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楽園を追われた者こそが、楽園を知り、楽園を統治する

おそらく人間だけが「疎外感」という感情を抱く。それには重要な理由がある。疎外感とは、自分が本来属するべき世界から引き離されているという感情だが、まるで原罪ででもあるかのように、誰もがほとんど例外なくこの感情を抱いた経験があるだろう。この感情はどこからやってくるのか。
真っ先に思い出されるのが、旧約聖書に登場するアダムとイヴの物語かもしれない。
最古の人間アダムとイヴは、蛇にそそのかされ、神の言いつけに背き、自ら知恵の実を食べたことによって、善悪の判断力を身に着けたが、それが神の怒りに触れ、楽園を追われた。
この神話で重要な点は、いくら蛇の誘惑に負けたからとはいえ、われわれ人類が自らの意志で(あるいは隠された意図により)、楽園から遠く離れることを選んだということである。
それは、楽園を退いても生きていけるだけの知恵を身につけたわれわれ人類が、楽園を外側から眺める必要があったからだ。なぜなら、われわれ人類こそが、楽園への帰属から解き放たれ、楽園を統治する使命を担っているからにほかならない。それは、何をかくそう楽園を進化させるためなのだ。何かを一回り大きくしたいなら、その何かの「外」に出る必要がある。
楽園とは、どこか見知らぬ世界にある未知の場所のことではない。
楽園とは、今この瞬間にわれわれが選択する未来のことなのだ。
したがって、「疎外感」とは、自らの根源的な使命に気づいていない者が、自分と世界との距離感を計り損ねた結果として抱く感情にほかならない。
もっとも大きな疎外感を抱く人間こそが、もっとも大きな進化をもたらす。

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