自分の価値

自分の価値を守れるのは、紛れもなく自分自身である

自分の価値を下げるのは、人からの妬みによる中傷なんかではなく、紛れもなく自分自身である

SNSで自分の生活を簡単に世に発信できるようになり(noteも手軽な発信方法としてはこの類である)自分と社会の距離がぐんと近づいていると同時に、そのコンテンツの希少価値は下がっているように感じる。要は氾濫だ。

そのなかの砂浜の1粒の砂以下の割合がわたしのひとつの投稿である。

他愛もない日常を記した、本当に他愛もない日常の報告が、社会(=私以外の人全て)に同じ感覚で受け取られる保証はないし、寧ろ誤解を招く場合すらある。

この時気をつけたいのが、
自分の価値を下げていないか、
ということ。

晒すのが悪い事だとは私は思っていないし、そこから生まれ得る交流が付加価値としてはかなりいいと思っているから。
しかし、誰かのこころにマイナスな形で残るべきではない。それくらいに分かりやすい低レベルで悪質なものよりも怖いのは、

下品な承認欲求を撒き散らし、
別にマイナスにこそ思われなくても、
何もプラスに思えない人物像の拡散は、
誰の特になるのだろう

こういうことを考えて、自分をコントロールできる人間に私はなりたい。

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