あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #10


#10 「テルヨさん」のこと


テルヨさん、という人のことを、わたしはほとんど何も知らない。おそらく川崎市に住んでいて、おそらく西荻窪駅を使っている。おそらく女性で、おそらく年配で、そしておそらく困っている。それだけだ。

猫背でうつむきがちだからか、わたしはよく落とし物を見つける。するとだいたい拾ってしまう。本来出会うはずのなかった他人の痕跡にふれるのがなんとなく好きなのだ。「自分とは関係ないところで営まれている誰かの生活」みたいなものに、みょうな愛着を感じるらしい。
だから、定期入れや携帯電話を拾うと、本当は見ないほうがいいのかもしれないけれど、つい中身を覗き見したくなる。そして、落とした人の風体を勝手に想像し、名前を心のなかで呼び、落とし物が無事に手元に戻るよう願う。

受験生だったころ、塾の帰りに西荻窪駅前で拾ったのが、川崎市発行、テルヨさんの名前入りのシルバーパスだった。
わあ、たいへん、きっと困っているでしょう。小鳥を拾ったかのようにうやうやしく交番へ持っていき、必要書類を記入しながら、例によって思いをめぐらせる。
テルヨさんはどんな女性なんだろう。無事に川崎市まで帰れただろうか。パスをなくしたことで家族に叱られただろうか。最後に「拾得者としてのすべての権限の放棄」に丸をつけるとき、たしかにひととき繋がったはずのテルヨさんとの縁を自らさらりと手放すようで、快かった。
テルヨさん、さようなら、どうかパスが何事もなく届きますように。そしてあなたが幸せでありますように。

すこし高揚しながら交番を出て夜の空気にあたったそのとき、不意に、あれっ、わたしって誰かに優しくできたのか、と立ち止まる。

わたしは基本的に自分を優しいとは思っていない。
高校生の時分、わたしは常に他人との距離感に困っていた。友だちを作るのがへただったのはともかくとして、たまにできた友だちと接するのさえへただった。

嫌いな相手ではないはずなのに、ときどき「一緒に帰ろう」と言われるのが猛烈にいやになり、走って逃げ帰る日があった。誰にも会わずにバスに乗れるとホッとした。体育祭の前、チームカラーをおそろいで身につけようと誘われて、しどろもどろになりながら断った。明らかにそっちのほうが体力を消耗するにもかかわらず、わたしは何かをおそれるように友だちとの距離を保ち続けていた。

また面倒なことには、「こんな挙動のわたしを友だちとして扱ってくれて申し訳ない」という後ろめたさまでが、それと比例するように増していった。
自分のことを話すのに抵抗があるせいで口をひらけば出まかせを言い、かと思えば及び腰で仲良くなることを拒む、今考えても本当にろくなやつじゃない。そんなわたしと、わたしが望む通りに距離を保ったまま、仲間はずれにするでもなく、友だちとして振る舞ってくれる。これもまた、当時のわたしにとってはたいへんおそろしいことだった。

あるとき、友だちのひとりに一対一で問われた。

「くじらはさ、わたしたちのグループが全員溺れてたとしたら、誰から助ける?」

……うん?

よくよく聞いてみると、どうやらついにわたしにはっきりしてほしくなったらしい。ようは、おまえは誰の友だちで、誰が大切で、誰が大切でないのか示してみろ、という趣旨の質問だった。そのとき友だちグループのなかにしずかな派閥争いがあったことも関係しているのだろう、幼い恋人がするような、わたしの愛着への試問。

そして、そんな質問をされたことが、なぜかそのときひどくわたしの気に障った。

「多数決するよ。きみたち一人一人に『誰から助けてほしい?』って聞いて、票が多かった人から助けてやる」

ああ、なんて不遜な答え。
半分はあてつけでもあったけれど、実際それが当時の本心に近くもあった。誰のこともとくべつ大事とは思いたくない。まして、順位をつけるような真似はしたくなかった。
納得のいく答えではなかったのだろう、友だちは顔をしかめて「冷たいなあ」といった。そりゃそうだ、納得のいかないように答えたんだから、ええ、冷たくてけっこう。でも、そうしている間に全員沈んで死んでしまうだろうな、と思ったら、わたしまでかなしくなった。

