あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #8
#8 手がかかる友だちのこと
おまえ、とうとう幸せになるんだね、エモい、いや、超エモいわ、
半年以上ぶりに会った友だちにそう言いまくっていたら、「エモいってなに? でも、なんかうれしいわ」と笑われた。うーん。エモーショナル。なつかしくなったり、感傷的になったり、ちょっとさみしかったりするんだよ、と答える。
友だちはかわいい。まず単純にルックスがよい。化粧がじょうずで、眼鏡をかけてもかけなくても魅力的で、上目遣いや含み笑いがよく似合う。でもそれだけじゃなくて、大きく口をあけて笑うこともできる。
◆
大学に入ってすぐ知りあった彼女は、よくわたしのところへ相談ごとを持ち込んだ。そのほとんどが恋愛関連だった。本人が恋愛好きだった上、顔のかわいさと優柔不断さがそれぞれ悪いように作用するのか、彼女は男との関係をこじらせがちだった。
じまんでもないけれど、わたしはさして恋愛関連に明るくない。なぜか頼りにされているからとお節介をやいてこそいるものの、経験に基づいたことはほとんど言えず、一回一回出たとこ勝負で一緒になって困ってやるしかない。それでも彼女は、深夜にラインを飛ばしてきたり、突然カフェに呼び出したりするのをやめなかった。
一度、「わたしが恋愛のアドバイスしてるの無免許運転って感じだからね」と断りを入れたら、「でもわたしも毎回免許剥奪されてるから、事故とかで」と返された。たしかに。聞いているだけでも思い当たる節は山ほどある。
わたしたちは、おおよそそういう間がらだった。
君はわたしよりわたしのことよくわかってるよね、
よくそう言われたけれど、本当のところはぜんぜんわかっていなかったと思う。
たとえば、なにか忠告をする。告白を断りたい相手とは寝たらだめなんだとか、きみをいいように統制しようとする男からは身を守ったほうがいいとか、切りたいセックスフレンドとは寝たらだめなんだとか。そうすると、彼女は心底納得した顔で帰る。ときに「私のために必死になってくれてありがとう」「君みたいな彼氏がいたらよかった」と涙ぐみさえする。
そして、間もなくほとんど同じミスを繰り返し、さらに首が締まった状態でまたやってくる。
彼女はとにかく何かを選択することが苦手で、だいたい日和見に走っては失敗する。具体的にいうと、本人さえ不毛とわかっている二股状態をたらたら続けたりする。かと思えば突然不可解な行動力を発揮し、なぜかそれも失敗する。具体的にいうと唐突に全SNSで男をブロックして後悔のラインを寄越したりする。それが傍から見ているとあまりにも悪手の打ち続きなので、わたしはしばしば本気で頭をかかえた。
ぜんぜんわからない。いや、正しいと思っていることばかりを実行できるわけではないのも、わかっていてもやめられないことがある気持ちも、理解はしているつもりだった。わたしにだって、幸せになりたいと望んでいるとはとても思えない挙動をするときもある。ある種のバグのように自分で自分を追いつめつづけたくなるときもある、それもわかっているのだ。それでもなお、時たま彼女にかけることばを失った。
なにを言ってもだめだ、意味がない。
それで、数人目の男の話を聞いているころには、なんとなく彼女が「無免許」のわたしにばかり相談事を持ちかける理由もわかってきた。
まず手がかかる。ゴールが遠い、ならまだマシで、ゴールはとっくに見えているのに、最後の一歩のために何度も同じことを言い含めつづけなければいけない。相談に乗るのに気力を割けば割くほど、「こいつひょっとしてわたしの言うこと大して聞いてないんじゃないか」と疑いが生まれる瞬間は、つらい。きっと、このようにして彼女の相談役から手を引いたひとも過去にいたんだろうな、と、容易に推測できるほど。
たまに、足元がぐらっと揺れて、だっておまえ、好きで悩んでるだろ、と言ってやりたくなった。特に、「わたし、自分のこと何にもわかってなかった。ありがとう」なんて涙ぐんでいるときの、これ以上ないくらいうれしそうな顔を見ていると。
ちがうんだよ、わたしは、いまそんな風にうれしくなってもらうために話してるわけじゃ、なくってさあ。
思えば、それはわたし側の勝手な感情だった。
わたしはおまえが幸せになるようにと思っていろいろ考えて話してるのに、なんでおまえはおまえ自身でどんどん幸せから遠ざかるんだよ、
そう思って口をぐっとつぐむとき、ことばの最初はいつも「わたし」だった。いいからわたしの言うとおりにしてみなよ、わたしおまえの男よりおまえのこと大事に思ってる自信あるよ、いつも「わたし」からはじまる。それが間もなく暴力へと転じること、その気配が、確かに自分の中に感じとれた。
