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不登校の親が信じるべき事とは何か?


不登校の初期、親は、何が正しいのか、何をしてはいけないのかよくわからないので右往左往してしまう。私もとりあえずネットを検索しまくっていた。でも正しい情報ばかりではないので、それを見分けるためにも、本を読んだり経験者に話を聞いたりして、ある程度自分でも勉強することが必要だということがわかった。 

私はネット上で不登校の親たちが語り合う会にいくつか所属している。リアルの親の会にも行ったが、参加している親の思いが少々重すぎて、受け止めきれず出席することをやめてしまった。その点、オンラインだと体調が悪ければ、顔出しなし、発言なしの参加も許してもらえる。意外と、そうした場で知り合えた不登校の親の当事者や、経験者から聞く体験談が一番参考になった。それぞれ子どもの年齢もバラバラで、住んでいる場所も違うけれど、「不登校」という共通ワードで結ばれた関係はなんとなく安心感がある。身近な人に話してもわかってもらえない、親の気持ちが共有できるだけでも有り難い。

あふれる情報の中で、どうやって信頼できるもの選択するのか?
それを選ぶ目は自分で養わなければならない。私は自分が納得できる何人かの専門家や経験者が発信する情報を集めていた。そうやっていると、少しずつ自分がやるべきことや子どもに伝えることがはっきりしてくる。そうはいっても正解のない子育てだ。うまくいくことばかりではない。余計なひと言を言ったこともあるし、あまり気が乗らない子どもを外に連れ出したこともある。高名な学者が提唱した「不登校解決策」とやらを試したって、うまくいかない時はうまくいかない。こうした試行錯誤をくり返していくうちに、腹を括る時がやってくる。親が覚悟を決める時がやってくるのだ。

不登校で親が信じなければならないのは
「子ども自身」だ。
「その存在そのもの」だ。
学校に行っているから、勉強しているから、友だちがたくさんいるから子どもを愛しているわけではない。

「条件なしで子どもの存在を認められるか?」
「自分の描いていた人生を歩まない子どもを受け入れられるか?」
その問いにイエスと答えられたらきっと扉の向こう側へ進むことができる。

私達が生きてきた世界と、子ども達が生きる世界は別ものだ。
これまでの価値観をフル回転させて、未来を想像しても多分その通りにはならない。それなら子どものチカラを信じて思い切って任せてみるのがいいのではないだろうか。「私の子どもなら大丈夫」と胸を張って言おう。

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