「非リア」はなぜ"非"リアなのか

注:この記事は主観および偏見まみれであることをあらかじめご承知おきください。




はじめに

非リア。それは苦しい現実から逃れるべくネットに引きこもった人々が自虐的に自身を表現した言葉である。


日本語には、否定や打ち消しの接頭辞として主に不・無・非・未の4種類の漢字を使い分けるルールがある。「非リア」も例に漏れず、「リア充」という言葉の打ち消しとして使われる。その意味は、家族や恋人がいたり、社会的に成功したりと現実(リアル)が充実している様子に対して、独り身で社会的地位が低い状態を指す。非リアは悲しき生き物なのである。

この記事では”脱”非リアなどと高尚な目標を掲げて方便を垂れることはしない。そもそも非リアに非リアを救うことはできない。私だって救われたい。きびしい世の中。

この記事の目的は、「非リア」の"非"リアたる所以を紐解いていくことである。

打ち消しの接頭辞とは

まず、打ち消しの接頭辞について簡単に説明する。打ち消しの接頭辞とは、現代日本語において特に不・無・非・未の4種類の接頭辞を指す。これを読んでいる奇特な人間は経験的にこれらがどのように使用されているか理解しているかと思うが、それぞれ微妙に使い方が違うため、改めてまとめてみる。
なお、これからの認識はあくまで主観であり、慣例的なものも多いため正解ではないことを念頭に置いてほしい。
また、打ち消しの接頭辞をテーマに論文を書いている人もいるので、そちらも参考にされたい。

引用元:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?research/shirakawa/file/no13_05.pdf

最もポピュラーな打ち消しの接頭辞と言っても過言ではない。他の3つに比べて「不」から始まる単語が多いが、これは打ち消しの接頭辞として使われていた期間が最も長いからであるとされている(引用元より)

その用法も多岐にわたるが、個人的に一言でまとめるとすれば「基準に到達していない状態」という意味になるであろう。例えば、「不合格」や「不安定」のように、あるべき姿に対してそのレベルに達していない、として使用されることが多い気がする。

ただし、長期的に使用されていることもあり、この意味から漏れる単語も多くある。(「不可欠」や「不退転」のように、元の状態が悪い場合もある)

「非」は用例は多くないわりに活用方法が多い困った接頭辞である。体感的には一番「不」と混ざる感じがする。「非リア」もここに属する。
その意味を一言でまとめるとすれば、「基準や道理から外れている」という意味になるだろうか。例えば、「非合理」や「非常識」は道理から外れて「不」と同じく基準に達していない意味になるし、「非凡」や「非常」は人並み外れて優れているという意味も持つ。総じて、良くも悪くも枠にとらわれない、という意味合いになると考えられる。

「無」は表意のとおり、概念や物事の有無を表す。必要なものがなければ「無能」だったり「無知」だったりするし、害がなくなれば「無害」や「無傷」になる。制限を取っ払う「無限」や「無形」という使い方もできる。

「未」はいずれ訪れるであろう未来を予測し、その前段階にある状態を表す。「未成年」はいずれ「成年」になるし、「未完成」はいつか「完成」するかもしれないものだ。「未練」は……断ち切った方がいいとおもうよ……

以上の4つの打ち消しの接頭辞について、個人的な解釈を図にしてみたので参考にしてほしい。

不・無・非・未のイメージ(主観)

"非"リアに隠された意味を勝手に読み解く

それでは、原題に戻る。「非リア」はなぜ"不"リア"無"リア"未"リアではなく"非"リアなのか。1つずつ見ていこう。

まず、判りやすい"無"リアではない理由を考えてみる。これは単に「どんなにクソであろうとリアルがない人間はいないから」である。一旦Vの者は置いておいて、一日中引きこもっていようがネットに張り付いていようが、生命維持活動を行わなければ人間は生きていけない。必ず苦しい現実に戻ってくる必要があるからだ。故に、"無"リアではない

続いて、"未"リアではない理由である。これは恐らく「リア充ではない」という意味の単語が発生するにあたり、自虐的に自身を表現したことに由来すると思われる。要するに、自分たちはこの先リア充になる未来などない、という諦めの念がにじみ出ているのだ。悲しき人々。

残っているのが、"不"リア"非"リアである。この2つは意味合いが似ているため、判断が難しい。並行世界には"不"リアだった地平線があるかもしれない。

ただ、一つ理由を挙げるとするならば、非リアはリア充ではないことは認知できるが、リア充になるまでのマイルストーン認識できない可能性がある。要するに、「リア充」から外れていることは判るが、「リア充」が実際にどのようなものかをイメージするしかないため、現状が基準からどの程度離れているのか測ることさえできないほどの壁を感じている説があるのだ。

総括すると、「非リア」とは、充実した現実(リアル)を体験したことがないネットの住民が、将来に希望が持てぬまま苦しい現実を直視することで生まれた不公平感を嘆く言葉である。

おわりに

まずは、ここまでこの駄文を読んでくれた物好きな貴方に感謝します。
そして、もし非リアに憐れみを感じたならば、どうぞこの記事を書いた非リアに投げ銭をして救ってください。
いただいたお金は来月のセルフ誕生日祝いで大切に使います。

それでは。

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