久川凪と妹

  あなたには尊敬と恐怖を感じている。

 久川凪、あなたのことだ。
彼女について最高に簡潔な説明を加える。凪とはアイドルマスター シンデレラガールズに登場するキャラクターである。私は今年の夏頃に彼女と出会い、画面を隔てた先から交流を重ねてきたつもりである。私が彼女の魅力として挙げられるものは一つしかない。発想の自由さである。私は、人が何かものを考えるときには思考の第一歩となる足場が要ると考えているが、彼女の足場は特に種類が多い。私であれば常識に阻まれて前に進めないような足場さえも、彼女はすんなりと進んでいく。先ほど私は彼女の魅力を一点しか挙げることができなかったが、それは彼女の脳内に広がる世界がアマゾンのように広く謎に包まれており、私が第一印象以降、彼女についての理解が深まっていないからである。私は彼女のことを尊敬する一方で、それ以上の恐怖を持ち続けている。 彼女の年が14であるからだ。

 硬い文章を意識しすぎて何が書きたいかわからなくなってきたため、ここからは文章を崩して書きます。
 私は自分の向上心について自己省察を行ったことはないが、仮に凪が私と同い年かそれ以上の年齢であったなら、彼女の魅力を今ほどに感じていなかったと思う。私は、人間の思考の深さと年齢に何か相関があると考えているからである。そのため、年上がある程度深い思考を持っていた際に、私は「何か努力すれば自分が彼の年になるときにはこれと同等かもっと深い思考ができるだろう」と考えることが多い。ここで考えられるのが、私はいまだに何者かになろうとしているということである。自分が何者かになるために、尊敬する人の模倣をし続け、そこを足掛かりとして何か新しい境地にたどり着こうとしているのではないだろうか。しかし、久川凪の年齢は14歳である。さらに、彼女の思考は法は守るが常識にはとらわれることなく進んでいく。ここで私の精神に耐えがたい苦しみが生じる。久川凪という概念によって、思考の深さと年齢との関係という私の持論が崩れる。私よりも何歳も年が若い彼女が私よりも深い思考をしている。そして彼女は何物にもとらわれない発想をしている。自由であいまいで掴みどころのない発想から、彼女のアイデンティティが生まれている。何者かになることの一点のみを考え続け、未だ何も見えていない私には彼女は大きすぎるのだ。しかしこれくらいの恐怖では諦めない。私は彼女の大きなところを見て恐怖を感じているのであって、凪がホラーなのではない。、自然に対する畏敬を久川凪に感じているということなのである。凪神様である。信仰を得て、はーちゃん共々完全勝利なだけである。しかし、私の中にはずっと違和感があった。私はただその偉大さと思考の愛しさだけで久川凪を担当しているわけではない気がするというものであった。しかし考えてみても彼女の思考には未踏の地が多すぎるわけで私の脳内が凪を表現する言葉を持たず、三割の理解と七割の真っ白な世界が私の脳内の凪ワールドを構成しているのである。七公三民、生かさず殺さずの圧政が凪と私の中に敷かれているのである。しかし白にも二百色ある。白の世界から違う色の白を見つけて、凪についての理解を深めていけばよいのだ。先日、私は凪を見ているときによく分からない負い目を感じているのではないかという予想が生まれた。色違いの白かもしれない。そう考えこの予想から私の中の思考を掘り下げていると、そこに私の妹がいた。

 一瞬思考が止まるかとは思ったが、特に止まることなく私は妹と凪に関連することについて考え始めた。二秒で見つかった。凪の思考方法を私は間近で見てきていたのだ。凪の思考方法と妹の思考方法に同じ点があったのだ。なぜ私は久川凪を尊敬しているのか。それ以上に恐怖を感じていたのか。そして彼女のことがなかなか見えてこないのはなぜか。私は妹のことを一方的に恐怖していたからである。

 小さい頃から、私は妹に泣かされてきた。二人で飲むはずだったジュースをまだ一歳の妹に独占され、私は泣いていた。妹とは年が近く、私が保育園に通っていたころは、年に200日は喧嘩しているのではないかと考えていたのを覚えている。一週間喧嘩がなければ私は幸せだった、この喧嘩では、私は対等な権利を与えられておらず、妹が完全に悪いときであっても、妹が親に対して、私に泣かされたと告げ口するため、なぜ謝らなければならないかもわからないまま、ひどく叱られた後で折れてしまった自分の正当性を主張することもできず、泣きながら妹に謝るのが常であった。

