「古くて新しい迷宮」と「抜け出せた迷宮」
オーストラリア留学が始まって2週間半が経過し、滞在の折り返し地点に到達してしまいました。
そんな中で出会った2つの迷宮についてのお話です。
研究編ー「古くて新しい迷宮」ー
今回の留学は液体クロマトグラフィー(HPLC)という、水溶液中に溶けている物質の種類や量を計測するための実験機材の使い方を教えてもらうことが目的でした。そのHPLCの使い方も先週から教えてもらいはじめ、今自分のサンプルを調製してたりしているところです。
ただ、HPLCの使い方を習えばすぐに日本でも実験ができる!ということはないようです。日本に帰国してから色々な試薬を用意したり、最適な実験条件を模索したりとやることは山積みです。
それは長い道になりそうですが、お先真っ暗で絶望的状況という風にも感じません。長らくどの方角に・どうやって進めばいいのかを模索し続けていたので、ようやく”先”が見えてきたという静かな充実感に満ちています。
この実験を進めるうえでは、高校化学のころから苦手意識のあった有機化学の知識などが欠かせません。当時は、グネグネ折れ曲がった化学構造式の意味が分からず理解できないと思ってました。
今もそう思った自分のままですが、「勉強をした先」にやりたいこと・知りたいことが見えているからこそ乗り越えられそうです。
有機化学が好きな人であれば自分の好きという気持ちや有機化学自体への好奇心を松明にして先に進めたであろう道に、「その先の知りたいこと」という好奇心という松明をもって分け入ろうとしています。
今回の留学の一番の宝物は、HPLCの使い方…ではなく、似た研究を同じような手法を用いてやろうとしている研究仲間の大学院生と出会えたことです。彼女もまた化学はこれまで専門外だったとのこと。一緒に進む仲間がいるのであれば、その道行は独りきりの時とは違うものになるでしょう。
これが1つ目の、有機化学(高校時代からあった古い)とHPLC(新しい)のまじりあった迷宮の話。
語学編ー「抜け出せた迷宮」ー
先日の投稿の際に語学力をもっと高めたいということに触れました。
今でもその思いに変わりはないのですが、考え方が少し変わりました。
こちらに来てから他者の話す英語を理解できなかったと思うたびに、「完璧な英語」を身に着けたいと思ってきました。
では、「完璧な英語」とは何か。自分のイメージでいえば、ネイティブとの話す内容を100%理解できるし、自分の考えたことを100%言葉にできるという状態でした。
それは極めて難しい、高望みですね。
第二言語である英語は、第一言語の日本語よりも語彙が少なく入力も出力も限られたものになってしまいます。これは事実。もちろん勉強をすればその差を埋めることは間違いなくできます。でも、0にはならない。
と、いうよりも。そもそもとして自分が日本語で他者の発言を100%理解し、自分の考えを100%出力できているのか。それも多分できてない。
自分と全く異なる人生や専門性を持つ人と話すとき、日本語の文法や基本的な語彙という共通性はあるものの、知らない単語・違う意味で使う単語があることでしょう。その時に、相手の言葉をより理解しようとしたら、「それってどういう意味ですか」ということを確認しなければならない。
知らない語彙を確認するというのは、オーストラリアでネイティブあるいは他の留学生と話すときにも当たり前にしていることです。
同時に自分の考えを日本語で話しても、伝わらないことがある。その理由は自分の説明不足(論理の飛躍、不適切な単語の選択など)であったり、聞き手の理解不足(注意力の欠如、語彙の差、専門性の違いなど)だったり。
もちろんオーストラリアで、英語で何かを話して聞き返されたことも何度もあります。
他者の発言を100%理解して自分の考えを100%伝えられる「完璧な日本語」も身に着けていないのに、果たして第二言語の英語で出来るのか。
そもそも言語とは自分と他者の間に生まれるものだから、自分一人でなんとかしようと完璧を追い求めても、やっぱり空回ってしまうもの。
”完璧な言語”を身に着けたつもりになって自己満足に浸るよりも、知らないことを必要な時に知っていく方がコミュニケーションらしいのかもしれないです。
陥りかけていた「完璧な英語」を求める果てのない「英語力上達」迷宮から抜け出せなくなる前に、実は迷宮と思っていたものが草原みたいな開けた場所であることに気が付けてよかった。
さもなくば、今回の滞在中に何度も「もっと英語ができれば」と思う瞬間があった分だけ、迷宮から抜け出すのが難しくなるところでした。
これが2つ目の、抜け出せた迷宮の話。