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『死ぬ気になって』好きを貫き生きていく!ということ。

『死ぬ気になる』

とは

どういうことだろう。



職業によっては、

日々

生命の危機が

伴っているものもあるだろう。


それ以外の職業において

死ぬ気になってという言葉は、

なんだかとても

不格好で不釣り合いかと思う。



ヒトは生まれてきて

いつかは死ぬという運命。


そんなヒトが、実際に

死ぬ前に 死ぬ気になってとは、

不思議な言葉だなと率直に思う。



産まれた瞬間に人は

死へと向かって

走っている とも

聞いたことがある。



そういう意味としての


死ぬ気になってという

言葉の意味を

捉えようとすれば、

なんとなく 合点がゆくようだ。





端的に言えば、




“死期を早めてしまうかもしれないほどのスピード感を持って、死ぬ気になって何かに取り組もうとすること” となる。





屁理屈は このくらいにして、、




私は死ぬ気になって

何かに取り組んだことは

あっただろうか と 考える。



真剣になってとか

真面目になってとか

本気になってとは 

また違う、


『死ぬ気になって』とは。



好きへの執着と

傾倒による探究

と 

いったところであろうか。



並大抵の信念や覚悟、

努力や根性がないと

成り立たないように思う。




私には

一度も なかった。





狂人や

変人と

呼ばれている人は、

おそらく

この類の人達 なのだろう。



一般的な人からすれば

理解が難しいとされているのは


おそらく

それは単なる


”一般的な人であった”


と いうことに 尽きる。



それだけのことだ。







つまりは、

狂人や変人と

呼ばれている人達は、

個々人として 何かしらに


明確な目的や目標や信念があり、

覚悟や根性を据えて、

死期を早めてしまうかもしれないほどの

スピード感を持って、

好きへの執着と傾倒による探究に

日々 余念がない、


皆が一様に

そのような様態であるとするならば、


なんだかとても…格好が良いなと思う。




- 明確な目的や目標や信念は、

人を狂わせるほどのチカラを持つ -



人を狂わせるほど魅力的な、

明確な目的や目標や信念があればこそ、

死期を早めてしまうではなく

むしろ その逆で、

人を

生き生きとさせることもあるように思う。





狂人や変人になりたい!


と言えば 


大袈裟かもしれない 


けれども、



産まれた瞬間に

人は死へと向かって

走っているとするならば、



私ならば 全部欲しいよ★

どうせならば

       全部味わうよ★




狂人や変人になりながら

自らの 好きに 傾倒し


己の情熱のままに

心 赴くままに

全力疾走!! しつつ





( *´艸`)♡欲張りだから。私♡




走り続けながら でも



多くのことを

知りたいし 

見たいし 

感じたいし

聞きたいし

触れたいし

得たい から。




道すがらに 咲いていた 

花々の美しさや

優雅に木霊する

鳥の囀りを聴いたり とか


歌いながら

軽やかなステップを踏みながら

踊るように



生きていきたいんだよね。


生きていってみたいんだ。



これからの人生。





好きを貫いて自分を生きていく。


最高な人生だと思いませんか?



私は幸せ者です。 



ほんとだよ。。



これからが本番です。



ありがとう。

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