死んで逢いたいは「建前・偽善」
2000施行して何度聞いても理解も納得もできない言葉のひとつに「故人に逢いたい」といった内容を当り前のように話す親族や人達の心境です。
葬儀社が「故人とお別れしたい人もいるじゃないですか?」と使うのは誘導商法としての商売は明白で聞き流せば良い程度の話しですけど、親戚の発言は「建前」や「偽善」としか思えない。
日を置かず頻繁に逢ってた人の発言なら理解も納得も出来ますが、普段は来ることなく何年も逢わず、介護や入院中の見舞いにも来なかった人が「死んだら逢いたい――、」こんな言葉を当たり前のような顔で発せる神経が理解できません。
この言葉を聞く度『自信満々だけど、こいつ利口じゃねぇな』と思う
馬鹿だと思う理由
「死んだら逢いたい」とは「死ぬ前は逢いたく無かった」と言ってるようなもの、本当に逢いたいと思ってる人なら「死ぬ前に逢いたい――、」が普通の感覚です。
普通では無い発言をしてる事さえ気づかないのか、理解できないのか、いずれにしても普通じゃない事が理解できないのだから、まぁ、お利口ではありません
赤の他人である我々でさえ、後に残る家族の生活が守れて、且つ最後まで温かく送れるよう支援してるのに親戚だと言うのなら、我々以上に残る家族の心配をしたり相談に乗って当然でしょ!?
にも拘わらず「葬式の内容がうんぬん」「故人の兄弟姉妹だから近い」など残る家族の事など全く考えもせず『口は出すけど金は出さない』など迷惑千万な人達です。
そんな人は葬式に呼ぶ必要はない
16年間、事前相談の中で同様の話題になった際、「家族が気を使うよな親戚は呼ぶな」と言い続けてますが、葬式は家族が故人との別れを受け入れるのに大事な最後の時間、葬式期間の家族の多くと親交の深かった人達には泣いたり、笑ったりしながら素の自分で過ごさせたい時間だからです。
「死んだら逢いたい」など理解不能な発言をする人に限って「そんな葬式で良いのか!」といった内容の発言はするし、自分が来てやった感丸出しの発言や態度ですから、来てくれないほうが良い存在であり、葬式後は疎遠になる人達なので無理して付き合う必要などあまりせん。
常識ある人は例え親戚でも口は出しません
これは多分――、ですが葬儀屋でなく葬儀支援だから尚更でしょうが、葬式ほど家族の経済状態、家族関係、価値観が分る事が他にあるでしょうか、だからこそ事前相談、事前入会の中で『この家族にとって我々が成すべき事』を事前把握しておかなければ葬儀支援などできません。
もし『葬式はこうするもの』とした概念を持ち、その概念を家族に押し付けたら葬儀支援にはならず、そうしてるのが葬式代行業の葬儀社ですから、少なくとも親戚だと言うなら我々同様の立ち位置でいるべきだと思います。
「何かできる事があれば遠慮せず言ってくれ」これが親戚の取る姿勢で賢い人達は、例え自分の意に反する内容の葬式であろうと口出しは一切しません。口を出しても良いのは葬式代の全て、もしくは大半を支払う人以外は有り得ず、口出しは常識の無い人間と自分で公言してるようなものです。
家族の多くは腹が立ってるのに笑顔で接してる姿――、滑稽でも、哀れでも、切なくもありです。
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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」
無信仰者の葬式参考書