だから、「君はわたしよりわたしのことよくわかってるよね」、と彼女が言うたび、わたしはひそかに恐れた。そうじゃない。わたしが話した正誤の入り交じった推測を、きみがすべて鵜呑みにしてしまうだけだ。それは、きみじゃない。そのうち、自分が彼女のすべてを規定しようとしはじめるのではないか、その鮮烈な疑念が急にわたしを襲った。そこに関して、いっさい自分を信頼できなかった。なにより、彼女がいちばんうれしそうにするのはそう口にするときだったし、わたしだってまんざらじゃなかったのだ。
そんなつもりで相談に乗り始めたわけじゃない。
最初はほんとうに幸せになってほしいと思っていただけなのに? そうじゃなくなったとして、じゃあどこで変わったんだろう。
◆
いや、エモいでしょ、とくりかえし言いすぎて、また笑われる。
わたしたちはつねに連絡を取りあっているわけでもない。だいたい連絡がくるのは彼女からで、だから、彼女から長い間連絡がないときは、安定しているか、その逆、状況が切迫しすぎてわたしに怒られそうだから連絡できないでいるかのどちらかだ。何回か後者でひどい目を見たので、「あれ? 最近静かだな」と気づくとソワソワする。それで久しぶりに会ったら前者のほうだった。
年上好きの彼女にしてはめずらしく後輩と付きあいはじめたら順風満帆で、春から就職する仕事も決まり、よそに余計な男関係もない。これまで、付きあいたてやなんかに一時的にハイになった彼女を何度も見てきたから、すぐにわかった。今回はそういう類ではない。
みょうに腑に落ちる気もした。お互い十九歳のころからの付き合いで、でももう二十二歳になるのだ。実際、わたしが助けを求められる局面は以前から減り始めていた。久しぶりに会った彼女の口から、バイト先の話、内定をもらった会社の話、それもやさしい人、尊敬する人の話ばかりつづいて、いや、そんなん、エモいわ、ということになる。
おまえ、本当に大丈夫になったんだ。
エモい、という、いまひとつ彼女に伝わらなそうな言葉を使ったのはほとんどごまかしに近く、わたしはたぶん動揺していたのだと思う。もちろん、彼女が元気でいてくれるのは心の底からうれしかったし、祝福したかった。それに加えて、もう相談することもないねえ、さみしくなるね、くらいは、笑って言えた。(そんなことないよ! また相談させてよ! と言われた)
大学の近くで昼食をとって、ふたりとも次の授業に出るためにキャンパスまで歩いて帰った。銀杏の季節で、午後の日が傾きはじめていて、そこらじゅう黄色っぽかった。
じゃあまたね、と向かいあったとき、あ、もう会えないのかもしれない、と思った。
わたしが必要とされるとかされないとか、そういうどうでもいい話ではない。単に、わたしと彼女はこれまで、彼女が困ると連絡が来て、会う、ほとんどそれだけだった。あ、もう、わたしたち終わりだ、会えない。焦りというよりは、しんしんとした、かなしみに近い気持ち。へんな話だけれど、このときはじめて、彼女と友だちになりたい、と、わたしははっきり望んだのだった。
いまだったら、胸をはって、わたしははじめから彼女のことを大事に思っていた、と言える。相談に乗りたかったのも、元気でいてほしい、幸せになってほしいと思ったのも、彼女を思い通りにしたかったからじゃない。
でも、だからといって、「幸せを願う」ことがそうそう簡単じゃなかったのも、また事実だ。
わたしの言うことを聞いてくれないといらいらしたり、ときに彼女に対して支配的になりかねない瞬間があったのも、まぎれもなくわたしが彼女を大事に思っていたからだった。あなたがしんどいと、わたしも「自分のことのように」しんどいんだから、わたしのために元気でいてよ。彼女を大事に思う気持ちは、わたしの中で、つねに限りなく暴力と近いところにしまわれていた。美しい友愛のようなものがどこかで変容したわけではない。はじめから、ずっとそうだった。
あらためていう、友だちになりたい。あのときわたしは、「きみを幸せにできるのはわたしだけだと思ってた」と、あやうく言いかけるところだった。
◆
そのまま、本当に彼女とはほとんど会っていない。
久しぶりに、このエッセイを書く許可をもらうために連絡をとった。直観はあたり、あのときの年下の彼氏ともまだ続いているらしく、ツーショットなんかを送ってくる。「過去の恋愛のこととかも書くことになるんですけど……」とお伺いを立てると「書きたいように書いたらいいよ」と快諾してくれた上で、「でもそんなやばいの?w」と返事が来た。
「いままで一番相談に乗ったのはきみだから、そのことを書くだけだよ」
「あー なぜか嬉しい。一番って言葉に弱いからかなw」
かわいい。大丈夫だろうがなかろうが、基本的に彼女はとってもかわいいのだ。
いろいろ考えはしたけどさ、わたし、けっきょくこいつのこういうところにたらされて、その気にさせられてきただけなんじゃないの? と、またひとつ自分への疑念が増える。
(向坂くじら)