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「何話してたんだっけ?」会話はそれで良い理由

「偏見」
それは、自分に持ち合わせていないものだから起こる拒否反応。自分のもとからあるものなら肯定的。でも、自分にないものはどうしても否定的。
どうしても人は自分軸で自分がこの世で一番の正しいのだとも思っている生きものです。
そういう気持ちを持っていてもいいのだけど、それを人に強制するのは違います。あくまでも自分にだけ通用するものだという自覚をして受け入れなくてはならないんです。
また、相手にはそう簡単に受け入れてもらえないことも呑み込まなくては。ましてや、キツイ口調なら、ちゃんと聞いてはもらえません。

しなやかに全方位へ曲がる太いゴムでできたような自分軸が理想だと感じます。もしくは好きなだけ相手に気持ちを分けてあげられる、さけるチーズのような軸。

人はやっぱり自分が好きなので自分の話をしたがるのです。話を聞いてほしい方には酷な話ですが、他人はよほどでない限り興味を示しませんし、聞いていません。

たとえば、私は飲み屋のカウンターで相手の話を聞いているとき、カラダ全体をその人に向けています。首から下も全部相手へ。首から上の人はよくいますが。私も話をしているときに相手が首から上しか動いていないと「あぁ、あんま聞いてないなぁ」と感じるのです。
この姿勢、自分では「ちゃんと聞いてますよ!」という相手への気持ちと相手がちゃんと私に話をしてくれるようにするためなのです。なので、私はカウンターだと『クイズ100人に聞きました』の関口宏さんスタイル。(かなり懐かしの番組ですが…)片方は肘をカウンターについてカラダをねじって顔とカラダを相手へ向ける。
これが会話で腹の内をお互いに見せ合って話をしたり聴いたりするための第一歩の姿勢と私は思ってやっています。なので、しっかり相手の話を聴いて相手の想像を自然としています。
すると、どうでしょう? 
少しずつ相手に興味を持ち始めるんです。次第に、相手が「いや、そこまで話さなくても」と私がつい言っちゃうような話がこぼれ落ちてくることがあります。その場限りだとしても、それ以降に関係が続くとしても「自分とは違うものも面白い!いや、違うから面白い!」となってきて、今まで自分が否定的だったことがだいぶ肯定的に思えるようになって知りたくなっていくんです。
なんだこの不思議な感覚は?
これがおそらく「好奇心」なんでしょう。ネガティブのフタで閉じられた「好奇心の壺」のフタがパカッと開くような…。

もうひとつ、話を聞く側の姿勢として私自身が響いたお話を。
『天才バカボン』や『ひみつのアッコちゃん』の原作者・赤塚不二夫さんがNHKのインタビューでこんなことをおっしゃっていました。
「自分は人よりも劣っていると思いなさい。そうしなければ、相手は何にも話してくれない」
その通りです。
私も誰かと話していたり、何かを考えたりしていると「なんて、くだらないヤツだろう俺は」と思うときが多々あります。
ですが、人と仲良くなるためには中身のある話も大切ですが、「中身のない話」もすごく大切です。
「何を話してたか憶えてないけど、最終的には楽しかった・満足した」
それでいいんです!
脱線しまくって、まとまりもオチもない。

「とっ散らかる」
それが会話の一番の醍醐味ではないでしょうか?
相手への興味や関心が生まれる話は結局のところ、中身なんてない話ような気がします。中身のない話こそ、自分の価値観や性格が出るもの。
それが話せるからこそ、そのあとにはちょっとずつ中身のある話・相手の真に迫れるはずです。

そんな会話もしつつ、まじめに作業もしつつ、あんまり肩のチカラを入れずに今日もなんかやってる事業所のみなさん。
中身のない話も相手のコンディションを見るうえで、支援員さんは大切にしていらっしゃっている気がします。ありがたい話です。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】