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葬式=仏教式は解せない

日本人は道路にゴミを捨てない、公共の規律は守り、強調意識も強く、対立を好まず、世界的に見ても民度の高い国民なのは間違いないだろうが、言い換えれば自己主張の少ない周囲の目を気にする国民とも言え、そのお人好しを利用して稼いでる人達もいる。

前回の『自分なら』で判断すれば良いの続編であり、代表的な一例が今回のテーマになるだろう。初めにお断りしておくが仏教そのものを否定しているのではない。日本人の持つ良い面を利用し、そこに携わる人の傲慢な思考と、それを利用して儲けようする人達への苦言である。

何度か書いたが入会相談に来られる『9割は無信仰と明言』するが、当方に来館する人達が特別な人達とは思えませんから、それが日本国民の本音であり実態なのだと思う。

ところが坊さんは葬式=仏教式が当然の如く言い葬儀屋も然りであるから無信仰を公言する僕に理解などできるはずがなく、相談に来られる9割も同様だろう。

大前提として葬式は宗教儀式では無いということです。世界を見れば最大のキリスト教20数億人、イスラム教16億人、無信仰12億人、ヒンドゥー教11億人、そして仏教4億人と言われ無信仰者は第三勢力である事からも、葬式=宗教儀式の図式は有り得ず、日本人の半数以上が無信仰との調査結果も出ている。

ようするに、坊さんが読経して埋葬(土葬)が当り前の時代を引きずってきたに過ぎず、無信仰者が断然多い日本に於いて葬式の在り方が変化するのは当然なのです。

無信仰者と明言する人達に問いたい――、あなたは読経を有難いと思いますか? 読経の意味は分かりますか? 戒名を付ければ成仏できると思いますか? その結果として配偶者を筆頭に残る家族の生活に支障が出ても心は痛みませんか?

宗教者の意見は同じ信仰者なら否定もせず同調もするでしょうが、他宗教者や他の信仰者が聞けば完全否定されて当然で無信仰者も同様です。

故人の供養だと言い張る葬儀屋と宗教者に聞きたい。あなたは死んだ事があるのですか? 自身の経験から言ってる本心ですか? 貴方自身が何をどう考えるかは自由ですが、それを他人に押し付けるのは当り前ではありませんよね? 無信仰者から言わせれば戯言に過ぎないのです。

結論
どんな葬式をするかは故人も含めた生活をともにする家族(費用負担する人)が決める事、宗教儀式を良しとするならそれも良し、されど無宗教葬式を望むなら素直に受け入れるべき、それが日本という国に於ける自由であり国が保証した信仰の自由という権利です。

内容、費用ともに、あなた達家族の意思を叶えた葬式施行をしてくれる所を余裕のあるうちに捜しておく事を強く勧めるし、それ以外に方法は無いと明言しておきます。

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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター  
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」
家族の死後に後悔しない為の一冊

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