけずにおいたお年玉があったから、交通費には困らなかった。
名古屋駅の新幹線発着ホームで、Aちゃんの家に電話をかけた。平日の昼間だったのでお母さんが出るかと思ったけれど、電話をとったのはAちゃんだった。

「Aちゃん? あのね、わたし、急に家出してきちゃって、いま、名古屋駅にいて、あの、Aちゃんちに行ってもいい?」
「えー!? いいよ、おいで、駅まで迎えに行くよ」

Aちゃん一家が常識はずれなほど優しく受けいれてくれたので、わたしはそのままAちゃんの家へ転がり込んだ。
Aちゃん家の子どもたちが学校へ行っているあいだ、小学生のころの通学路を歩いて回った。歩幅が違うからだろう、どの道のりも記憶よりずっと近い。当然、小学校にはあたらしい子どもたちが通っていたし、わたしの部屋だった窓には知らないカーテンがかかっていた。水仙の咲く空き地は切り崩されて崖になり、立ち入り禁止の札がかかっていた。

それでようやく、すでにここには取り戻せるものなんてなにひとつ残っていないとわかった。

Aちゃんの家に帰ると、友だちであるAちゃんの妹の、そしてAちゃんの変わらなさが妬ましくなった。自分だけが変わってしまったような気がするのと同時に、自分だけがいつまでも子どものままで取り残されているようにも思えた。

数日過ごすうちに散歩に出ることもなくなり、Aちゃんたちの部屋に引きこもるようになった。部屋の主がいない間に、勝手に漫画を読んだり、壁に貼ってある写真を眺めたりして暇をつぶす。その流れで、なんとなく、Aちゃんの机の上に出しっぱなしになっていたノートをぱらっと開いた。
それは、Aちゃんの日記だった。
最初のページに書いてあったのは、おそらく、日記をつけはじめるにあたってのAちゃんの決意表明のような文章だったと思う。

『私は勉強する。誰かを助けるためじゃなく、自分のために。
誰にもばかにされずにすむように、自分の身を守るために、賢くなる。
ばかにしてきたやつらを見返すために』

盗み読みの罪悪感にうたれながらも、わたしはそのページだけを何回も読み返した。目をはなせなかった。Aちゃんの字はわたしのよりきれいで、Aちゃんのやわらかい声色によく似ていた。それでよけいに内容の思いがけなさが際立つ。
まず、Aちゃんも戦っていたんだ、と思った。
この街で自分だけが暗い感情を持っているような気がしていた。でもそうではなかったのだ。Aちゃんもまた、わたしの知らないところで、誰かをおそれたり、憎んだり、自分をふるい立たせたりして生きている。
それが、そのときのわたしにどれほどうれしかったか、わかるだろうか。
それ以上ほかのページを見ないことを唯一の良心として、わたしはそのページだけをしばらく見つめていた。

週末になると、親がわざわざ名古屋まで連れ戻しに来て、わたしの家出生活は終わった。
Aちゃんも戦っているのだからわたしもがんばろう、となればよかったのだがそううまくはいかず、そのあともしばらく登校拒否状態はつづいた。ただ、あのときAちゃんがテントのなかでなぐさめてくれたことに、はじめてすこしだけ納得がいった気がした。

いま思えば、きっと、戦っていたのはAちゃんだけじゃなかったんだろう。

いつ会っても昔と変わらない幼なじみたちに対して、わたしはひどいコンプレックスを抱えていたけれど、彼女たちもわたしの知らないところで悩んだり、苦しんだりしていたはずだ。(そういえば、当のわたしだって、みんなといっしょにいるときに限っては、すっかり昔と変わらない自分に戻っているのだった。)
たまたま子ども時代の終わりとともに名古屋を離れたせいで、まるで名古屋に帰れば昔に戻れるような錯覚を抱きつづけてきたけれど、よく考えたら名古屋に住みつづけている友だちだって、どうあがいても子どもの頃には戻れないのだ。

みんな、平等に変わっていき、そして、失っていく。
かんたんなことで、わたしがずっと帰りたいと思っていた場所はもう、誰にとっても、世界のどこにも存在しないのだった。

そのことにふと思い至ったのは、家出からさらにずいぶんあとになってからだ。

いまでも名古屋を訪れると、なつかしさで足がふるえる。存在できなかったしあわせな十代のわたしに思いを馳せることもある。
けれど、同時に、いまここにはなにもないこともよくわかっている。
あるのは記憶の断片的な面影と、いまのわたしとはそんなに関係のないおだやかでうつくしい街、そして、わたしと会うときには昔とたいして変わらない友だち、友だちと会うときには昔とたいして変わらないわたし。
それで十分だと言いきるにはまだ未練が残っている気もするけれど。

わたし二十三歳、Aちゃん二十六歳になった。

「世界のどこにも存在しない」といいながらも、わたしはいまでも、うつくしいふるさとの風景をひっそりと心のなかにしまっている。百五十センチ足らずの身長で見上げるはるかな坂道、水仙の匂い、夏のひかり。
でも、そのなかには誰も、Aちゃんも、住んでいない。十三歳のAちゃんは、ほんとうに、ほんとうにすばらしい女の子だったけれど、それでも、すでに好きな人ではなくなったいまのAちゃんがいればいい。

ちなみに、二十六歳のAちゃんは、十三年前のわたしの告白をきちんと認識しているらしい。
いまだに「○ーちゃんはわたしのことずっと大好きだったもんね」という態度で接してくるので、わたしも「はい、まちがいありません」という顔をしている。Aちゃんが東京へ遊びに来たときに、「Aちゃんは横顔がきれいだね」とほめたら、「横顔『も』、でしょ」と返された。はい、まちがいありません。

わたしが、何度か(それもとっくに初恋が終わったあとに)Aちゃんによって助けられてきたことをAちゃんが知っているのかどうかは、わからない。というか、たぶんこのエッセイを読まれたことでばれる。
でも、まあ、とくにそれでなにが変わることもないだろう。

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