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ペルソナからシャドーへ

<人が仮面を脱ぐ瞬間>

今から25年以上前の話だ。
当時、私は大学や専門学校で作文のクラスを受け持っていた。
作文だから、何らかの課題を出して、とにかく学生にひたすら書かせる授業が主になる。そんなときウォーミングアップの意味で、「私は~です」「私は~が好き」「私は~が嫌い」「私は~になりたい」など、「私は、」で始まる短いセンテンスを思いつく限りたくさん挙げてもらうことがある。
学生は、最初のうち「私は男です」「私は女です」「私は二十歳です」「私は○○大学の学生です」「私は〇〇県□□市出身です」「私は音楽が好きだ」など、社会的アイデンティティを確認したり、簡単な自己紹介を試みたりという領域にとどまっている。つまりこれは、普段自分が社会に対して見せている外面的な自分だ。ユングの元型で言えば「仮面(ペルソナ)」である。
ところが、20個・30個と書いていくうちに、ペルソナのネタが尽きてくる。そうすると徐々に自己の存在の深みへと櫂を差し、舟を漕ぎだそうとする者もあらわれる。たとえば「私はザザ虫だ」とか「私は280円だ」とか、まるでシュールレアリスムか何かの小説の出だしのようなものまで登場する。
こうなるともはや「ペルソナ」ではあり得ない。かといって「影(シャドー)」かどうかはわからないが、内面的な何かが出てきていることは確かだろう。「私は、」で始まる短いセンテンスの列挙作業のどこかに、ペルソナを脱いで存在論的自己表現へ向かおうとする切り換えスイッチがあるようだ。

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