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いじめられっ子の反乱 あなたが思うほど、弱くない。

今回の記事は、こちら…。

◎いじめ受け骨折、学校は「証拠ない」と動かず絶望…「子ども救うには法律」高1で行政書士合格、弁護士目指す

茨城県に住む悉知信(しっち・あきら)さん(S高校2年)は、小学校の頃に骨折させられるほどの壮絶ないじめを受け、中学時代に不登校になった経験から、弁護士を目指す。夢への一歩として、高校1年生の時に合格率10%程度の難関資格である行政書士試験に挑戦し合格。胸に抱くのは「法律でいじめ被害者を救いたい」という思いだ。(文・黒澤真紀)

※この記事は高校生新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。

(記事URL
https://news.yahoo.co.jp/articles/c735c6f19de25967ac33dbfa66e80165e9798649)


【この記事の「ああだこうだ」】

悉知さん、ホントに素敵で素晴らしいです。感服します。
はたして、これほどの志と心意気を持った高校生はどれくらいいるでしょうか?
イジメを受けた悔しさ、そして自分を信用してくれなかった先生。悉知さんのやり場のない気持ち。
普通ならそこで気持ち半分は諦めが勝ってしまい、「なんで俺がこんな目に遭わなけりゃいけないんだ」と落ち込みます。
でも、悉知さんは負けない。悔しい思いをエネルギーにして、目標と夢へ昇華させた。そして、法律家の第一歩となる行政書士の資格に合格。
胸張って誇れるものを持っている人はやっぱり人としての次元が違います。
これから法律家として、さらなる高みを目指してください!
悉知さん、元気出ました。

話は変わって、いじめはやっぱり無くなりませんね。
しかも日本の場合はいじめられっ子が圧倒的不利。学校は動かない。先生は素知らぬふり。
いじめっ子優遇の国、それが日本のような気がします。
では、他の国はどうでしょう?
アメリカはいじめっ子は隔離されます。日本とは逆ですね。徹底していじめっ子には厳しい学校の姿勢。
それをなぜ、日本の学校はできないのでしょうか?
それは日本の会社という組織と同じ気もします。
学校(会社)にとって都合の悪いものには「フタをする」いわゆる「隠ぺい・隠す」のが日本。
陰湿なことがありながら、人が犠牲になっているにもかかわらず「いっさいウチにはいじめなどありません!」と語気を強める。ホントはあった場合によく見る傾向。
そして、いよいよ逃げ切れなくなったときに初めて、大量のカメラのフラッシュを浴びさせられて「申し訳ございませんでした」と平身低頭で謝罪。
ホントに逃げ切れるとでも思ったのだろうか?と、いつもいじめやパワハラの類のニュースを見るたびに感じます。
そのあと、遺族や全校生徒・保護者達にどう説明するのでしょうか?
そこまで行くと、つっかえながら下を向き、紙に書いてあることしか言わぬ学校が述べる言葉は「ただのいいわけ」。それ以上のことは訊かないでと。記者から突っ込まれると、言葉があやふやで生ぬるく問題に対する腹を括る覚悟が見えてこない。
「おぬし、逃げようとしてるな?」「時間が経てば、みんな忘れるだろうと思ってやがるな?」(でも、「被害者は一生忘れないことを覚えておけ!」と言いたくなる私)
そしてもうひとつふたつ。日本は動くのが「遅い。遅すぎる!」
一つの事件などに「時間がかかりすぎる!」
問題が起こってからしか動かないのが、日本。何かがある前に動くべきはずが、誰かが犠牲にならなければ動かない。
しかも、問題が起こる前はありえない不適切なことがまかり通っている現状。誰も声を上げない。声を上げたら、明日の自分はないと怯えて見過ごし毎日をやり過ごす。明日は我が身のため「おかしいだろ!」とは決して言わない。いや、言えないのだ。自分の地位や立場が危うくなる怖さがあるから。
言ったとたん、自分が今度は標的にされる。そしてまた、あらたないじめが生まれてしまう。自分がいじめられっ子に。まったく望まないことへ転がり始めて堕ちてしまう。
これが繰り返されていくから、いじめが無くならない。いじめっ子は自分に反発する人・弱い人をいつも探し、標的にする。まるで癖のように。自分より強い人には低く出るのに。