友だちを大事にできない。誰かを特別大事にしたいと思えない。
そのことが、高校生のわたしにとってはかなり気の重い問題だった。だから交番の帰り道、はたと気づいたのだ。

わたし、友だちには優しくできないくせに、ぜんぜん知らないテルヨさんのことを大事に思える。

それが、いわば自分の優しさと優しくなさのあいだに立たされた、はじめての経験だった。そのときは、自分が「テルヨさん」の幸せを願ったことがいかに無責任だったかを思い知らされたような気になり、肩を落として帰った。

あのころ、わたしは友だちの何をそんなにおそれていたのだろう。

受験を終え、高校を卒業すると、「友だちを大事にできない」と悩むことも減った。わたしが乗り越えたというより、大学に入り、仲良しグループや固定された人間関係から解放されたことが大きい。
「わたしは優しくないのだ」という思いこそ残ったけれど、その罪悪感を埋めるように人の相談に乗り、塾でアルバイトをし、そして物語や詩を書いた。話を聞くことと書くことは、いつもわたしが「優しくなさ」を克服するための手立てだった。

いまにして思えば、かつて誰かと仲良くなることをああも忌み嫌っていたのは、「自分が誰に優しくし、そして誰に優しくしないかを、あらかじめ決めたくなかったから」のような気がしている。

「仲良しグループ」には、いつも内と外がつきまとう。わたしは決して器用に学生生活を送れていたほうではなかったから、友だちがいたとはいえ、グループの「外」にいるほうがはるかに多かった。
そして、グループからはじかれたときに人がどのような目を向けられ、どのように排斥されるかを、身体でよく覚えていった。

だから、特定のグループの「内」に入りきってしまうことをこそ、わたしはおそれていたのではなかったか。
もっと言えば、誰かと仲良くする、という選択をした時点で、同時に他の誰かに優しくしないことを選ばなければいけないのだ、と強く思っていた。溺れている友だちのなかから何人かを選んで助け、何人かを見捨てるように。
それで、「多数決」が象徴するとおり、できるだけ誰とも深く関わらず、誰も特別にしないことで、自分が誰かを排斥する可能性から過敏に身を守っていたのではないか。

その結果、仲良くしてくれる相手をはげしく拒絶していたのだから、間違えている。

大学に入ってしばらく、わたしは青春時代の意趣返しを果たすかのように、ふらふらといろんな人におせっかいをやいて回った。(以前にこのエッセイで書いた顔のかわいい友だちもそのひとりだ)
すると、ときどきだが「優しい」と評されるようになった。そのたび逃亡犯のごとく安堵した。ああ、もう間違えていない。
誰に対しても同様に優しくなれる、というのは、わたしにとってはいちばんシンプルで、安心できる過ごし方だった。誰とも仲良くならず、そのかわり誰のことも拒絶せずにすむ。そう、ちょうど、顔も知らないテルヨさんを、ごく自然に大事に思えたみたいに。

単純な話で、わたしはずっと、誰に対しても無差別に優しくありたかったのだ。いや、むしろ、そうあらねばならないと自分に命じていた、というほうが正しかったかもしれない。

さて、わたしは、別のもう一人にも「冷たい」と評されたことがある。相手はサークルのごく親しい先輩。ふたりのとき、何気ない会話の中でだった。

「きみはさ、よくよく話を聞いていくと、友だちを友だちとも思ってないよね。冷たくて怖いよ」

彼はわたしが大学に入って、はじめて好きになった男だった。
あわてて反論する。

「えっ、どういうことですか。そんなことないですよ。なんならけっこうがんばって相談乗ったりとかしてますよ」
「でも、今日はじめて会った人でも、最悪道で話しかけてきた人とかでも、友だちと同じテンションで相談乗るでしょ。それって冷たいよ」

