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弱音が吐けない私の幸せな半生〜前編〜

「真面目に生きなければいけない」

人生を振り返るとずっとそんな風に考えていた。
しっかり生きなければと思っていた。
毎日意識していたわけではない。
学力も身体能力も秀でたわけではないが、
とにかくしっかりはしていようと。
ふと、この思い込みに気付くことがある。

この思い込みは、子供の頃からの蓄積が無意識となって日常に溶けている。日常の当たり前のことこそ、自分では気付けないものだ。
振り返ってみるとそんな気がしている。

幼少期からしっかりしなければいけないと思っていた。
私には兄と弟がいる。
兄はやんちゃな性格で町内会のリーダー的存在。
育った場所が新興住宅のため兄が一番年上。
気付けば公園に行って近所の子どもたちと遊んでいる。
そんな兄に憧れていたし、ずっと公園でサッカーやドロケイをしていたのは今でも良い思い出だ。

しっかりしなければと思い始めたのは弟が生まれた頃。
「もうお兄ちゃんだからしっかりしないとね」
祖母から聞いた話だが、母からこんな事を言われていた。
ここから自立の種が植えられた。
そこから私は自分のことは自分でやるようになった。
兄というロールモデルを見ながら自立する気持ちが芽生えていった。

このまままっすぐに育つと思っていたが
今の自分を見ると自立心はありながら、どこか曲がっているなとも感じる。
どこからこじれたのだろうと古い記憶を振り返ると、
私が記憶しているのは兄と弟の喧嘩だ。
しょっちゅう兄と弟は喧嘩をしていた。

幼少期は兄がゲームをしているのを、弟が楽しそうに見ている。
なんて事があったが、弟の自我が形成されると弟も兄と劣らずやんちゃな性格となった。
おもちゃの取り合い、ゲームの取り合い、何かとぶつかり合っていた。
弟も負けん気が強いので兄に立ち向かっていく。
兄と弟は5歳差、よく戦っていたものだ。
特に兄が思春期の頃、二人は容赦なく喧嘩をするので家は騒然としていた。
そんな二人を見ながら私は「自分がしっかりしなければ」と思っていた。
二人が喧嘩するのは怖くて止められない。
だからせめて兄弟の中で自分がしっかりしなければ。
なんて感じていた。

また、決定的に今の自分を作っているなと感じる思い出がある。
弟は負けん気が強い一方、甘えん坊だった。
年齢がそんなに離れていない私は、弟がいるから甘えられなかった。
という記憶が残っている。
一度だけ弟が母にべったり甘えていて、私が甘えようとしても突き放され大泣きしたのを強く覚えている。
泣かないと甘えさせてくれないのか。
昔の記憶がほとんどないタイプだが、この記憶だけは感情とともに覚えていている。
そこから心にぽっかり空いた空虚を一歩引くことで埋めていった。

そんな幼少期の環境もあり、「大人しくしっかりした子」とよく言われるようになった。
自分もそうしようと思っていたし悪い気はしていない。
自分の決めた生き方だし、その場所が心地よいとすら感じている。
その結果、なるべく家で大人しくしている毎日を送った。
高校受験の時はろくに勉強もぜず兄と同じ高校を指定校推薦で入学。
努力をすればもう少し偏差値の高いところへ行けたのかもしれないが、そんな向上心はどこ吹く風。
兄と同じ高校で良い成績を出しておけばいいだろう。
そのくらいの気持ちだった。
ここから自立の種は歪んだ成長を遂げていた。

入学するとこの歪んだ性格が高校生活を阻害する。
自分から知らない人に話しかけることができない。
静かにしている毎日を送りすぎて ネジ曲がった生き方に障害がおきている。
なんなら友達はできなくてもいいと強がっている自分がいる。
完全なる厨二病のコミュ障だ。
誰とも話さずラノベを読む生活が始まった。
高校生生活も1週間くらいたつと自然とグループが出来始める。
静かだった教室も明るいノイズが飛び交う。
私はラノベを読みながら「あ、なんかやばいかも」と感じ始める。
ここでも孤立するとか思いながら、大人しくしっかりした子を演じ続ける。

どうしようかなとソワソワしていると近くの席の人から声がかかった。
助かった…
帰り道が途中まで一緒だったこともあり自然と仲良くなった。
その後、自然とグループができ不安から解消された。
みんな授業が終わると友達の家に集まって遅くまでダラダラ。
漫画を読んだりゲームをしたりギターを弾いていた。
鮮明に覚えているのは友達がシナモンフォッカチオを布団でひっくり返して布団がシナモンまみれになったことだ。
部屋中が甘い匂いに包まれて全員で大笑いした。
友達のふざけた行動をみて笑っているのが楽しかった。
ふざけるのが好きな友達の近くて大人しくしているのが好きだった。

今でもよく考えることがある
「なぜ一緒にふざけなかったのでろう?」
アホな行動に乗っかった方が絶対に楽しい。
失敗することが楽しい時間もあるだろう。
ふざけようとしているのに自分でそれを止めてしまう。
どうもふざけきれない自分がいた。

自分を受け入れてもらえないんじゃないかという不安が頭をよぎる。
いつだって「しっかりしなければ」が心にブレーキをかけていた。
家で独りになるとそんな心のバランスを取るように音楽をガンガンに流していた。
心の痛みを表現してくれていたのはいつもビジュアル系ミュージックだった。
サイコな音楽が私にギリギリの調和を与えてくれた。

こんな流れで大学も指定校推薦だ。
大学生活も同じパターンで生きていた。
声かけてもらった人と友達になり、
みんながふざけているのを見て笑っている。
生き方に大きく変わったことはない。
大きく違ったことは大学3年生から始まる就活だ。

就活に失敗したのだ。
生きたかった会社に落ち、どこにも受からない。
今思えば自己分析が甘く自己アピールが何もできていなかった。
自分の特徴も伝えられず伝わらず、そんなことに気付かず就活の時期が終了。
一社も受からず終わった。
この時人生で大きな絶望を味わった。

とにかく感じたのは
「自分しっかりしていない」
という呪いのレッテル。
今まで溜めてきた思い込みが呪言のように返ってきた。
しっかりしていない自分にオーケーが出せない。
失敗する事が怖くて保守的に生きてきた自分にわかりやすい失敗がやってきた。

自分の生き方の辛いところはこの失敗を親に話せないことだ。
しっかりしなければならないというメッセージを受け取った相手に失敗を伝える。
それだけはどうしても言えなかった。
簡素に言えば親に心配をかけたくないということだが、
親のせいではなく、自分の心が言うのを許せなかった。
親の前ではしっかりしている風に見せて、全て抱え込んでしまう。
しっかりなんてしていないのに。

しっかりしなければという思い込みが、
弱音を吐ける環境を閉ざしていた。

結局家族には話せず、知り合いの紹介で会社に入れて頂くこととなった。
就活はできたが根本の闇は解消されていない。
そんなことに気付かず、私は社会人に慣れたという安心感と、
歪んだ種を心に抱えながら社会人を過ごすこととなる。
しっかりする人生が日常に溶け込みながら。

続く


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