国民性を表すのに、こんな例えがある。
船に乗り、兵隊に「海に飛び込め!」と促すために国別で隊長はどう言うか?
ドイツは「兵隊なら国のために飛び込め!」
アメリカは「今、飛び込めば、女の子にモテるぞ! 飛び込め!」
でもって日本は「今、誰かが飛び込んだ。もう誰かがやったんだ! お前も飛び込め!」
誰かがやらなきゃやらない。誰もやらなかったらやらない。それが日本の国民性…なのだそう。

「あいつがいじめてるから、俺(私)も中に入っていじめないと…」
で、いじめっ子の束が生まれる。
ああ、この世の終わりです。

そう思うとそんな日本の国民性とは真逆を行き、別のことで花開かせた悉知さんの行動と正々堂々と生きる姿には実にすがすがしいものがある。

かく言う私もいじめられっ子で、中2の秋から不登校になりました。心因性の失声症に。(でも、テストだけは登校しました)
いじめの原因は私のテレビ出演。(それがきっかけで私はテレビの仕事を志しました)
「みんなができないことをやる」イコール「おまえは仲間外れ」なのだ。みんなができないことをやるということは、いつもそれが付きまとうものだ。今の世もそうである。
やはり、悉知さんと同じく、学校・先生・ほかの生徒は私がいじめられていても知らんぷり。
なかば「学校行かなくても、大学へ行ってやる!」と奮起。私にも当時「テレビの仕事をしたい! テレビ局を受けたい!」という夢があったから。(テレビ局を受けるには、大卒が必須だった)
結果、高校も中学同様あまり行きませんでしたが、高3の時の担任の先生がとても親身になってくれて、そのバックアップを受けて自主勉強を頑張り(塾や予備校に行く時間とお金が惜しかったのですべて自主勉で)成績も上位に居座り続けることができた。大学受験は在学中に合格することはできなかったが、東京を出てすぐにテレビの仕事をしながら頭が鈍らぬように勉強も欠かさず。そして、次の年度に中堅私大に合格。映像の専門学校を辞めて入学した。
その後も、とにかくやれるだけいろんなジャンルをやった。一番苦手で恐れていた一寸先は闇のめまぐるしく状況が変わる世界の報道局も務めた。(緊急の重大ニュースが本番中に入ったときはホントにいつもピリピリして心臓がもたなかった)
そんなこんないろいろやって「もうやりきった!叶った!」と満足したら、次の目標はおのずと出てくる。

当時の私はどこか心の奥底にいじめっ子に対して「自分でやりたいことを叶えてやるからな!」「おまえらみたいに人の気持ちを潰してもてあそぶ人間にはなんねえよ!」と、まるで下克上を叩きつけるような気持ちがあった。
すると、そんな気持ちを持ったいじめられっ子はネガティブな方向に引っ張られないように研鑽を積んでいくんです。好きなこと・やりたいこと・人としてこうなりたい像を思い描いて、近づこうと努力するんです。
私が身をもって実感していることがあります。それは、
「回りは変わらない。でも、自分はいくらでも変われる」
要は「回りには期待するな。何も変わらぬそのあいだに自分をどんどんアップデートしていけ。回りを置いてけぼりにするくらい、自分だけどんどん前に進んでしまえ」
これ、結構、いじめられっ子が思っていることです。

最後に、いじめっ子へ一言。

いじめられっ子って、あなたが思うよりも弱くありません。好きなものを見つけるのが早いし、どっぷり浸かれる集中力とアグレッシブさがあってパワフルですよ!

【執筆:OnenessA 年がら年中IceCoffee】