うっ。
即座に、この人にわたしの「優しくなさ」を見抜かれたのがわかった。そう、そのとおり。仲良くなることと話を聞くことは、わたしにとってはなんら関係がない。
でも、もう高校生のときとは違うはずなのに。いまは誰のことも拒まずにいようと思えていて、なんなら前に「冷たい」と言われたときとは真逆といってもいいくらいなのに。

二の句をつげずにいると、彼はつづけた。

「きみは、たとえば俺が死んでも、いくらでも代わりがいて、けろっとしてるでしょ?」

そのとき、自分でもすこしびっくりするくらい感情が大きく揺れた。

そうか、こんなふうに相手を悲しませるのか。

でも、ちがう、それだけは、ちがう。わかったような顔して、なんにもわかってない。
だって、あなただけはちがう。

はっとかなしみが迫ってくる。自分ではかなりうまくやっていたつもりだったのに、それがよりによってこの人に「冷たい」と言わせてしまった。
いや、それだけじゃない。
わたしはいま、この人「だけを」大事にしたいと、とっさに思ってしまった。自分の優しさが「内」へと向くのを、あんなにおそれていたのに。
無差別にひらきたいと望んでいる身体と、目の前のひとりに向けてみるみるうちにとじていこうとする身体。そのふたつを、同時に抱えてしまった瞬間だった。

自分の身体が、捩れていくのをかんじる。

つい先週、勤めている塾の生徒とたまたま一緒に帰っているとき、片方だけ落ちていた手袋を拾ったら感心された。

「先生、えらいですね。僕そういうこと自然にできなくて、尊敬します」

なんとなく醒めた気持ちでそれを聞いていた。手袋にはまだ少し体温が残っている。

「そう?」

わたしは基本的に自分を優しいとは思っていない。「優しい」と評価されても、ほとんどの場合あまり喜べない。安堵するか、「ぜんぜん優しくないのに」と思ってより落胆するかのどちらかだ。
だからいまでも、「優しくあらねばならない」と自分に命じつづけていることには変わりない。

優しくあらねばならないから、誰のことも拒まないように気を払い、たまにいっぱいいっぱいになる。優しくあらねばならないから、わたしの「とくべつ」になりたがってくれる人と出くわしては、まごつく。ほとんどの場合、それは叶えてあげられない。

ときどき、わたし自身が誰かを特別大事に思うときがくると、途端に内と外とを分かちはじめる自分にいやけがさす。そして、さみしくなる。

ときどき疑う。「優しくあらねばならない」というセンテンス、そのものは、もはやひとつの空洞に成り果てているのではないか。はじめにわたしが望んだ優しさとはなんだったか。
振り出しにもどる。

その堂々巡りが、ふつりと途切れる瞬間がある。多くは忙しさとか、疲れとか、失望によって。
そうしてできた隙間に、ふと手袋やパスケースが落ちている。なにげなくひろう。そのときは、自分が優しかろうが、冷たかろうが、どうでもいい。とくになにも考えず、ただ、見知らぬ人の生活の気配に手を合わせて、またその人とは関係ない人生へ戻ってゆく。
そのときの、息つぎするような透明さ。

いっしょに帰っていた生徒は、まじめなものだから、本当に反省しているらしかった。「先生にくらべて僕はだめです」くらいのことをいう。
「いや、やらなきゃと思ってやるほどのことじゃないよ。やりたいと思ったときにやるのがいいよ」と伝えて、ちょっとおかしくなる。自分はさんざん自分に、優しくあれと迫っているくせに。

でも、いまあらわれたような、優しさとも呼べないようなわずかな隙間だけを知っていれば、本当にそれで十分だ、とも思った。

まだなにも答えは出ないけれど、ひとつ最近ようやくわかってきたことがある。
どうやらわたしは、人に優しくするのが、けっこう好きみたいだ。

テルヨさん、元気にしているだろうか。

                               (向坂くじら)


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