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視聴率100%男なくして今のテレビはない

今年の24時間テレビのスペシャルドラマは萩本欽一さん(このあとは欽ちゃんと表記します)と奥さんのスミちゃんのお話と聞いてテレビマニアの私は「これは見なくちゃ!」と。

前回書いた『すっとあなたが好きだった』の脚本を書いた君塚良一さんも欽ちゃんのもとで鍛えられた方。初めて仕事をしたのは『仮装大賞』の構成。欽ちゃんから「予選はどうだった?」と尋ねられると君塚さんは「あんなすごい発想、僕はできません」と。すると欽ちゃんは君塚さんにこう説いた。「100点の発想なんてそうそう出てこない。80点を出し続けるのがプロなんだ」と。この言葉はどこか職業を問わず仕事のヒントになります。

欽ちゃんは1960年代後半、坂上二郎さんとコント55号としてコンビを組む。しかし欽ちゃんは、二郎さんとはコンビを組みたくなかったという。そして、欽ちゃんにも悩みが。台本どおりにやると、噛むしトチる。CMをやったときは何度もNGを食らい、クビになってしまったことがあった。反対に二郎さんは一回台本に目を通せば完璧に覚えて演じてしまう。
かくいう私も演者をした経験あり。台本通りにやるのは、普段生きているときよりも芝居ができないのです。確実に自分の人間性や性格があらわになる。魅力的な俳優さんはやはり人間性が高く性格も良いように感じます。
そんなまったく正反対のふたり。そこで欽ちゃんは考えました。設定だけ作って、あとは欽ちゃんがその場で異常なアドリブで展開し、何も知らない二郎さんが真っ当にボケていく。普通はボケが異常でツッコミが真っ当なんだけど、コント55号は今までのコントを壊しにかかる前代未聞のコント。本当に当時、時代がよくついてきたなあと、私でも感じる。アドリブをしたくなるのは、自分が演じている役の幅を広げたいとき。自分が面白おかしく映りたいからではないんです。役としてお話として意味のあるものがアドリブでなくてはならないのです。そういう意味で、欽ちゃんが二郎さんとやってきたコントはその場その場でアドリブを紡ぎながら、役や関係性を作っていく。お芝居のワークショップでする「エチュード」なのです。しかも、ボケが真っ当でツッコミが二郎さんを生かすように「もっともっとこうやって!」と焚きつけていく。すると、ボケを演じる方はどんどんノッていく。まるでダメ出しではないんだけど、もっとこうしてとダメだしする監督と役者みたいな関係図。これは海外の監督や演出家がするような指導をコント55号さんはコントでやっているのです。(日本は徹底的な「あれダメこれダメ」のダメ出し文化ですが)それがまるで「イジメ」ではないかと取られたことも。まさにその関係図が見る人にとってそう見えてしまったのかもしれません。今のテレビでも遺っているもので、あくまでもテレビの中のこと。コメディアンの人は「そういうことがあったら注意してください」と言っています。
さて、コント55号はフジテレビの『お昼のゴールデンショー』で人気に火がついて、1968年、日本のテレビ初のゴールデンタイムでのコントバラエティが始まる。『コント55号の世界は笑う』です。
私の年代でいう「土8」の始まりはこの番組。
舞台を端から端まで使う縦横無尽のコント。私の大好きな「机」というタイトルのコントはまさにそうである。議員の欽ちゃんが登場するときに走ってきて二郎さんの背中をジャンプして蹴とばす。カメラさんもスイッチャーさんも追い付かない速い動き。しかし、この番組のプロデューサーだった常田久仁子さんは「映っていないところはお客さんが想像するからいいのよ」と。「ダメだよ~」など、欽ちゃんのやわらかめのしゃべり口調に変えたのも常田さん。「今の時代(1960年後半)は女性にもウケるようにしないとね」と。まさに、そのあとから今現在でも笑いで大切な要素を何十年も前に常田さんは欽ちゃんに助言していました。

視聴率はうなぎのぼりで30%を超え、他局は蚊帳の外。
しかし、1969年10月、「土8」は戦を迎える…。TBS『8時だよ!全員集合』が開始。番組開始前、いかりや長介さんはプロデューサーの居作さんと会食。コント55号には勝てっこない、何かと言われて割を食うのは嫌だと消極的だったいかりやさん。「作りこんだ笑い」と「生放送」にすることでコント55号に立ち向かっていく。それが居作プロデューサーの勝つための目論見。開始してしばらくすると『世界は笑う』を次第に追い抜いていく。すると急激に視聴率が下がってきた『世界は笑う』は『全員集合』が開始して約半年後に打ち切られた。
実はのちにザ・ドリフターズのメンバーとなる志村けんさんは高校生の頃に「ドリフに弟子入りしようか?欽ちゃんに弟子入りしようか?」悩んでいたという。そして、ビートルズが好きだという理由でドリフに弟子入りしたそう。もし、志村さんが欽ちゃんに弟子入りしていたら、志村さんが作るテレビの笑いはどうなっていたのでしょうか? もしかして、お笑いは変わっていたかもしれません。
たまに同じテレビ局でリハーサル室が隣で、欽ちゃんのもとによく加藤茶さんが遊びに来ていたそう。「今、どうなってるの?」と欽ちゃんが訊くと加藤さんは「これが、こうして、こうしてる」と唇を突き出し、腕組みをし、行き詰まってうなるいかりやさんを演じて見せたそう。欽ちゃんはドリフのことを「ライバルではなく相棒」とおっしゃっています。
ライバルと思うと相手をいかに潰して上に立つか?を考えてしまう。結果、一瞬は上に立てても、また誰かに潰されていく運命。そして閉じた世界になっていきます。でも、相棒と思えば共にもっとお笑いを面白くしようという気持ちが芽生えて、開かれた世界になっていく。この考え方もどの世界・人間関係にも当てはまると私は感じます。

やはり、頂点に君臨する人はたくさん素晴らしい言葉を持っていて、考えさせられ、気づかされることがたくさん。
これから私たち事業所の代表として、このNoteに読んでくださる方に向けて何かになれればと願って、これからも書かせていただきます。
大雨降る今日も、事業所のみなさんは奮起しています。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】