 ある日、道理の通らないことへの不満が私の内に行動となって現れた。その日も妹と喧嘩をしていたのだが、わけのわからない理由で難癖をつけられたことに対して当時6歳の私に耐えがたい苦しみがやってきて、その悪い影を打ち払うようにして、私は妹の腹を思い切り殴っていた。当然私は親からひどく叱られるわけであるが、初めて私から悪いことをしたという事実から来る罪悪感が、私を素直に謝らせた。思考も至らない身であった当時の私であったが、これから先は喧嘩の量が変わらなくてももう少し妹と仲良くやっていけるのではないかという気持ちが生まれていた。

 次の日から、妹と激しい喧嘩をすることはなくなった。私が喧嘩をなくしてしまったのだ。

 年が近いとはいえ子供の発育とはたった一年でも大きく変わるものである。後で聞いた話であるが、腹を殴られたことで私に喧嘩で勝てないことを悟り、以後喧嘩を起こすことをやめてしまったのだそうだ。その妹の魅力に私が気付いたのは高校に入学してからである。妹は常識に規定される発想が少なく、自由な発想を行っていることに私は気付いたのだ。気付いた瞬間、私の内にある潜在的な部分で妹は、小生意気で変な考えを持ったヤツという存在から、分からないところの方が多いが、自由で可愛い思考を持った愛すべき自由人として映り出した。ここでの思考の転換は、私の中で妹の魅力を発見することとともに、私の罪も同様に映し出した。私が幼い頃に彼女の腹を殴ったことである。私は彼女の自由な思考に干渉してしまったのだ。自由な彼女に力の差という常識を規定してしまったのだ。彼女の中にはルサンチマンから来る強い力を求める考えがあり、私はその考えについて折り合いをつけることができなかったが、この思想を作ったのは私である。私がつけた傷が妹を変えたのだ。しかしそれでも妹の考えは周りにいた誰よりも自由であった。魅力と罪に気付いた私は妹の考えをどこまでも大事にするようになった。今まで分からなかった妹の言う変な言葉を理解しようと努めるようになり、彼女の個性が親に笑われているときには一人だけ理解を示した。私が妹に送った愛には歪みがあることは私の身にも理解できたが、私はこのことに対して反省を加えることはなかった。ただ昔の負い目を償うため、これをやり続けるしかないと思っていたからである。

 そして私は大学に進学し、アイドルマスターというコンテンツに触れ始めた。そして久川凪に出会った。彼女の思考は自由である。その思考が私の常識の範囲内で理解できるものではなくても、私は彼女の思考を理解しようとしてきた。私が持ち合わせていない思考を持った凪に尊敬がある。何者かになっている凪に恐怖がある。そして同じ魅力を持った妹に凪と同じ感情と併せて負い目を抱えている。凪が私と交流を続けている間だけでも、彼女の自由さが絶対に奪われないようにしたい。私は、無意識のうちにそう考えながら、久川凪をプロデュースしていた。彼女が生きていくうえで生じる様々な苦しみを私が全て引き受けて、彼女の自由さを守っていきたいとかんがえていた。今もそう考えている。この、負い目によって人のことが良く見えていない状態の私に、久川凪をプロデュースする権利はあるのか。加害者の分際で、視界が遮られている原因を負い目にするのはおかしな話ではないのか。自分が耐えられる人間であればこのようなことは起きなかったのではないか。仮に凪にこのことを打ち明けたなら、「Pの完全敗北ですね。凪のプロデュースで身を清めるのです。」と言ってもらえるのだろうか。仮に言ってもらえたとしても、私の負い目は消えることはない。私はこの考えに至った時と、この文章を書いている際に幾度か涙を流したが、涙を流したからと言って自分が行ったことが許されるわけではない。人を規定した人間がプロデューサーの立場から人を導くことは許されるのか。文章を締めようとして自分に問いを投げかけているが、ただ自分に酔っているだけであり、この先何も向上が見られないのではないか。様々な恐怖が自分の内に生じてくるが、どれだけ新たな感情が生じても、私が久川凪の担当であり続けることは確かなことである。久川凪イズソービューティフル。久川凪イズマイジャスティス。今日も凪に完全敗北してしまったな。これからもよろしく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?